エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

秋の終わり

2017年10月25日 | ポエム
秋の終わりに、必ず聴く曲。
石川啄木の「一握の砂」にある、初恋。
テノールで聞くのが一番沁みる。


越谷 達之助: 初恋 志摩大喜



秋の終わりは、夏から秋へと移ろう季節の静寂でもある。
何人かの歌声を聴いてみたけれど、彼の声が一番沁み入ってきた。

ソトヴォーチェが、見事だからだろう。
声を抑えて、高音を情緒深く歌うのだ。







「惻々とうたかたの事秋惜しむ」







今日も雨。
一番下の孫の運動会が、これで三回流れた。
明日が四度目の正直、運動会が出来そうである。

この孫にとって、幼稚園最後の運動会。
そうだ!
明日の為に、てるてる坊主を吊そう。


      荒 野人


秋の道

2017年10月24日 | ポエム
本文に入る前に、昨日記述した「ヤーゴの信条」を・・・
時間がありましたら、お聞き下さい。

Aria"Credo in un Dio crudel -OTELLO- ヤーゴの信条


バリトンの良く響く声こそ、このアリアに相応しい。
ぼくの好きなアリアの一つ、である。

さて、今日は秋の道について語ろう。



台風一過の林の道。
人とは、なかなか擦れ違わない。

林の深さが、沁みてくる道である。

八ヶ岳の麓に出かけ、落葉松の林に入りこむと人とは会わない。
その感覚である。







「空の果雲の流るる柿の秋」







秋の道を歩いて、帰宅途中の景色である。
見上げれば、柿の秋が。

木守柿も間もなく見られるだろう。
家の近くの電気屋さんで、柿をバケツ一杯頂いた。
「吊すと良いよ!」
いつも、気にかけて頂いている。

有り難い隣近所さんである。


      荒 野人

闘いすんで秋日和

2017年10月23日 | ポエム
喧噪の総選挙が終わった。熱狂の・・・と云えない一抹の寂しさはあるけれど。 午前の早い時間から台風は去って、秋日和が広がっている。抜けるような秋空が広がっているのである。



 一点の曇りの無い空は、無辺広大と形容しても良かろう。
 どこか一点、傷をつけてしまいたくなるのである。サディスティックな思いに駆られてしまう。
 秋は、秋愁であると同時に残酷な季節であるのかもしれない。


 選挙の最終日、ぼくは二つの新党の打ち上げの駅頭演説会に出かけた。
 一つは、立憲民主党。
 もう一つは、希望の党。
 こおの選挙の結果、国民の審判は秋同様に残酷なものであった。希望は、絶望となり失望の嘆息でさえあった。
 もう一方の立憲民主党には、秋が綻んだ。秋日和である。
 政治家の信念と、言葉の重みを痛感する選挙でもあった。







「総選挙闘いすんで秋日和」







あるオペラのアリアが、頭の中に浮かんだ。
オペラ「オテロ」。
ベルディの作曲である。
アリア「ヤーゴの信条」

その歌詞に、こんなくだりがある。

私は信じる。
信心家なんてふざけた道化役者だ
外面も心の中も
全て偽善だと
涙も、接吻も、流し目も、
犠牲も、名誉も、



私は信じる。
人間なんて揺籃内の若芽の時から
墓場で蛆虫になるまで
不公平な運命のゲームだと
そしてさんざん茶番した後は死だ。
このアリアの前のレシタティーボでは、こう語る。
おまえの魂胆は分かっている。
おまえを駆り立てるのはおまえの悪魔だ。そして悪魔はこの私だ。
そして私を動かすのは私の悪魔だ。
私が信じる私の悪魔。
無慈悲なる神。



無慈悲な選挙結果であっても、政治家は受け入れなければならない。
それが選民の宿命、である。
この選挙通じて、ぼくの友人の何人かは職を失った。候補者であったり議員秘書であったりする
立場の違いはあっても、大切な友人たちである。
ヤーゴは現在に甦ってはならない。
悪魔はパンドラの箱に閉じ込めておこう。
永訣の朝、である。

