三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

聖霊降臨の主日のミサ

2015年05月27日 | ミサ聖祭
ある晴れた日の聖イグナチオ教会
(住所:東京都千代田区麹町6-5-1)

欧米の著名な日本研究者が愚かな安倍晋三に対して「慰安婦問題などの過去の清算」を求めた声明に、国際的な支持が広がっている。数百名の賛同者の中には、ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル名誉教授、マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー教授も名を連ねている。声明は「『正しい歴史』への簡単な道はない。過去の過ちを認めるプロセスは民主主義を強化し、国と国との協力関係を養う」と訴えている。安倍は「慰安婦問題は『朝日』の捏造だ!」と言い返したらどうか。

5月24日(日)、四ツ谷の聖イグナチオ教会(カトリック麹町教会)で聖霊降臨の主日ミサに与った。この日は五旬祭、いわゆるペンテコステである。午前8時30分、ミサ開祭。入祭の歌「来たりませ」(カトリック聖歌226)を歌う。福音朗読はイエスが聖霊の働きに言及される場面(ヨハネ15・26-27、16・12-15)。へネロソ・フローレス神父(イエズス会)は、「目に見えない聖霊のしるしは鳩や水などに現れますが、この『知られざる神、聖霊』は神の愛、神の力、神の光と言えるでしょう」と話された。

「本日の入祭唱の言葉通り、聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれています。だから、私たちは愛する原動力を受けているのです。まず、聖霊が私たちの心におられることを悟りましょう」。フローレス神父の説教が心に沁み入った。カトリック系の聖霊病院(名古屋市)で産まれた私は、“ Veni, Sancte Spiritus(聖霊来たり給え) ”と祈らずにはいられない。さて、ミサ後は教会案内所の売店でお買い物。カトリック系雑誌『あけぼの』の休刊を知る。そのお別れの記念に最終号を買った。


聖イグナチオ教会、地下聖堂の聖母子像

◆主な参考文献など:
・「東京新聞」夕刊 (2015年5月20日付記事「『日本、歴史直視を』声明に賛同広がる」)
・「あけぼの」感謝号 (聖パウロ女子修道会・2015年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活節第6主日の聖餐式

2015年05月19日 | 聖公会の礼拝
ツタの若葉が覆う立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

安倍晋三と「国家神道原理主義」の自民党、及び「平和と福祉の党」を詐称する公明党が「戦争への道」をせっせと整えている。これらの卑劣漢どもによって、憲法第9条は殆ど死文と化してしまった。だが、最も責められるべきは、主権者としての自覚に欠けた「昭和のテレビ中毒世代」だろう。自分たちは現行憲法が保障する「平和と自由」を享受しておきながら、次世代には「恐怖と絶望」を負わせる。この国から立憲主義が滅びようとしているのに、相変わらずヘラヘラと笑っているだけ。

5月10日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で復活節第6主日の聖餐式に参列した。午前10時、振り香炉と十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。乳香の煙が漂う中で、「天使ミサ」のキリエを歌う。この日も唱詠聖餐式(歌ミサ)だった。福音朗読は、「人、その友のために死す。これより大いなる愛はなし」の場面(ヨハネ15・9-17)。金大原(キム・デウォン)司祭は「イエスが弟子たちや私たちを『友』と呼ばれたのは、お互いに支え合い、同じ志を持つ関係を意味します」と話された。

「今日の福音で、イエスが説かれた『愛』は、全ての人間を愛する普遍的なものというよりも、まず身近な人たちへの愛を強調されています。『神は愛』です。私たちがこの『愛』を理解するには、母親の愛ほど明らかな例はありません。神様はご自身の愛を、この世では母親を通して示してくださいます。自分の子どものためなら命さえも惜しまない人、それはお母さんです」。韓国出身の金チャプレンが話す日本語は、その説教の内容と共に格調高かった。そういえば、今日は「母の日」だった(注)


主日聖餐式後の立教学院諸聖徒礼拝堂
“ 怯(ひる)まぬ心を 主よ与えたまえ・・・(聖歌419) ”

(注):金チャプレンからの豆知識。「韓国では『母の日』の習慣はありませんが、毎年5月8日を『父母の日(オボイナル)』としてお祝いしています」。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜1(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:419「人ごみの街に」、続唱聖歌:488「新しいこの掟」、奉献聖歌:492「神こそ愛なり」、陪餐アンセム(聖歌隊奉唱):「心を一つに平和を求め」(18世紀ドイツ聖歌)、陪餐聖歌:497「恵みの光は」、派遣聖歌:499「さやかな光」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チマッティ神父の「月命日」ミサ

2015年05月11日 | ミサ聖祭
チマッティ記念聖堂の聖ドメニコ・サヴィオ像
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

5月6日(水)、調布のチマッティ記念聖堂で、チマッティ神父の取次を願うミサに与った。毎月6日はチマッティ神父の「月命日」で、その遺徳を偲ぶ特別なミサが捧げられている。この日はドン・ボスコの教え子、聖ドメニコ・サヴィオ(注)の記念日と重なった。午前10時30分、ミサ開祭。入祭の歌「刈り入れは」や荘厳なミサ曲など、“音楽家”チマッティ神父の名歌を歌う。司式はチマッティ資料館館長のガエタノ・コンプリ神父。福音朗読は、「目を覚ましている僕(しもべ)」のたとえ(ルカ12・35-40)。

