三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

クリスマス・イブ礼拝(唱詠晩祷)

2014年12月25日 | 聖公会の礼拝
日本聖公会 聖マルコ教会
(住所:東京都府中市美好町3-8-2)

12月24日(水)、府中の聖マルコ教会(日本聖公会)でクリスマス・イブ礼拝に参列した。この唱詠晩祷は降誕日に行われる3つの聖餐式(深夜・暁・日中)に先立つもの。蝋燭の灯りだけが輝くキャンドル・サービスの中で、聖書のみ言葉を味わいながら、聖歌で御降誕を賛美する「9つの聖書日課とキャロル」という聖公会の伝統的な礼拝を捧げる。「クリスマス物語」のような9つの聖書朗読箇所(下記参照)は老若男女の信徒が交代で担当し、その度に会衆は大きな歌声でこたえる。

今年、聖マルコ教会は聖堂を改修した。「元田稔氏によって設計された聖堂は、切妻屋根の上に十字架を配置し、内部は単廊式の静謐な礼拝堂として親しまれ、現在も建築家が度々研究対象にするほどの由緒ある建造物です」。今回は「現聖堂及び集会室を全面的に改修し、これまで集会室としてきた空間を聖堂会衆席の延長として拡げ、新たに集会室は聖堂と調和した会館として別棟に新築」したという(聖マルコ教会『聖堂改修および会館建築のための献金のお願い』より)。

午後7時、礼拝の開始を告げる鐘が鳴り、司祭とサーバー(侍者)が厳かに入堂。リフォームされた古い聖堂は満席である。中村邦介司祭は、「ヨセフはマリアとその幼子を守りぬき、切なる愛を示しました。主の御降誕を祝うクリスマスはヨセフのように弱い者を愛し続け、その守り手になるという思いを新たにする日でもあります」と話された。ヨセフを通してクリスマスを学ぶ視点が新鮮であった。この日は凍てつく夜だったが、私はみ言葉と聖歌の調べで熱き血潮が漲っていたようである。


クリスマス・イブを迎えた聖マルコ教会
“ ああ輝く星よ くしき光よ・・・(聖歌110) ”

◆クリスマス・イブ礼拝の聖書朗読箇所、及び聖歌:
入堂:69「もろびとこぞりて」、S8-5「マリヤの賛歌」、第1日課(創世3・8-19):64「久しく待ちにし」、第2日課(創世22・15-18):85「ああベツレヘムよ」、第3日課(イザヤ9・2、6-7):83「人にはみ恵み」、第4日課(イザヤ11・1-9):72「エッサイの根より」、第5日課(ルカ1・26-38):66「み使い来たり告げん」、第6日課(ルカ2・1-7):75「かいばおけの」、第7日課(ルカ2・8-16):94「まきびと羊を」、第8日課(マタイ2・1-12):110「われらは東の」、第9日課(ヨハネ1・1-14):S11-3「シメオンの賛歌」、説教後:74「きよしこの夜」、使徒信経後:91「荒野の果てに」、退堂:81「神には栄え」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)
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東京諸聖徒教会(日本聖公会)

2014年12月16日 | 聖公会の教会
日本聖公会 東京諸聖徒教会
(住所:東京都文京区千石2-18-4)

地下鉄三田線の千石駅で下車、日本福音ルーテル小石川教会の脇を通る。なんと聖母の御像があった。さて、日本聖公会の東京諸聖徒教会の沿革をおさらい。「この教会の歴史は1881年に麹町に開設された『九段聖公会講義所』から始まりました。一時、築地聖三一大会堂附属講義所となった後、1896年に独立を許され『諸聖徒教会』と命名されました。1907年、教勢拡大につき神田に移転、煉瓦造の大礼拝堂が建てられましたが、1923年の関東大震災で全てを失いました」。

「翌年、現在地に敷地を得て『大塚聖公会』と合同し、『東京諸聖徒教会』になり、1931年鉄筋コンクリート造りの壮麗な教会が完成しましたが、1945年の東京大空襲により廃墟と化してしまいました。1955年、焼け残った骨組みを生かし現在の形に復興し、その後も手を加えながら今に至り、2004年には国の登録有形文化財の指定を受けました」(『東京教区90年のあゆみ』より)。尖塔を戴く重厚な聖堂の設計は、立教女学院チャペルなどを手がけた米国人バーガミニ(注)である。

東京諸聖徒教会に到着。その厳かな空間は、所属信徒の郡山正画伯(元女子美大教授)による美しい聖画が随所に飾られ、祭壇画の「最後の審判」や入口上の「東方の三博士の聖母子礼拝」など、何れも聖書をテーマにした連作で、聖堂内はちょっとした「ギャラリー」のようでもある。機会があれば、この豊かな恵みの時が流れる聖餐式に参列したいと思う。なお、教会内に諸聖徒幼稚園(1933年創立)を併設しているが、建物の老朽化などにより、2015年3月をもって休園されるという。


聖堂内観(1931年竣工/1955年修復)


聖堂外観
<国の登録有形文化財に指定されている>

(注):John van Wie Bergamini(1888-1975年)。アメリカ出身の建築家。代表作に聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂(日本聖公会)、立教女学院聖マーガレット礼拝堂(日本聖公会)、立教学院旧宣教師館など。

◆主な参考文献など:
・「東京教区90年のあゆみ」 2013フェスティバル実行委員会編(日本聖公会東京教区・2013年)
・「東京教区時報 ≪コミュニオン≫第12号」 東京教区広報委員会編(日本聖公会東京教区・2013年)
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日本福音ルーテル本郷教会

2014年12月10日 | プロテスタント
日本福音ルーテル本郷教会
(住所:東京都文京区本郷6-5-13)

12月6日(土)、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅で下車し、東京大学へ向かう。前回もお知らせした通り、私は東大の一般市民向け公開講座を受講している。会場は本郷キャンパスだったので、この日も講義の合間に周辺の教会巡りに勤しんだ。東大を中心とする本郷界隈は、ちょっとした「教会銀座」の様相を呈しているが、今回は東京大学正門に最も近い日本福音ルーテル本郷教会である。ここを訪れたのは、今年の10月12日以来だ。待降節に入り、典礼色が紫に変わっている。

日本福音ルーテル本郷教会の沿革をおさらい。「戦争で傷ついた人々とこの国を建て直すのに、神の愛が必要だと考えたアメリカのルーテル教会は、将来を担う若者に聖書の教えを伝えたいと東京大学(農学部)の前に本郷学生センターを開設し、英会話と聖書を通して神の愛を伝え、また学生たちが国際感覚を養うためのプログラムを展開することにしました。1956年のことです。日曜日の礼拝も同時に始められ、やがて学生たちの中からクリスチャンが生まれました」(教会案内書より)。

「教会と学生センターのためにより相応しい場所と建物が必要とされ、現在の場所に移転したのは1966年のことです。アメリカのクリスチャンたちの篤い祈りに支えられて、現在の教会堂が献堂されました。1階は事務所と集会室、2階は木のぬくもりに包まれる礼拝堂です」(前同)。誰もいない静かな礼拝堂のなかで、私の脳裏に讃美歌「主なるイェスはわが喜び」が響く。この厳かな調べはJ・クリューガー(1598-1662年)の作曲で、バッハのモテット(BWV.227)にも登場する名コラールである。


礼拝堂内観(1966年竣工)


冬空に映える東京大学安田講堂
(住所:東京都文京区本郷7-3-1)

◆主な参考CDなど:
・CD「J・S・バッハ:モテット集」 合唱:レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊(Archiv:F20A-20069)
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五旬祭後第25主日の聖体礼儀

2014年12月04日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

11月30日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、五旬祭後第25主日の聖体礼儀に参祷した。この日からカトリックや聖公会はアドヴェントに入るが、東方正教会の旧暦に基づく「主の降誕祭」は年明けの1月7日(水)である。ただし、ニコライ堂では日本の「クリスマス事情」に配慮して、新暦の12月25日(木)も祝う。午前10時、聖体礼儀の始まりを告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。この日の福音経の誦読は、「愚かな金持ち」のたとえ(ルカ12・16-21)。

市村直巳神父は、「金持ちが愚かなのは、本当の豊かさを知らず、自分のために富を積むからです。物質的な豊かさは、時に私たちに神を忘れさせます。この世の財産が最も大切と思う人は、その奴隷となり、神の招きに応えることができません。だから、イイスス(イエス)は、このような人々は救われにくいと言われました。この世の財産に囚われることで、神に従う自由が失われます。つまり、イイススが説かれたのは、全ての人が父である神への信頼に生きる、ということなのです」と話された。

「金銭への執着は全ての悪の根源です。正教会では本日の福音について、真であり不滅の富とは物質的な財産ではなく、道徳にあると教えています。聖使徒パウエル(パウロ)が『上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい』(コロサイ3・2)と言う通りです」。この日も市村神父の説教は示唆に富んでいた。今やニッポンは強欲拝金主義に囚われ、空虚な「アベノミクス」に浮かれている。財政破綻や原発事故で潰滅する日まで、この国は「目先のカネ」に執着するだろう。


ニコライ堂境内の府主教庁。1875年竣工の旧伝道館。
(都内に現存する最古の煉瓦造洋館。伝レスカス設計)

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「ニコライ堂と日本の正教聖堂」 池田雅史著(東洋書店・2012年)
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