三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

全生園のカトリック教会<前編>

2012年01月31日 | 東京のカトリック教会
全生園のカトリック教会
(住所:東京都東村山市青葉町4-1-1)

1月29日(日)、清瀬教会で年間第4主日のミサに与ろうと考えた。昨年9月から、私はミサに与りながら多摩地域のカトリック教会を再訪しているが、残すところ、清瀬教会と、あきる野教会の2つとなった。寒風が吹きすさぶ中、清瀬教会に到着。だが、様子がおかしい。聖堂から「主の祈り」の歌声が聞こえてくるのだ。私は入口にいたご婦人に、おそるおそる訊いてみた。「あの、午前10時の御ミサは?」。「あら、きょうは信徒総会があるから、9時半開始なの」。

万事休す、であった。まさに聖体拝領が始まろうとしていた。いまさら聖堂に入るわけにもいかず、私は胸が張り裂ける思いで退散することにした。インターネットで情報を発信していない教会(公式サイトを開設していない教会)でミサに与る場合は、事前に電話で時間を確認すべきだった。しかし、せっかく清瀬まで来たのだから、多磨全生園(ぜんしょうえん)内のカトリック教会を訪ねることにしよう。そこは、敷地面積35万平方メートルを誇る国立療養所である。

西武バスの全生園前停留所で下車。武蔵野の雑木林に囲まれた広い構内は、ちょっとした自然公園のようだ。その一角に、通称「宗教地区」と呼ばれる場所がある。そこには、カトリック、プロテスタント、聖公会の各教会が軒を連ねていた。さらに、仏教各宗派の寺院もあった。実に不思議な光景である。このような宗教施設が、なぜ「国有地」に建てられているのだろうか。そもそも、全生園とはどのような人々のための「療養所」なのだろうか。<後編に続く


全生園の日本聖公会 聖フランシス・聖エリザベツ礼拝堂


全生園のプロテスタント系(単立) 秋津教会
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チマッティ資料館

2012年01月29日 | 東京のカトリック教会
チマッティ資料館
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

調布サレジオ神学院の一角に、白亜のチマッティ資料館がある。その功績を称えられた人の名は、ヴィンチェンツォ・チマッティ神父(Vincenzo Cimatti:1879-1965年)。極東に於けるサレジオ会発展の礎を築いたイタリア人司祭である。チマッティ神父は、日本の青少年や貧しい人々のために教育・福祉事業を興し、サレジオ会の創始者ドン・ボスコの理想を実践した。楽才豊かなチマッティ神父は作曲を得意とし、その優れた音楽は複数のCDで確認できる。

ある日曜日の午後、私はチマッティ資料館を訪れた。事前に見学の旨を伝えていたので、館長のガエタノ・コンプリ神父からご説明いただく光栄に浴した。私がチマッティ神父のアヴェ・マリアに感激したことを申し上げると、コンプリ神父は「それでは、まずCDを聴きましょうか」と別室へ案内された。美しい調べに耳を傾けながら、コンプリ神父はこんなエピソードを披露された。「チマッティ神父はネ、鳥のさえずりを聞くと、それを直ぐに音符で書き留めたのです」。

2階の展示室へ移動。そこには、チマッティ神父の膨大な遺品が陳列されていた。ボロボロの衣服などから、チマッティ神父の清貧が偲ばれる。現在、チマッティ神父の遺体は記念聖堂の地下に安置されているが、改葬前の古い柩もあった。コンプリ神父は展示品を前にして、恩師のチマッティ神父と調布で過ごされた日々を話された(注)。資料館の見学を終え、私は神学院の広い構内を散策。その時、チマッティ神父がヒョッコリ現れた!ような気配であった。


尊者ヴィンチェンツォ・チマッティ神父
(チマッティ資料館内の肖像画)


調布サレジオ神学院本館
<矢印の部分がチマッティ神父臨終の部屋>

(注):コンプリ神父から伺った『チマッティ師の思い出(抄)』
 ・チマッティ神父は非常に小柄な人。身長は160センチくらいでしたネ。
 ・チマッティ神父は即興で伴奏することもありました。それを採譜したのはマルジャリア神父たち。
 ・すぐそこのグランド(神学院北側)で、チマッティ神父もサッカーをしました。
 ・チマッティ神父が亡くなった場所は、神学院2階の角部屋。今は院長室になっています。
 ・神学院の地下聖堂にあるオルガンは、実際にチマッティ神父が弾いていたものです。
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聖パウロの回心の祝日ミサ

2012年01月27日 | ミサ聖祭
ミサ当日のカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

1月25日(水)、八王子教会で聖パウロの回心の祝日ミサに与った。八王子教会での朝ミサは、昨年12月の無原罪の聖マリアの祭日以来だ。教会へ行く途中、市内のあちこちで積雪が凍結していた。前々日、都心でも雪が降り積もったが、テレビは豪雪のように大騒ぎして、その混乱を面白おかしく伝えていた。昨年の夏、マスコミは「節電ファシズム」を凄まじく煽ったが、実際の電力供給は「6%の余裕があった」という。日本の新聞・テレビは、粗大ゴミ以下。

午前7時、ミサ開祭。冷蔵庫のように寒い聖堂の中を、スータンを召された稲川圭三神父が、香部屋に入るのを見た。そういえば、最近は「スータン姿の神父さま」が少なくなった気がする。私が幼い頃、祖父と教会へ行くと、スータンがお似合いの外国人司祭がニコニコとお迎えいただいたのを、幻のように覚えている。祖父と親しかったユリウス・アブリ神父だろうか、それとも祖父の葬儀ミサを司式されたヨハネ・リータス神父だろうか。今となっては分からない。

カラヴァッジョの名画で知られる「聖パウロの回心」とは、イエスの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男が、目からウロコが落ちて「イエスがメシアであることを論証」しながら、異邦人への宣教に生涯を捧げるようになったこと。稲川神父は、「神様の永遠に信頼して生きることができますように、私たちも新しい回心を願って、共に祈りましょう」と話された。「洗礼を受けて罪を洗い清めなさい」(使徒22・16)というアナニアの言葉を、重く受け止める私であった。


カトリック大磯教会の聖母像
(住所:神奈川県中郡大磯町東町2-7-1)
<来月、「湘南のカトリック教会巡り」を不定期連載予定>

◆この日のミサ中の主な歌:
閉祭:カトリック聖歌4「神のさとしの」。 賛歌・アレルヤ唱などは読誦。
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鎌倉教会(日本基督教団)

2012年01月25日 | プロテスタント
日本基督教団 鎌倉教会
(住所:神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-2-6)

カトリック藤沢教会を訪ねた後、私は再び江ノ電に乗車して、鎌倉方面へ戻ることにした。一日乗車券を有効活用して、途中下車の旅を楽しんだ。鎌倉高校前駅では相模湾の絶景を望み、由比ヶ浜駅では鎌倉文学館の特別展「芥川龍之介と久米正雄」を観た。和田塚駅を過ぎると、江ノ電は日本基督教団の鎌倉教会の脇を通る。私は戦前の古い会堂を訪ねようと考えた。カトリック教会を巡りながら、プロテスタント教会へ行くのは、我ながら無節操と思うが。

江ノ電の鎌倉駅で下車。御成通りを南へ歩くと、踏切の向こうに教会の尖塔が見えてくる。百年以上の歴史を有する鎌倉教会だ。「建物は、大正15年にハリス記念鎌倉メソジスト教会会堂として建てられました。正面のトレーサリーを伴った大きな尖頭アーチ窓など初期ゴシック的スタイルを持ち、戦前のプロテスタント教会会堂の代表例の一つとなっています」(鎌倉教会公式サイト)。併設のハリス記念鎌倉幼稚園の園舎も大正時代の貴重な建築である。

私が卒業したプロテスタント系高校も、メソジスト派のアメリカ人宣教師が創立した。古くは内村鑑三が教壇に立ち、奥野昌綱(注)の書も掲げられていたと記憶している。校内には講堂を兼ねたチャペルがあり、毎週一回、私たちは学年別の礼拝に参加した。牧師先生の説教は忘れたが、讃美歌の懐かしい調べは、今もよく覚えている。「主よみてもて」、「いつくしみ深き」、「まぶねのなかに」。鎌倉教会の尖塔を仰ぎながら、遠い高校時代を回想してみた。


現会堂竣工:1926年
<鎌倉市景観重要建築物指定>

(注):奥野昌綱(1823-1910年)。邦人最初の牧師。「わが主のみまえに」など、讃美歌の作詞多数。

<付記>
高校時代の思い出をもう一つ。毎年、4月の新学期を迎えると、チャペルに新しい主題聖句が掲げられた。「患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出す。そして希望は失望に終ることはない」(ローマ5・3-5)。この聖句が選定されたのは、高校2年生のとき。私が好きな聖書のことばの一つ。
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年間第3主日のミサ

2012年01月23日 | ミサ聖祭
年間第3主日を迎えたカトリック小平教会
(住所:東京都小平市大沼町2-32-10)

1月22日(日)、小平教会で年間第3主日のミサに与った。午前9時30分、ミサ開祭。聖堂内は、ほぼ満席。福音朗読は、最初の弟子の召命の場面(マルコ1・14-20)。主任司祭の古賀正典神父は、「お正月気分も終わりました。新年を迎えたのに、私たちは厳しい現実や難題に直面しています」と話された。「最初の弟子は全てを捨て、イエスに従いました。私たちも多くの事情を抱えていますが、イエスの復活を信じて、その福音宣教の足跡をたどりましょう」。

信仰宣言のとき。いつものように「天地の創造主、全能の・・・」と唱え始めたら、なぜか私だけ周りの会衆から浮いてしまった。いったい、これはどうしたことだろう。この日、小平教会では「使徒信条」ではなく、それを短縮したような「洗礼式の信仰宣言」を唱えていたのだ。初めての教会でミサに与るとき、私は「信仰宣言は『使徒信条』か、それとも『ニケア・コンスタンチノープル信条』なのか」と緊張するのだが、「洗礼式の信仰宣言」は全くの想定外であった。

年が改まっても、現実は変わらないどころか、ますます悪化しているようだ。我らの野田佳彦首相は、公約違反の大増税に続き、原発再稼働へ「不退転の決意」で臨んでいる。これに対して、日本のカトリック教会は司教団メッセージ「いますぐ原発の廃止を」を訴え、全日本仏教会も宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」を表明。だが、神や仏を畏れない政・官・財界は、マスコミの突撃ラッパと共に、「原発守って、国滅ぶ」の玉砕一直線だ。Save us, O Lord!


カトリック小平教会の聖母像
<聖マリアは小平教会の守護聖人>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲1(典礼聖歌203-206)、入祭:典礼聖歌388「ガリラヤの風かおる丘で」、奉納:典礼聖歌411「わたしは門のそとに立ち」、拝領:典礼聖歌93「心を尽くして神をたたえ」、閉祭:典礼聖歌390「キリストのように考え」。
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