平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「光る君へ」 第15回「おごれる者たち」~わが家より帝が出る! われ関白となる!

2024年04月15日 | 大河ドラマ・時代劇
 道長(柄本佑)と伊周(三浦翔平)の弓合戦競べ。
 それぞれの願いを言うことになって、
「わが家より帝が出る!」
「われ関白となる!」
 熱くなってしまう道長。
 このベースには道隆(井浦新)の専横に対する怒りがあるのだろう。
 甥の伊周に対しては、
「お前、いい加減にしろよ。国はお前のためにあるのではない。私物化するな」
 という怒り。

 ぼんやりしているが、道長、なかなか熱い人物である。
 自暴自棄の兄・道兼(玉置玲央)に対しては、
「もう兄上は父上の操り人形ではありません。好きなように生きて下さい」
「この世で幸せになってもらいたい」
「兄上は変われます。この道長がお支えします」
 道兼は父親に愛されることをひたすら求める人物だった。
 愛と憎は表裏一体。
 愛を求めていたのに拒まれて憎しみに走った。

 左大臣・源雅信(益岡徹)は家族に看取られて幸せな往生。
 自分の死で、道長の出世が止まってしまうことを詫びると、
「権大納言なら十分です」~穆子(石野真子)
「わたくしは幸せでございます」~倫子(黒木華)

 この一家を見て道長は何を思ったのだろう?
 呪詛を受けてひとり死んでいった兼家(段田安則)。
 家族に手を取られて死んでいった雅信。
 どちらが幸せな人生だったのか?

 今回は道長メインの回だった。
 さまざまな出来事が道長を少しずつ変えていっている。
 本来なら、まひろ(吉高由里子)に向かうはずだった熱い心はどこに行くのか?
 …………………………………………………………………

 ききょう(ファーストサマーウィカ)は中宮・定子(高畑充希)で出会った。
「定子である」
「きれい……!」
「今よりそなたを清少納言と呼ぼう」
 清原の少納言。
 近親者に『少納言』がいないので、どうして『少納言』と呼ばれたのか、文学史上の謎だが、
 本作では「定子の勘違い説」を採用した。
 定子のサロンに入るにあたっては高階貴子(板谷由夏)の顔をつぶす一幕も。
 貴子が「ききょうには少納言の夫がいる」と語ったことに対し、
「夫とは別れましたし、少納言ではありませんわ」笑
 忖度しない、ききょう様!
 いかにも『清少納言』という感じがする。
 そして、ききょうはまひろ以外に友だちがいない……?
 サロン入りを報告する相手はまひろしかいなかった……!笑

 まひろはさわ(野村麻純)と石山詣。
 行く時は、老後もいっしょに過ごそうと盛り上がったのに、道綱(上地雄輔)の件で、
 さわはまひろと喧嘩。
 女性の友情はかくも脆い……?笑
 男で簡単に壊れる……?笑

 ききょうといい、あの手、この手で、人物を魅力的に描く大石静さんの筆である。

 石山寺では道綱の母・寧子(財前直見)に出会った。
「わたしは日記を書くことで悲しみを救いました」
「日記を書くことで妾の痛みを癒したのでございます」
 この言葉でまひろは『書いて自分を表現すること』に目覚めた様子。
 ききょうや弟・惟規(高杉真宙)が前に進む中、停滞感に悩んでいたまひろが道をすこし見出した。
 ちなみに史実では、石山寺は、紫式部が月を見て『源氏物語』の着想を得た場所らしい。
 ドラマ本編でもまひろは月を見ていた。
 巧みに史実を絡めてくる大石静さんの筆である。


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4 コメント

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今回箇条書きで (2020-08-15 21:07:49)
2024-04-15 19:13:35
気がついた点をいくつか

1.38分頃からのBGMが、ラフマニノフ作曲の、ピアノ協奏曲第2番、第2楽章の最後の数十小節にそっくりで、クスリと笑えます。
2.内廷費と宮廷費の混同、さすが道長さん鋭いです。西太后の頤和園建設の流用にもあるように、国が滅びるもとになります。除目より、こちらの方が状況としてはるかに深刻なわけで、これこそが「異常中の異常」のはずですが、ロバート実資さんが特にこれについてコメントしないのは、まだ知らないのか、知っていてもピンとこないのか、もし知っていてピンとこないのだとすれば、実資さんの限界を描いているんでしょうね。
3.疫病を突っこんできました。川を流れる死体役の人たちはお疲れ様ですが、先日の生首といい、今回の大河は容赦ありませんね。大石さん、やはり「社会」と絡めていきたいようです。この疫病で次回あたりにまた展開があるんでしょう。
4.高畑充希の中宮さま、前回はティーンエイジャーの顔になっていましたし、今回はちゃんとオトナの女性の顔になっていました。おそらく「変顔芸」の一種でしょうけど、器用なんですね(笑)。

