三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック高輪教会

2011年02月26日 | 東京のカトリック教会
カトリック高輪教会(教会堂名:殉教者の元后)
創立:1959年 ◇ 住所:東京都港区高輪4-7-1

JR山手線の品川駅で降りる。柘榴坂という名の緩やかな勾配を上る。 坂の右側一帯は、高輪プリンスなどの高級ホテル街となっている。その一角にある高輪教会は、結婚式場として未信者カップルにも利用されていることだろう。しかし、華やかなイメージだけで捉えるのではなく、この教会がキリシタン弾圧の悲劇を語り継いでいる点に注目しなければならない。1623年の「江戸の大殉教」があった札ノ辻(ふだのつじ)刑罰場跡は、ここから徒歩圏内にある。

浅草教会の記事で触れたが、江戸幕府を開いた徳川家康は「耶蘇は夷狄の邪法」と言明し、江戸市中でもキリシタン狩りが始まるようになった。浅草鳥越山の斬首刑から10年後、三代将軍の徳川家光は徹底的なキリシタン弾圧を命じる。 札ノ辻刑罰場では、火あぶりの刑という残酷な方法で、50人のキリシタンを殺戮した。その数週間後には、24人の女性と子どもたちが処刑された。 さらに、現在の旧海岸通が走っている辺りでは、水責めの刑が行われたという。

今日でも、「武士道の精神」「サムライの品格」に憧れる日本人が少なくない。だが、札ノ辻の殉教地に立つと、それらが残忍性と表裏一体であることに気づくはずだ。「忠臣蔵」で有名な泉岳寺を訪れたら、高輪教会にも足を延ばしたい。ここには、「江戸の大殉教」に関する地下資料室があり、当時の高札や古文書などが展示されている。高輪教会の聖堂はモダンな造りだが、その下には痛ましい歴史が秘められている。札ノ辻については、後に別記事で触れたい。


現聖堂献堂:1989年
(教会の敷地内には、江戸の殉教者顕彰碑がある)

◆主な参考文献など:
「東京周辺キリシタン遺跡巡り」 高木一雄著(聖母の騎士社・1997年)
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聖ペトロの使徒座

2011年02月24日 | ミサ聖祭
晴天に恵まれた聖イグナチオ教会主聖堂(千代田区)

2月22日(火)、数週間ぶりに聖イグナチオ教会でのミサに与った。聖堂に入ると、エントランス付近に置いてあるダンボール箱が目に留まった。「ここに去年の枝を入れてください」との貼り紙が付いている。箱の中を覗くと、何本もの古いシュロ(?)の枝が入っていた。 そういえば、他の教会を訪ねても、同じような光景を見かける機会が多くなった。いよいよ四旬節が近づいてきたことを実感する。今年の「枝の主日(受難の主日)」は、4月17日(日)となっている。

この日は早めに到着したので、地下のクリプタ聖堂を訪ねた。らせん階段を降りたところに、古い洗礼盤が置かれている。これは旧聖堂の洗礼室にあったもの。新聖堂に建て替えられる直前は、旧祭壇の脇に移設されていた。麹町教会を見守ってきた洗礼盤は、現在の地下聖堂が「つひの栖(すみか)」となったようだ。このクリプタには旧聖堂の遺物が数多く安置され、左右の壁面を飾っていた12聖人(パウロ三木を含む)のステンドグラスなどを見ることが出来る。

ミサ開祭。この日は「聖ペトロの使徒座」の祝日であった。福音書朗読は、イエスがペトロに天の国の鍵を授ける場面(マタイ16・13-19)。司祭(セゴビア神父?)は、「ペトロの信仰は神から与えられたもの。私たちも神の働きを見いだす恵みを願いましょう」と諭される。会衆は万感を込め、ペトロに倣って「主よ、あなたをおいて誰のところに行きましょう」と唱えた。いつの日か、バチカンのサン・ピエトロ(聖ペトロ)大聖堂を巡礼するのが私の秘かな望みである。


聖イグナチオ教会ザビエル小聖堂
(洗礼盤から湧き出る水の音が静かに響く)
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カトリック荻窪教会

2011年02月22日 | 東京のカトリック教会
カトリック荻窪教会(教会堂名:聖バルトロマイ)
創立:1961年 ◇ 住所:東京都杉並区高井戸東4-18-13

京王井の頭線の高井戸駅で降りる。目の前に清掃工場の巨大な煙突が聳え立ち、周囲を圧倒している。ここは、1日に600トンもの可燃ごみが焼却できるという。この大煙突は、中央自動車道や京王線の八幡山駅付近からも望めるが、こんなに間近で見たのは初めてだ。 真下から仰ぎながら、環八通を北へ進んだ。いつもながら、この幹線道路は交通量が多く、高井戸周辺は渋滞名所となっている。 私は環八通から逃れて、裏道のような通りを歩くことにした。

荻窪教会に着いた。かつて、この辺りは雑木林と大根畑が広がっていたが、今は閑静な住宅街となっている。環八通の喧騒が別世界のようだ。荻窪教会は、吉祥寺と高円寺のほぼ中間にある。中央線の荻窪駅から少し離れているので、地理的には「高井戸教会」の感覚がする。 創立時は「高井戸聖バルトロメオ教会」だったが、その後「荻窪教会」の現在名に変更された。守護聖人のバルトロマイは、イエスの十二使徒の一人。ナタナエルと同一視されている。

