10年くらい前の八戸だったと思う、私に教えてくれた人がいた。
大人とは?
待てる人、
自分が責任になれる人。
その後、毎年、手帳を変えるたびにこの言葉を移しとった。
たった三行の文字。
待てるとは、誰かが動くまで待っているだけの人とは、まったく違う。
そんな受け身の待つではなく、もっと自主的に待つことをやる。
目の前の人を生かすため、その人の邪魔にはならず、彼が動くまで寄り添える人。
はやりの言葉で言うと、見守るになるのかな~。
ただしこの見守るは、最近では言葉だけが独り歩きしてしまい、
どうも、使いすぎの薄っぺらさがあって気に入らない。
自然に寄り添う、の方が私は好きだな。
潮が満ちるまで、言葉を発しなくとも座っていられる人。
この表現でもいいのかな。
自分が責任になれるとは、起きていること・起きてしまったことに対して、
自分を主語にして、言葉を発っすることのできる人。
つまりは、決して人のせいにはしない人。
物事を自分で引き受けている人。
自分が理由になれる人。
自然に待てる余裕を持っている人・・・
クドクドと書いてみて、この二つの凄さにため息しか出なかった。
はあ~
私は、まだまだまだまだ・・・だわ。
大人とは?
待てる人、
自分が責任になれる人。
その後、毎年、手帳を変えるたびにこの言葉を移しとった。
たった三行の文字。
待てるとは、誰かが動くまで待っているだけの人とは、まったく違う。
そんな受け身の待つではなく、もっと自主的に待つことをやる。
目の前の人を生かすため、その人の邪魔にはならず、彼が動くまで寄り添える人。
はやりの言葉で言うと、見守るになるのかな~。
ただしこの見守るは、最近では言葉だけが独り歩きしてしまい、
どうも、使いすぎの薄っぺらさがあって気に入らない。
自然に寄り添う、の方が私は好きだな。
潮が満ちるまで、言葉を発しなくとも座っていられる人。
この表現でもいいのかな。
自分が責任になれるとは、起きていること・起きてしまったことに対して、
自分を主語にして、言葉を発っすることのできる人。
つまりは、決して人のせいにはしない人。
物事を自分で引き受けている人。
自分が理由になれる人。
自然に待てる余裕を持っている人・・・
クドクドと書いてみて、この二つの凄さにため息しか出なかった。
はあ~
私は、まだまだまだまだ・・・だわ。
深い言葉ですね。
今、日下紀子さんの『不在の臨床』を読んでいて、そこでも、「待つ」ことの大切さが述べられています。
実際のところ、
自分ではあまりにできないので、
せめて言葉だけでもと思い、
書いてみました。
コメント、ありがとうございます。