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私が育ってきたカウンセリングの場

2016年12月11日 11時10分30秒 | 個人カウンセリングのご案内
 人はたぶん(私も含め)、年をとるにつれて他人に教えたがるものらしい。
長年なんて言葉が陳腐になるほど、半世紀以上もカウンセリングに関わっていらしたS先生ですら、80歳を過ぎた頃からはご自分を律する時間が短くなっていた。
お会いした時のメスのような鋭さには、痛さよりもあっぱれというか、どういう修行を積んだらこんな人間になるのだろうと、畏敬の念しか湧かなかった。
痛くて見事すぎて、この人には私の心が透けて見えるようだ、隠しようがないと感じたのを覚えている。
 どんなに請うても、お願いしても何ひとつ教えることのなかった師に、一度だけ尋ねたことがある。
「どうして先生は、いつもなんにも教えて下さらないのですか?」と。
師、応えて曰く、「教えたところで、あなたの役に立たないからですよ。」と言われた。
そのあと、私は質問を変えた。
すると師は、「・・・高橋さんにそう思えるのなら、その思いのところで、どんどんやってください。大いにやってください。」と応じられた。
こんな会話から、どれほどの月日が経ったことだろうか?

 巷に溢れている、自らは決して動こうとしない人たちに、当たり前のようにテーマを与えてしまう、カウンセリングという名のワークショップ。
そちらの方が今は主流だ。主流というよりも、ほぼそれしかないのが現実だと思う。
手っ取り早いからだろうか、それとも?

けれど、自分を素材にして挑んでいくカウンセリングの、言い知れぬワクワク感、筋書きのないドラマ、その危うさがどれほどまでに私を奮い立たせたことか、未熟な私にどれほどの成長をもたらしたことか。
何一つ形のないところから生まれてゆく人と人との関わり、その醍醐味に、何度、涙したことだろう。
急に懐かしさがこみ上げてきた。



 追記
 私が現在行っているカウンセリングは、質問され、応えた方がいいと判断した場合には、できるだけ自分の経験に基づいて応えるようにしています。
そしてこれもできる限り、本当にできる限りですが、こちらからの質問はしないようには心がけています。
上記が、今の私にできるカウンセリングのレベルです。
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