山の中というのは、誠に清々しいのである。
たとえば植物にしても、生き物にしても生気に満ち溢れている。
「そま道」と言えば、いわば「きこり道」である。
あるいは「たきぎ」を切り出す山道といった程度の意味合いである。
家の裏道もそのカテゴリーに入るであろう。

狭い道であるけれど・・・。
だがしかし、そのそま道にこそ生き物が饗宴を繰り広げる空間が広がっている。
こうした道も最近では少なくなってきている。
「きこり」という生業(なりわい)が無くなってきているからである。
その分山は荒れてしまったのである。
珍しいそま道に紅白の萩が咲き乱れていた。

紅である。

白萩である。
こうして毎年毎年咲いてくれるのだろう。
その意気や良しとしよう。
健気なのである。

赤と白萩が織りなす山すがた 荒野人

赤の水引である。
水引にも赤と白があるけれど、このそま道では見つけられなかった。
水引やすらりと伸びて風を切る 荒野人

山というのは汚れているようでいて、実は清潔なのである。
自然の浄化力は逞しい。

最近の山道である。
コンクリートが敷き詰められ、狭さ以外は都会の道と同じである。

ブリキの屋根、鉄の釘、それらは酸化して自然に還る。
現在に生きるヒトがゴミを造ってしまったのである。
石油製品など、自然に還らない物質こそがゴミの正体である。
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荒野人
たとえば植物にしても、生き物にしても生気に満ち溢れている。
「そま道」と言えば、いわば「きこり道」である。
あるいは「たきぎ」を切り出す山道といった程度の意味合いである。
家の裏道もそのカテゴリーに入るであろう。

狭い道であるけれど・・・。
だがしかし、そのそま道にこそ生き物が饗宴を繰り広げる空間が広がっている。
こうした道も最近では少なくなってきている。
「きこり」という生業(なりわい)が無くなってきているからである。
その分山は荒れてしまったのである。
珍しいそま道に紅白の萩が咲き乱れていた。

紅である。

白萩である。
こうして毎年毎年咲いてくれるのだろう。
その意気や良しとしよう。
健気なのである。

赤と白萩が織りなす山すがた 荒野人

赤の水引である。
水引にも赤と白があるけれど、このそま道では見つけられなかった。
水引やすらりと伸びて風を切る 荒野人

山というのは汚れているようでいて、実は清潔なのである。
自然の浄化力は逞しい。

最近の山道である。
コンクリートが敷き詰められ、狭さ以外は都会の道と同じである。

ブリキの屋根、鉄の釘、それらは酸化して自然に還る。
現在に生きるヒトがゴミを造ってしまったのである。
石油製品など、自然に還らない物質こそがゴミの正体である。

荒野人