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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

渡来系の人々の精神的拠り所・・・高麗神社

2011年09月25日 | 日記
渡来系の人々によって、古代日本の文化が育まれた。
この事実は揺るがない現実である。

そのシンボルが日高市にある高麗神社である。
この神社の宮司は初代から、渡来した王族の直系が勤めているのである。



これは神社の駐車場に建っている将軍標(ジャングンピョ)である。
すでに韓国の文化をイメージさせるアプローチである。

この将軍標は西武池袋線の高麗駅の広場にも建てられている。
高麗駅の将軍標は何度か再建されており、初めて立てられたのは高麗駅の方が早いのである。
因みに、高麗駅前のものは木製である。



鳥居である。
正しく、ここからが高麗神社の境内であって結界であることを知らしめている。

ここは、埼玉県内の「パワースポット」の一つであるともされている。

この鳥居をくぐって、身を清めるのである。
「みすぎ」を行い、敬虔な気持ちになっていく。



厳かに本殿に向かう参道である。



途中、山に分け入る枝道があって境内の懐の深さが感じられる。



参道には杉が並木をなしている。
それほど古い並木であるとは思えないけれど、その杉を植えた人々の名前が歴史を思わせるのである。

曰く、濱口雄幸、若槻禮次郎、斎藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが木札に名を残している。
これらの名前は全員が総理大臣となっていることもあり、高麗神社は「出世明神」と崇められているのである。



668年唐・新羅に滅ぼされた高句麗からの帰化人を移し置いたもので、703年には高句麗王族とされる高麗若光に朝廷から王(こきし)姓が下賜されている。
高麗神社はこの高麗郡の郡司・高麗若光を祭るのである。
近くに、この高麗家の菩提寺もある。
因みに、神仏習合の時代には高麗家は修験者として別当を勤めていたのであった。

高麗神社、正に渡来系の歴史が脈打っている場所である。
参考までに記載しておくけれど、西日本及び関東地域には高麗神社は数多く点在している。
その際「巨摩神社」と表記されている場合もあるのである。

わが八ヶ岳の麓は、「北巨摩郡」であるけれど「高麗神社」が鎮座している。



境内で猫が一匹、エクササイズをしていた。
変な猫である。

だがしかし、面白い猫である。




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 荒野人