大河ドラマ「平清盛」で、こんなやりとりがある。
将来の夢を語る清盛(松山ケンイチ)、源義朝(玉木宏)、佐藤義清(藤木直人)の会話だ。
源義朝は言う。
「俺はますます強さを磨き、王家に武士の力を思い知らせたい」
佐藤義清は、
「いかなる世においても美しく生きることが私の志だ」
そして清盛は、
「俺は……おもしろう生きたい!」
三人三様。
若者らしい夢だ。
源義朝の「俺はますます強さを磨き、王家に武士の力を思い知らせたい」はかなり具体的。
〝美しく〟〝おもしろく〟といった形容詞を使っている佐藤義清と清盛とは大きく違う。
この発言の根底には、王家や貴族の下で犬のように扱われている<武士>の鬱屈がある。
佐藤義清の〝美しく生きたい〟という願いは、いかにも義清らしい。
後に義清は武士を捨て、古今和歌集などに名を連ねる<西行法師>として生きるのだが、和歌の世界こそは〝美しい世界〟。
一方、義清が捨てた武士の世界(=宮廷)は欲と権謀術数が渦巻く醜い世界。
美しく生きたい義清とっては、こうした醜い世界が我慢できなかったのだ。
そして清盛。
「俺は……おもしろう生きたい!」
先程、述べたように〝おもしろい〟は形容詞で、人によって様々に解釈できる抽象的な言葉だ。
ある人にとってはおもしろいことが、ある人にとってはおもしろくない。
では、清盛が言う〝おもしろく〟とは、どういうことなのか?
以下のようなやりとりがある。
清盛の母・舞子(吹石一恵)と、後に清盛をもらって息子にする平忠盛(中井貴一)の会話だ。
舞子 「遊びをせんとや生まれけむ。
戯れせんとや生まれけん。
遊ぶ子供の声聞けば、わが身さえこそ動(ゆる)がるれ」
忠盛 「遊ぶため、戯れるために生まれてきたとは……。
生きることは子供の遊びのように楽しいことばかりではない」
舞子 「されど、苦しいことばかりでもありませぬ。
うれしいとき、くるしいときさえも、子供が遊ぶときみたいに夢中になって生きたい。
そういう歌だと思って、私は歌うております」
忠盛 「夢中で……生きる……」
舞子 「いつか、わかるのではござりませぬか。夢中で生きていれば。
何のために太刀をふるっているのか。何故武士が今の世を生きているのか」
清盛は母・舞子の言葉を受け継いでいる。(お腹の中で聞いていたのだろうか?)
以後、清盛は〝夢中〟になって生き、〝何のために太刀をふるっているのか。何故武士が今の世を生きているのか〟を追及するために生きていく。
やはり「平清盛」は名作だ。
せりふのひとつひとつが実に深い。
放送が終わって何年も経つのに、僕の中では、「遊びをせんとや生まれけむ」が残っている。
将来の夢を語る清盛(松山ケンイチ)、源義朝(玉木宏)、佐藤義清(藤木直人)の会話だ。
源義朝は言う。
「俺はますます強さを磨き、王家に武士の力を思い知らせたい」
佐藤義清は、
「いかなる世においても美しく生きることが私の志だ」
そして清盛は、
「俺は……おもしろう生きたい!」
三人三様。
若者らしい夢だ。
源義朝の「俺はますます強さを磨き、王家に武士の力を思い知らせたい」はかなり具体的。
〝美しく〟〝おもしろく〟といった形容詞を使っている佐藤義清と清盛とは大きく違う。
この発言の根底には、王家や貴族の下で犬のように扱われている<武士>の鬱屈がある。
佐藤義清の〝美しく生きたい〟という願いは、いかにも義清らしい。
後に義清は武士を捨て、古今和歌集などに名を連ねる<西行法師>として生きるのだが、和歌の世界こそは〝美しい世界〟。
一方、義清が捨てた武士の世界(=宮廷)は欲と権謀術数が渦巻く醜い世界。
美しく生きたい義清とっては、こうした醜い世界が我慢できなかったのだ。
そして清盛。
「俺は……おもしろう生きたい!」
先程、述べたように〝おもしろい〟は形容詞で、人によって様々に解釈できる抽象的な言葉だ。
ある人にとってはおもしろいことが、ある人にとってはおもしろくない。
では、清盛が言う〝おもしろく〟とは、どういうことなのか?