「今日、私たちは聖ドメニコ・サヴィオという一人の少年を祝います。14歳で帰天しましたが、立派な生涯を成し遂げた聖人です。ドメニコ・サヴィオはドン・ボスコの部屋に掲げられていた“ Da mihi animas, cetera tolle(我に魂を与え、他は取り去り給え) ”の言葉、またドン・ボスコの『聖人になるには、最善を尽くして正しく生きるだけ』という教えを実践しました。実際、ドメニコ・サヴィオのような大人よりも立派な子どもがいます。私たちはそんな子どもから正しい生き方を学ぶことができるのです」。

コンプリ神父の説教は示唆に富んでいた。例えば、麻生太郎、山谷えり子、曽野綾子という極右クリスチャン三人組のような「精神的に未熟な大人」がいる。ところが、聖ドメニコ・サヴィオのような「大人よりも立派な子ども」もいる。一昨年、東京五輪という安倍一派の「国威発揚イベント」開催が決定した時、某カリスマ神父は大ハシャギしていたが、当時の『東京新聞』には「五輪よりも被災地の復興を」と訴える中高生の投書が相次いだ。どちらが「正しい生き方」を示していたのかは言を俟たない。


聖ドメニコ・サヴィオ像と扶助者聖母像(右)
“ ♪聖なるサヴィオ、ドメニコよ・・・ ”

(注):Domenico Savio(1842-1857年)。ドメニコ・サヴィオの短い生涯は他の聖人のような「奇跡」や「大事業」で語ることはできないかもしれないが、ただ「心を清く保ち、聖母への信頼をもって生きること」(『少年ドメニコ・サヴィオ』より)を証明している。チマッティ神父はドメニコ・サヴィオを青少年の模範として日本の子どもたちに示した。現在、チマッティ記念聖堂にある聖ドメニコ・サヴィオの御像(上写真2枚)は、生前のチマッティ神父が気に入っていたものである(1962年4月8付書簡より)。

◆この日のミサ中の主な歌:
チマッティ神父のミサ曲(1940年作の日本語ミサ曲)、入祭:「刈り入れは」、拝領:「聖ドメニコ・サヴィオ頌歌」、閉祭:「アヴェ・マリア」(以上、チマッティ神父作曲)。

◆主な参考文献・CDなど:
・「少年ドメニコ・サヴィオ」 ガストン・クルトゥア著、前田和子訳(ドン・ボスコ社・2004年)
・「チマッティ神父 本人が書かなかった自叙伝(下)」 ガエタノ・コンプリ編訳(ドン・ボスコ社・2011年)
・CD「チマッティ神父のミサ曲」 合唱:調布カルメル修道女会ほか(チマッティ資料館:VCCD-007)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活節第5主日の聖餐式

2015年05月03日 | 聖公会の礼拝
ツタの若葉が覆う立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

海外メディアが嫌悪する「安倍ジャパン」(注)。この凶権の原動力は、愚かなニッポン人の「無関心」で成り立っている。元ドイツ大統領のヴァイツゼッカー氏は、「人々の『冷たい無関心』がホロコーストの要因」と指摘した。マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく、無関心」と述べた。そして、愚かなニッポン人はテレビにしがみつき、ただヘラヘラと笑っているだけ。現行憲法で保障された権利と自由、平和を次世代に継承することも「無関心」。戦争や原発事故で次世代が苦しむことも「無関心」。

憲法記念日の5月3日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で復活節第5主日の聖餐式に参列した。午前10時、振り香炉と十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。乳香の煙が漂う中で、「天使ミサ」のキリエを歌う。福音朗読は、イエスの「聖霊を与える約束」の場面(ヨハネ14・15-21)。宮崎光司祭(立教大学チャプレン)は「聖霊を指す『弁護者』というギリシャ語のパラクレートスには、『傍らに立つ者』という意味があります。イエス様は傍らで必ず助ける者の存在を示されたのです」と話された。

「イエス様に従う者の生き方とは、傍らに立つ『弁護者』、すなわち『真理の霊』の力によって、理性と自由意思を持つ人間が、本当に大切なことを自分で考え、そして行動するということなのだと思います」。宮崎チャプレンの説教を聞き、私はこのような生き方を示した近現代のキリスト者を次々に思い起こした。その一人、コルベ神父の言葉。「私たちの堕落した人間性を征服し、それを霊の支配下に置くためには神の恵みが必要です。そのためには私たちはしばしば祈らなければなりません」。


1918年竣工の立教学院諸聖徒礼拝堂
“ 主は今も嘆く 不正満ちる世を・・・(聖歌182) ”

(注):最近、この傲慢で恥知らずな島国は、「ニッポンを貶めた」海外メディアに対して「報道介入」の圧力をかけている(米紙NYT、独紙FAZなど)。“全世界で最も卑しい男”の麻生太郎と愚劣なニッポン人記者団とが一緒になって、香港の中国人女性記者を公然と「嘲弄」した失態も記憶に新しい。かくして、安倍一派が「ニッポンを貶めた」と吼える度に、この傲慢で恥知らずな島国は国際的に孤立する。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜1(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:182「生きている主イェス」、続唱聖歌:335「よろずのもの 永遠に治む」、奉献聖歌:513「主よ わが身をとらえたまえ」、陪餐聖歌:256「地に来たまいし神」、派遣聖歌:535「あなうれし わが身も」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「過去の克服・二つの戦後」 ヴァイツゼッカー著、山本務訳(日本放送出版協会・1994年)
・「無原罪の聖母 M・コルベ神父のことば集」 セルギウス・ペシェク編(聖母文庫・1990年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする