三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

ご降誕の前夜ミサ

2010年12月25日 | ミサ聖祭
ご降誕前夜の聖イグナチオ教会マリア聖堂(千代田区)

御降誕節。カトリック信徒の祖父が教会へ連れて行ってくれたのは遠い昔。聖歌「あめのみつかいの」の調べをおぼろげに記憶している。自らの意思で降誕祭へ行くのは、昨晩の聖イグナチオ教会での前夜ミサが初めてだ。早めに現地へ到着したつもりが、既に長蛇の列が出来ている。瞬く間に主聖堂は大会衆で埋め尽くされ、立錐の余地もないほどだ。若いカップルや会社帰りのサラリーマン、様々な外国人の姿も多い。このような前夜ミサが計6回も行われる。

ミサ開祭。「きよしこのよる」が厳かに歌われる。式が進むにつれて、私はある種の歓喜の波に襲われ始め、主任司祭の説教が思い出せないほどの体たらくとなった。ただ、聖歌の余韻だけは鮮やかに残っている。奉納の歌は「きたれ友よ(アデステ)」。プロテスタントでは「神の御子は今宵しも」のタイトルで歌われている。スチーブ・マックイーンらが主演した映画「大脱走」(1963年)の中で、連合軍の捕虜たちがこの歌を合唱していた場面をご存じの方もあると思う。

聖体拝領は案内係の誘導で粛々と行われる。この日、跪き台の使用は禁止されていたが、拝領後に跪いて祈る多くの信徒を見かけた。亡き祖父の姿と重複し、何だか感極まってしまった。閉祭の歌「もろびとこぞりて」が歌われるなか、聖イグナチオ教会の鐘が大きく鳴り響いた。謹んで主のご降誕のお慶びを申し上げます。「神よ、御子の上に輝く光でこの世界を照らしてください。あなたの恵みに信頼し、み心にかなう平和と正義を求めることができますように」(共同祈願より)。


聖イグナチオ教会のクリスマス・クリブ
“きょう、わたしたちのために救い主が生まれた”
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クリスマスに寄せて

2010年12月23日 | 雑記帳
真紅の星が輝くカトリック神田教会(千代田区)

待降節も4週目。聖イグナチオ教会のアドベントクランツも4本目のローソクが灯された。祭壇の背後には2本のクリスマス・ツリーが立っている。街なかの豪勢なイルミネーションとは対照的に、カトリック教会は静かな聖夜を迎えようとしている。ダビデの星やクリスマス・クリブ(聖家族と飼い葉桶の模型)などのシンプルな飾りがいい。無節操な電飾の大洪水よりも、信仰に照らされたローソクの灯り一つの方が貴いと思う。 いよいよ明日はご降誕の前夜ミサである。

ローソクと言えば、幼い頃のクリスマス・イブを思い出す。その夜は部屋の照明を消して、真鍮製のキャンドル台を食卓に置く。これはローソクの炎の熱で、スタンドに取り付けられた風車や天使がクルクル回る仕掛けだが(注)、団地の貧しい一室を神秘的に変える効果があった(笑)。 クリスマス・ソングのレコードを聴きながら、不二家のケーキを食べて過ごす。翌朝の枕元にはトミーのプラレール・セットが置いてある。子どもが多い時代のよくある光景だった。

ここ数年は「閉塞状況の国、ニッポン」に窒息する思いが続き、過去を懐かしむことが多くなった。政権交代が実現しても、生活に喘ぐ人たちの声は権力者の耳に届かない。子どもが犠牲になる痛ましい事件が相次ぎ、自殺者が12年連続で3万人を超える異常な社会。私たちには「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条)があるはずだ。明日のご降誕の前夜ミサでは、「地には善意の人に平和あれ」と祈りたい。すべての苦しんでいる人たちが救われますように!


聖イグナチオ教会(千代田区)のクリスマス・クリブ

(注):ドイツの民芸品「クリスマス・ピラミッド(Weihnachtspyramide)」の一種らしい。
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カトリック高幡教会

2010年12月21日 | 東京のカトリック教会
カトリック高幡教会(教会堂名:五月のきさき聖マリア)
創立:1969年 ◇ 住所:東京都日野市程久保4-7-14

京王線の多摩動物公園駅で降りる。小学生の私が昭和50年代に訪れた時の活気は見られない。多摩モノレールの開通によって、中央大学や明星大学に通う人の流れも変わった。追い討ちをかけるように、2009年には遊園地の「多摩テック」が48年の歴史に幕を閉じた。丘の上の大観覧車は取り壊され、広い跡地は明治大学の所有になるらしい。行楽地の入口で少子化の寂しい現実を思う。 駅前広場に京王線の古い車両(モハ2410)が展示されていた時代が懐かしい。

多摩動物公園や高幡不動尊を抱く七生(ななお)丘陵は、昭和40年代に宅地化が急速に進み、住宅公団の団地も造成された。メルセス宣教修道女会がこの地を求めた時代は、里山の風景が変貌する過渡期であった。 1969年、修道院の敷地内にカトリック系幼稚園の園舎が完成すると、周辺の新興住宅地に住む信徒たちが集まり始めた。同じ日野市内にある豊田教会の“集会所”を兼ねた共同体は、初代主任司祭のロワゼール神父と共に高幡教会となった。

