三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック所沢教会

2015年06月28日 | 埼玉のカトリック教会
カトリック所沢教会(教会堂名:アシジの聖フランシスコ)
創立:1955年 ◇ 住所:埼玉県所沢市小手指町1-23-1

西武池袋線の小手指(こてさし)駅で下車。私が習志野の団地っ子だった頃、所沢界隈の航空自衛隊入間(いるま)基地で開催された「国際航空宇宙ショー」を見たことがある。米軍のF15イーグル戦闘機、P-3Cオライオン哨戒機、超大型輸送機ギャラクシーなどの最新鋭機に混じって、旧陸海軍の「零戦」や三式戦「飛燕(ひえん)」も展示されていた。記念品に「零戦」のポスターを購入した後、格納庫内で米軍楽隊の演奏を鑑賞。当時の私は安倍晋三もビックリの軍国少年だった(呆)。

カトリック所沢教会の沿革をおさらいしよう。「1955年、所沢に小教区が設立された。基地の街・所沢は、まもなく首都圏の新住宅地として信徒の流入が激しくなって行く。終戦当時、所沢に教会はなく、この地域には陸軍航空士官学校(入間)校長の徳川好敏中将の他に、幾人かの信徒が在住していた。所沢星の宮に教会堂がフランスからの献金と駐留軍信徒の拠出金で建てられた。1974年、星の宮の土地を電報電話局に譲り、現在地に移転した」(『北関東のカトリック』から要約)。

所沢教会に着いた。玄関ロビーでアシジの聖フランシスコの木像がお出迎え。木のぬくもりに満ちた聖堂(下写真1)は「日本一の宮大工」と称される金剛組が建設。同社は飛鳥時代(!)から千年以上の歴史を持つ「世界最古の企業」である。法隆寺の回廊を思わせる木の列柱が見事な聖堂内で、しばし祈りのときを過ごす。なお、近傍の入間市にある1911年創立のカトリック入間宮寺教会(下写真2。埼玉最古の聖堂)は、1955年以来、所沢小教区の所属(巡回教会)となっている。


現聖堂献堂:1997年


所沢教会の巡回教会、カトリック入間宮寺教会
(住所:埼玉県入間市宮寺2837)

◆主な参考文献など:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
・「カトリック所沢教会50年の歩み」 同教会50周年記念誌編纂委員会編(カトリック所沢教会・2005年)
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カトリック春日部教会

2015年06月20日 | 埼玉のカトリック教会
カトリック春日部教会(教会堂名:聖テモテ)
創立:1972年 ◇ 住所:埼玉県春日部市中央5-7-15

東武伊勢崎線の春日部(かすかべ)駅で下車。ここへ来る途中、車窓から大規模な団地が見えた。1966年入居開始の公団武里(たけさと)団地である。古い住棟が延々と並ぶ光景は圧巻だ。原武史氏(明治学院大教授)によれば、1960年代の高度成長期、団地は私鉄沿線のイメージを高める役割を果たしていたという。私が育った習志野台団地も千葉の私鉄沿線にあった。いま、そんな「団地の黄金時代は長くは続かなかった」(原氏)状況に直面せざるを得ないのだ。

カトリック春日部教会の沿革をおさらいしよう。「1966年、草加市より北にある春日部市でも宅地開発が進み、武里団地の開設により、公団賃貸住宅の一室でミサ・集会が始まり、この地域を管轄する大宮教会の武里分教会が発足した。信徒が急増し、団地近くの宅地分譲地を確保、篤志家からのプレハブ建物の寄付を受け、1972年に教会堂が完成し、春日部小教区が成立した。1981年、市内中心部に恒久的な新聖堂が建設された」(『北関東のカトリック』から要約)。

春日部教会に着いた。団地の集会所のような聖堂内にパイプ椅子が整然と並んでいる。この教会も「団地で生まれた教会」(『北関東のカトリック』より)と称される。埼玉では草加教会と松原団地、東京では豊田教会と多摩平団地などが、この関係に属すると言えよう。残念ながら、我が故郷の習志野台団地は教会を生み出す原動力とはならなかった。もっとも、そこは子どもの楽園ではあった。広い芝生や公園は団地っ子で溢れ、歓声が絶えなかった日々を懐かしく思い出す。


現聖堂献堂:1981年


カトリック春日部教会のファティマの聖母像

◆主な参考文献など:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
・「僕たちの大好きな団地」 青木俊也・大久保健志・照井啓太・長谷聡・眞形隆之共著(洋泉社・2007年)
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カトリック草加教会

2015年06月12日 | 埼玉のカトリック教会
カトリック草加教会(教会堂名:聖マルコ)
創立:1981年 ◇ 住所:埼玉県草加市松江1-6-11

東武伊勢崎線の松原団地駅で下車。駅名の公団草加松原団地は「かつて『東洋一のマンモス団地』と呼ばれていたほど規模が大きい。(中略)マンモス団地だけあって、団地内にはミニ商店街や診療所をはじめ、2つの小学校、中学校、さらには汚水処理場などもあり、1つの町を作り上げている」(『僕たちの大好きな団地』より)。現在、松原団地は建て替えが急ピッチで進んでいる。2012年9月に私がここを訪れた時、取り壊しを待つ古い住棟が廃墟のように並んでいた。嗚呼。

カトリック草加教会の沿革をおさらいしよう。「1962年、草加市内に建設された松原団地の一信徒宅を川口教会の草加地区分教会として、毎日曜日にミサ・集会が行われるようになった。やがて団地在住者を中心にして次第に信徒数が増加したため、分教会の本拠は1965年に開設された草加藤幼稚園に移って、本格的な教会活動が開始された。1979年に教会堂が完成し、1981年に小教区として独立した」(『北関東のカトリック』から要約)。教会は市内を流れる綾瀬川沿いにある。

草加教会に着いた。白亜の明るい聖堂内でオルガニストが聖歌の演奏練習中だった。この教会は「団地で生まれた教会」(『北関東のカトリック』より)と称される。埼玉では春日部教会と武里団地、東京では豊田教会と多摩平団地などが、この関係に属すると言えよう。残念ながら、我が故郷の習志野台団地は教会を生み出す原動力とはならなかった。もっとも、そこは旧陸軍演習場の広大な跡地だったので、寺社はおろか、野仏さえもない(と記憶している)無宗教的風土ではあった。


現聖堂献堂:?年


聖堂外観

◆主な参考文献など:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
・「僕たちの大好きな団地」 青木俊也・大久保健志・照井啓太・長谷聡・眞形隆之共著(洋泉社・2007年)
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カトリック館林教会

2015年06月04日 | 関東のカトリック教会
カトリック館林教会(教会堂名:御助けの元后聖マリア)
創立:1953年 ◇ 住所:群馬県館林市大手町11-21

東武伊勢崎線の館林駅で下車。「うどんの里」として知られる館林だが、市内には反骨の義人・田中正造(1841-1913年)を顕彰した記念館もある。正造は足尾鉱毒問題を追及し、明治天皇への直訴も辞さなかった「人道の戦士」だが、その晩年は「キリスト教への信仰を深め、洗礼を受けようとしたこともあった」。正造が最期に遺した信玄袋の中には、一冊の新約聖書が含まれていたという。「聖書を読むよりは先ず聖書を実践せよ。聖書を空文たらしむるなかれ」(田中正造翁の言葉)。

カトリック館林教会の沿革をおさらいしよう。「1884年頃から、パリ外国宣教会のカディヤック神父が館林の信徒宅を巡回していたが(有名なうどん屋の店主もミサに与っていたという)、1940年以降は信徒宅などでミサが行われるようになった。1953年、群馬県の担当を開始したフランシスコ会ニューヨーク管区は最初の宣教・司牧拠点として、高崎と館林に小教区を設立した。1957年、現在の教会が献堂されて、牧野房男神父が主任司祭として着任した」(『北関東のカトリック』から要約)。

駅から徒歩10数分ほどで、館林教会に着いた。尖塔を戴く古い聖堂に入ると、玄関先で扶助者聖母像(下写真2)がお出迎え。赤い服と青いマントに身を包み、幼子イエスを抱きながら笏(しゃく)を持ち、頭上に冠を戴くその清楚な姿は、聖ヨハネ・ボスコが創立したサレジオ会系の教会でも見かけることができる。ドン・ボスコは特に扶助者聖母を信頼し、祈っていたという。「全ての危険において聖母のお助けを願いなさい。必ず聞き入れられることを私は保証します」(ドン・ボスコの言葉)。


現聖堂献堂:1957年


カトリック館林教会の扶助者聖母像

◆主な参考文献など:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
・「田中正造」 由井正臣著(岩波新書・1984年)
・「ドン・ボスコのことば100」 サレジオ会日本管区編(ドン・ボスコ社・2012年)
・「ドン・ボスコの風 No.12」 同編集事務局編(カトリック・サレジオ修道会・2014年)
コメント (2)
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