      荒 野人

第48回衆院選等開票日

2017年10月22日 | ポエム
昨日が、選挙戦の最終日。
各党党首が、選挙戦の総決算の打ち上げ演説をする。
選挙戦を通じて様々なメルクマールがあるけれど、この最終日こそがポイントである。
その政党の勢いが見えるからである。



今日は、朝からしっかりと台風の余波の大雨である。
けれど、昨日はまだまだ優しい雨だった。

その小降りを狙って、ぼくは新宿に出かけた。
立憲民主党の勢いを確認したかった、からである。
新宿の後は、池袋西口に行く予定にしていた。
池袋西口は、選別を旨とする希望の党。
行く予定は、サラサラ無かったけれど出かけた序でであった。



新宿の写真である。
これは、打ち上げ予定時間の1時間半前。
もう人が集まり始めている。







「こみあぐる万感の秋総選挙」







新宿南口バスタ前は、人が溢れている。
立憲民主党の勢いが、溢れていたのであった。

あの、民主党が政権を獲った選挙の最終日に酷似。
けれど、決定的に違う事があった。
自然発生的な、党首の名前のコールである。
そして、党名のコールであった。

このウエーブは凄かった。
東京一区の候補者「海江田万里」の演説もキレキレ。
迸るパトスに、集まった支持者は夫々に同意の声を上げる。

いよいよ枝野代表が登場する。
幹事長の福山哲郎参議院議員、が一緒に登壇。

興奮が爆発する。
演説内容の熱さに、ぼくも興奮したのであった。
キレキレの演説が、荒天を跳ね飛ばす。
この新党の勢いそのもの、であった。

枝野コールを後にして、ぼくは池袋に向かった。
時間は、サラサラ無かった小池女史の演説時間25分前。



この集まり具合。
立憲民主党に比べると、小池女史の演説時点で集まり具合はほぼ十分の一程度。
勢いが感じられない。
失速の晩秋、を感じる時間であっただろうと思う。
これも、哀れ。
人は選別される事や、サラサラ相手にされない事が厭なのだ。

候補者の演説前には、選対幹部の挨拶や紹介。
商店連合会会長、豊島区観光協会名誉会長、町会連合会会長、東京商工連合会開帳など・・・。
フルっ!
旧態然とした選挙戦。
古い!



今回の選挙を通じて「僕のものの考え方」のグラスルーツを確認した。
団塊の世代のグラスルーツでもある。
自由であり、民主主義であり、自らが生み出した文化の尊重である。

今夜の開票結果、楽しみである。
自公の議席が300議席超との、世論調査がある。
それでも良い。

憲法無視の、自民と公明の連立政権への反攻が今夜から始まるのである。
ぼくはいま、俳句の世界でせいひつを旨とする時間を大切にしている。

だがしかし、新たな社会的地平を切り開く喧騒はあって良い。
その渦中に、いたいものである。


       荒 野人

秋明菊

2017年10月21日 | ポエム
鮮やかな秋桜は、秋明菊をもって嚆矢とする。
嗚呼、きっと今ごろ八ヶ岳の麓では風を受けて揺れているだろう。



白は、秋の色。
秋を体現する花である。



ピンクは、きみの紅潮した頬の艶やかさである。
手に触れた瞬間、きみはうち震えたのだった。

秋明菊は、そんな妄想を抱かせてやまない。







「触れ合うてきみの震えや秋明菊」







昭和記念公園のコスモスの丘は、どうなっているのだろうか?
今年も又、会いに行きたいものだ。



取り敢えず、秋明菊で満足しておこう。
車を運転して遠出するのは、まだ自信が無い。
来月には、八ヶ岳の麓へ出かけなければならない。

それまでは、体調を整えておこうと思っているのである。



      荒 野人