高幡教会の周辺は宅地化を免れ、里山の豊かな自然が残っている。丘陵の向こう側には中央大学の多摩キャンパスが広がっている。高幡教会はメルセス会日野修道院の敷地内にあり、聖堂前から続く坂道の上には光塩日野幼稚園などの建物が並んでいる。木漏れ日が注ぐ聖堂に入ると、窓から裏山の木々が目に入る。多摩丘陵の全域で言えることだが、高幡教会も新緑の季節が最も美しいと思う。 カトリック聖歌に歌う「あお葉わか葉に風かおりて」の世界となる(注)


現聖堂献堂:1982年


聖堂遠景

(注):聖母月(5月)に歌われるカトリック聖歌352番「あおばわかばに」。高幡教会の教会堂名は「五月のきさき聖マリア」である。教会の入口付近にはルルドのマリア像が立っている。
コメント (1)
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カトリック多摩教会

2010年12月18日 | 東京のカトリック教会
カトリック多摩教会(教会堂名:聖マキシミリアノ・マリア・コルベ)
創立:1972年 ◇ 住所:東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2

神奈中バスの車橋停留所で下車し、乞田(こった)川の側道に沿って歩く。春は桜並木が美しい遊歩道である。この流域は古くから交通の要衝だったところで、現在も旧鎌倉街道の面影が残っている。中世の関所や「太平記」に描かれた古戦場などの史跡も多い。近代以降は、若き日の明治天皇が狩猟に訪れた曾遊の地だった。その「行幸」を顕彰した多摩聖蹟記念館は帝都名所の一つだったが、現在は訪れる人も少なく、東側の丘の上で風雪に耐えている。

多摩教会は乞田川に架かる橋の袂にある。白亜の聖堂を仰ぐと、かつての「マンション教会時代」を想像するのが難しい。1970年代、多摩ニュータウンに入居した信徒は、この地域に蒔かれた信仰の種となり、教会誕生の原動力となった。初期の多摩教会は市内のアパートやマンションの一室を転々とする。20世紀末、ニュータウンの全盛期は過ぎ去ったが、多摩教会は悲願の聖堂建設に着手した。所在地の聖ヶ丘にふさわしく、聖なる丘に立つ教会となっている。

教会堂名のコルベ神父については多言を要しないだろう。アウシュヴィッツで一囚人の身代りとなり、「人、その友のために死す。これより大いなる愛はなし」を実践した聖人として名高い。コルベ神父の名を、私は早乙女勝元氏の『優しさと強さと アウシュビッツのコルベ神父』で知った。児童書の一冊だが、表紙を飾るコルベ神父の悲しげな表情が購入の動機となった。多摩教会には、コルベ神父の聖遺物(顎髭の一部)が祭壇正面の左側に安置されている。


現聖堂献堂:2000年


聖堂外観

◆主な参考文献など:
・「優しさと強さと アウシュビッツのコルベ神父」 早乙女勝元著(小学館・1983年)
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聖母病院

2010年12月16日 | 東京のカトリック教会
聖母病院本館(社会福祉法人聖母会)
住所:東京都新宿区中落合2-5-1

西武新宿線の下落合駅を出ると、乳幼児を抱えた多くの女性が目に入る。一瞬、ここが「少子化問題に無為無策の国、ニッポン」であることを忘れてしまう(我が国の政府ときたら、政・官・財の権益は死守しても、無数の小さき人々には冷淡なのだ)。その女性たちの行き先が、聖母病院に向かっていることに気づく。 聖母坂通りを北へ進むと、2本の塔が聳える聖母病院本館が見えてきた。スイス生まれのマックス・ヒンデルが設計し、1931年竣工の歴史的建造物である。

建築家のヒンデル(Max Hinder:1887-1963年)は在日16年の間に、神田教会(千代田区)、松が峰教会(宇都宮市)、上智大学1号館(千代田区)、南山学園ライネルス館(名古屋市)など、日本のカトリック界に数々の傑作を残した。聖母病院本館もその一つである。 この歴史ある病院の初代院長は、カトリック司祭であり医師の戸塚文卿(ぶんけい)神父が就いた。当時のカトリック関係者には「聖公会の聖路加国際病院に負けない設備と陣容を」との思いもあったようだ。

現在、聖母病院は新棟を増築し、一般病床154床の総合病院に発展した。マリア様の御取次によって、安産を願う妊婦の来院も多いと聞く。病院内の大聖堂は新築されたばかりだが、プロテスタント風のシンプルな造りに当惑する。聖母坂通りの向こう側には、聖母大学(旧聖母女子短大)がある。看護学部のみの単科大学だが、2011年に上智学院との合併が予定され、上智大学の看護学科となるらしい。病院を出て駅へ引き返す。聖母坂を上ってくる何組もの母子とすれ違った。


聖母病院聖堂(現聖堂献堂:2010年)

◆主な参考文献など:
「戸塚神父伝 神に聴診器をあてた人」 小田部胤明著(中央出版社・1989年)
「聖母病院 ご利用のご案内」(社会福祉法人聖母会)
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