聖堂に入ると、不思議な形の十字架が吊り下げられている。これは、「木製の十字架へ真鍮の金メッキをした鋲を使うという斬新なもの」(荻窪教会サイト)とされる。この日は他に訪れる人も無く、聖堂内は森閑としていた。 独り静かに祈りを捧げた後、高井戸駅への道を戻る。 高架ホームから、屋根に十字架を戴く建物が見えた。地図によれば、日本基督教団高井戸教会となっていた。私が卒業したプロテスタント系高校のチャペルと似ている。思い出の情景が重なる。


現聖堂献堂:1961年
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ドン・ボスコ聖遺物日本巡礼

2011年02月18日 | ミサ聖祭
ドン・ボスコ胸像(サレジオ神学院本館前:東京都調布市)

2月17日(木)、サレジオ神学院チマッティ記念聖堂で、「聖ヨハネ・ボスコ聖遺物日本巡礼」の記念ミサに与った。「ドン・ボスコ」「青少年の友」と呼ばれているヨハネ・ボスコ(1815-1888年)は、イタリアのトリノ近郊で生まれ、貧しい子どもたちのために尽くした聖人。サレジオ会を創立し、青少年に信仰の真理と希望を伝えた。日本にサレジオの活動を広げたチマッティ神父は、幼い頃にドン・ボスコの謦咳に接している(チマッティ神父については、調布教会の記事を参照)。

ドン・ボスコの生誕200周年を迎える2015年までの間、その聖遺物が世界中を巡る記念行事が行われている。聖遺物とは、「聖人の遺骨の一部や、生前に使用していたものなど」。今回、日本を訪れたドン・ボスコの聖遺物は、「右腕を納めた御像」「膝蓋骨」「直筆文章入りの自著」の3点。今月2日から、全国のサレジオ系の教会や学校などを巡回していた。ここ調布での行事が日本巡礼の最終日となり、記念ミサが調布教会と神学院チマッティ記念聖堂で行われた。

私はチマッティ記念聖堂での午前ミサに参列した。既に超満員である。「右腕を納めた御像」は等身大で、祭壇上に置かれていた。司式は、「こころに光を」などの著書で知られるコンプリ神父。「日本宣教を夢見ていたドン・ボスコ」を興味深く紹介された。ミサの後、ドン・ボスコの聖遺物は地下聖堂へ移動。御像はチマッティ神父の石棺を見守るように置かれた。何という尊い光景だろう。「聖ヨハネ・ボスコ、あなたのように勇気と温かい心で生きていくお恵みを与えてください」(注)


ドン・ボスコの右腕を納めた御像(チマッティ記念聖堂にて)

(注):「聖ヨハネ・ボスコへの祈り」より。この日は、ドン・ボスコの聖遺物日本巡礼記念メダイや、チマッティ神父の御絵などもいただいた。 神に感謝。

◆主な参考文献など:
「ドン・ボスコの風 No.6(聖遺物巡礼記念特別号)」 (カトリック・サレジオ修道会・2011年)
「チマッティ神父・日本を愛した宣教師」 T・ボスコ、G・コンプリ共著(チマッティ資料館・2001年)
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カトリック渋谷教会

2011年02月16日 | 東京のカトリック教会
カトリック渋谷教会(教会堂名:聖ドミニコ)
創立:1960年 ◇ 住所:東京都渋谷区南平台町18-13

私の手元に謄写版印刷の古い教会報がある。タイトルは「渋谷教会新聞」、1964年11月に発行されたものだ。東京五輪が開催されたこの年、私は未だ生を受けていない。当時、目黒に住んでいた私の母は渋谷教会に通って、公教要理を学んでいた。海外の五輪選手が聖堂で祈る姿を見かけたという。その後、母は家事と育児に忙殺されて、カトリックから離れてしまったが、今でも当時の教理書などが残っている。すっかり黄ばんだ教会報も、その中の一つである。

JR山手線の渋谷駅で降りる。ゴミゴミした繁華街に背を向けて、玉川通(国道246号)を西へ歩く。この辺りになると、僅かに山の手の雰囲気が残っている。神泉町の交差点を左に曲がると、旧山手通沿いに渋谷教会が見えてきた。 正面に十字架が無ければ、区役所の庁舎か何かと見誤ってしまうが、ここは伝統ある聖ドミニコ会の担当教会だ。意外にも、ドミニコ会士による関東での布教は古く、江戸時代の初期に遡る。ただし、顕著な成果は得られなかったらしい。

聖堂に入ると、幻想的な空間が広がっている。ステンドグラスから降り注ぐ光線が美しい。いま私の眼前にある状景を、若き日の母も見ていたのだろう。ところで、前出の「渋谷教会新聞」に再び目を通すと、行事予定欄に「親睦の運動会」の案内があった。場所は「ドミニコ学園運動場」、最寄駅は「玉電瀬田」となっている。 耳慣れない「玉電」とは、東急玉川線のこと。1969年に廃止されるまで、国道246号を走っていた路面電車だ。私が知らない昭和の風景である。


現聖堂献堂:1959年


カトリック渋谷教会の聖母子像

◆主な参考文献など:
「渋谷教会新聞 No.46」 (カトリック渋谷教会・1964年11月1日発行)
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