今作は多角的に話が進んでます。
平安ネタなんてつまらないだろうと思っていたら、なかなかどうして、大したものです。
色々 (TEPO)
2024-04-16 01:43:44
>熱くなってしまう道長。
これは今後展開されるであろう伊周との確執の暗示。
おそらく道長は、最初は伊周の取り巻きたちと同様、適当に負けてやって早々に辞去するつもりだったと思います。
しかし、伊周の執拗な挑発に乗って本気(弓の腕はおそらく道長の方が上)を出してしまう。
「わが家より帝が出る!」→道長は真ん中に命中、伊周は的には当てるものの真ん中ではない。
「われ関白となる!」→伊周は大外し。道長は道隆の命により中止したが、射ていたらおそらく真ん中に命中。
この結果は、その後の両者の運命を示していると言えます。
「的の真ん中」はズバリ自分の子孫ですが、「的には当てるものの真ん中ではない」というのは「わが家」の意味を「親戚」くらいに拡張した場合。

紫式部と清少納言とは仲が良いというイメージは無いのですが、本作では結構親密ですね。もっとも、
>ききょうはまひろ以外に友だちがいない……?
さもありなん。

>この言葉でまひろは『書いて自分を表現すること』に目覚めた様子。
>史実では、石山寺は、紫式部が月を見て『源氏物語』の着想を得た場所らしい。
そういうことだろうとは思いますが、実際にまひろが「紫式部」として文筆に生きるようになるのはいつのことでしょう。

源雅信は藤原兼家とは対照的な人物像でしたね。
野心の塊の兼家に対して、娘を溺愛する善良なパパ。
無論、雅信の方が幸せであり共感できる生き方ですが、まあ「左大臣なら十分です」ということでしょうか。
倫子も、自分が入内して妃にはならなかったものの、結果的に自分の娘たちが妃になることにより夫と共に栄華を極めることになります。
しかしそれは後のことで、現時点では道長と結ばれただけで「幸せ」と感じている模様。

しかしながら、予告編によれば倫子は「殿のお心にはもう一人の誰かがいる」と気づき、道長は瀕死のまひろ―おそらくは民の疫病にボランティア的に関わり自分も罹患したか―に声がけしている場面が。
ついに次回で「倫子様バレ」でしょうか。
確かに平安時代は面白い (コウジ)
2024-04-16 08:30:39
2020-08-15 21:07:49さん

いつもありがとうございます。

まだ録画を残しているので38分頃を聴いてみますね。

マジレスすると、実資の件は尺の問題でしょうね。
実資は主役ではないので、いちいち反応を描いていたら、尺がいくらあっても足りません。
おそらくあの場に実資がいたら道長と同じ反応をしていたでしょう。
ただ2020さんは実資推しですよね!

疫病。史実では結構有名な出来事みたいですね。
予告に拠ると、次回はまひろが病にかかり、文字を教えていた、たねの両親が亡くなる……?

高畑充希さん、どんな役でも自在に演じられる役者さんって魅力的ですね。

平安時代。おっしゃるとおり面白いですね。
今作をきっかけに平安時代の歴史を調べるようになりましたし、『枕草子』も違った視点で読めそうです。
これはいずれバレますね…… (コウジ)
2024-04-16 08:52:47
TEPOさん

いつもありがとうございます。

>伊周は的には当てるものの真ん中ではない。
これは親戚の家から帝が出ることを意味していたんですね。
なるほどです!
果たしてこれは演出なのか? 脚本の指定なのか?
それにしても芸が細かい。

まひろと清少納言の関係は、作家さん、自由に書いていますよね。
・マニアックな話ができる者同士の友情。
・まひろはたくましく生きている清少納言をすごいと思っている様子。
ただ後の歴史を考えると、定子推しの清少納言が彰子のサロンに入ったまひろをどう思うのか気になります。

出世欲のなかった雅信の気質は倫子にも受け継がれていたんでしょうね。
だから倫子は道長に出世を求めない。
ただ道長に対する独占欲はかなり強い様子。
次回は、まひろの病のことで心がそこにない道長を見て、明子とは違う女の影を感じるのでしょうね。

ただ、これはいずれバレますね……。
その時に倫子がどのような反応をするのか?

一方、明子。
彼女は権勢欲が旺盛のようですね。
兼家の呪詛を成し遂げて、新しい目標が見つけたのかもしれません。

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