以下のようなやりとりがある。
清盛の母・舞子(吹石一恵)と、後に清盛をもらって息子にする平忠盛(中井貴一)の会話だ。
舞子 「遊びをせんとや生まれけむ。
戯れせんとや生まれけん。
遊ぶ子供の声聞けば、わが身さえこそ動(ゆる)がるれ」
忠盛 「遊ぶため、戯れるために生まれてきたとは……。
生きることは子供の遊びのように楽しいことばかりではない」
舞子 「されど、苦しいことばかりでもありませぬ。
うれしいとき、くるしいときさえも、子供が遊ぶときみたいに夢中になって生きたい。
そういう歌だと思って、私は歌うております」
忠盛 「夢中で……生きる……」
舞子 「いつか、わかるのではござりませぬか。夢中で生きていれば。
何のために太刀をふるっているのか。何故武士が今の世を生きているのか」
清盛は母・舞子の言葉を受け継いでいる。(お腹の中で聞いていたのだろうか?)
以後、清盛は〝夢中〟になって生き、〝何のために太刀をふるっているのか。何故武士が今の世を生きているのか〟を追及するために生きていく。
やはり「平清盛」は名作だ。
せりふのひとつひとつが実に深い。
放送が終わって何年も経つのに、僕の中では、「遊びをせんとや生まれけむ」が残っている。
清盛の生母舞子は、宗子(→池禅尼)にとって強烈な嫉妬の対象でしたね。
舞子は初回1話だけの登場でしたが、私にとっては鮮烈な印象を残した女性でした。
コウジさんが引用された忠盛との会話は、二人が心を通わせてから唯一のまとまった会話だったと記憶しています。
問題の会話は舞子が洗濯しようと申し出た忠盛の衣服が血で汚れていたのを見た直後のものでした。
これは、舞子は忠盛の保護を受けながらもまだ心を開いておらず、「血に汚れた武士」と忠盛を罵倒してしまったさらにその前のシーンを受けていました。
だから、ここでの舞子の言葉は「血に汚れた武士」として悩む忠盛のすべてを受け入れての「愛の言葉」だったわけです。
次の場面では忠盛が河原で鹿角を贈った直後に舞子は捕らわれ、一挙に白河院面前の場面での「妻としたい」との宣言、清盛の寄託、そして舞子の死へと進んでしまいました。
この強烈な展開の結果、舞子は忠盛の心の中のみに生きる「妻」として永遠化したわけです。
今、出張中の出先で録画を見ることはできないのですが、一視聴者に過ぎない私でも、今なおありありと記憶に残っています。
それだけの重みをもった言葉だからこそ、舞子の言葉は作品全体の柱となり、それは最終回までブレることはありませんでした。
>以後、清盛は〝夢中〟になって生き、〝何のために太刀をふるっているのか。何故武士が今の世を生きているのか〟を追及するために生きていく。
私も
>やはり「平清盛」は名作
毎回、次週どうなるか、1週間待ち遠しいドラマだった
と思います。
いつもありがとうございます。
TEPOさんは、舞子についてオンエア当時から熱く語られてしましたよね。
僕は古本屋で「平清盛」のムック本を見つけて再考しているのですが、「血に汚れた武士」と罵倒したのは忘れていました。
それと、<舞子の言葉は作品全体の柱>になっていたんですね。
>舞子は忠盛の心の中のみに生きる「妻」として永遠化したわけです。
もしかして、「真田丸」の梅と春の関係はこれがルーツ?(笑)
でも、大河ドラマをよく見て研究されている三谷幸喜さんならリスペクトとして、あり得るかもしれませんね。