平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「光る君へ」 第16回「華の影」~優雅な貴族社会と疫病で地獄絵図の民の世界

2024年04月22日 | 大河ドラマ・時代劇
「さて、おかみ、今日はなにをして遊びましょう?」
 定子(高畑充希)が問いかけ、そのまま『枕草子』の「香炉峰の雪」のエピソードへ。
 その後はみんなで楽しく雪遊び。
 優雅な平安貴族である。

 さて、ここからが脚本・大石静さんの意地の悪い所。
 優雅な宮中を描いておいて、今度は疫病で苦しむ庶民の姿を描いた。
 宮中は遊んでいるのに、庶民は生と死の間で苦しんでいるのである。

 このことは関白・道隆(井浦新)の言動によって強調される。
 道隆の専らの関心は──定子の後宮をきらびやかにすること。定子が帝の皇子を生むこと。
 疫病が流行って民が苦しんでいるという道長(柄本佑)が具申しても
「そのうち収束する」
「穢らわしきこと」
「疫病は下々の者しか罹らないもの」
 と言って、比叡山の祈祷以外の手を打たない。
 一条天皇(塩野瑛久)が心を痛めても対応しない。
 内大臣の伊周(三浦翔平)も関心がない。

 一方、民のために動く者もいる。
 現状を知るために「悲田院」に行こうとする道長。
 道兼(玉置玲央)は
「都のことなら俺が見にいく。汚れ仕事は俺の役目だ」
 道兼、ついに覚醒!
 マイナスの人間がプラスに転じた時、キャラは最高に輝く!
 そして、まひろ(吉高由里子)。
 たねのことで悲田院に行き、治療を手伝った。

 今回のサブタイトルは『華の影』だが、
 華(優雅な貴族社会)の裏には影(疫病で苦しむ民の世界)があるのだ。

 とはいえ、
 脚本の大石静さんは「優雅な貴族社会」を完全に否定していないとは思う。
 平安貴族の文化は素晴しいし、暇や遊びが文化をつくるし、
『下々の者のことは関係ない』と考えてしまうのは当時の貴族の限界だ、と大石さんは思っている。
 権力者とはこういうものだと暗に語っているのかもしれない。
 大切なのは、これを見た現代人が現在の政治をどう考えるか?
「聴く耳を持たない」岸田首相なんかは道隆に似ているし、
 二世三世議員や、いわゆる上級国民なんかは少なからず平安貴族と同じ発想をしていそう。
 ………………………………………………………

 道長の悲田院視察は、まひろとの再会をもたらした。
 疫病に倒れたまひろを看病して、
「久しいのう。なぜあそこにいた?」
「生まれて来た意味は見つかったのか?」
「逝くな! 戻って来い!」

 道綱(上地雄輔)からまひろのことを聞いた時は動揺したし、
 相変わらず、まひろ大好きな道長である!
 一晩中看病して、明子(瀧内公美)の時とはぜんぜん違う!

 そして、まひろと道長の関係の秘密は少しずつ公然のことに。
 まず父・為時(岸谷五朗)が知ってしまった。
 倫子(黒木華)も何かに気づいてしまった。

 まひろと道長の恋愛物語は終了したかと思っていたが、
 ここでもう、ひと山作りそうな感じだ。

『宮中の権力争い』と『恋愛話』
 大きな事件のない平安時代は退屈かと思っていたが、毎回ドラマチックである。


※追記
『香炉峰の雪』について

 清少納言は『枕草子』二九九段でこんなことを書いている。
『雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集りさぶらうに、
「少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ」
 と、おほせらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。
 人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり」と言ふ。』

 最後の部分だけわかりづらいので現代語に訳すと、
 人々は言った。
「そのようなこと(白居易の詩のこと)は知っていて、歌などに歌うけれど、思いもよらなかった。
(あなたは)やはり、この中宮様にお仕えする人としては、ふさわしいひとのようです」
 要するに、
 定子の『香炉峰の雪』の問いかけで白居易の詩を思い出し、御簾を上げた清少納言はすごい。
 という清少納言の自慢話である。笑


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4 コメント

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二つの世界を隔てる壁に風穴を (TEPO)
2024-04-22 17:13:25
>要するに、定子の『香炉峰の雪』の問いかけで…という清少納言の自慢話である。笑
以前、清少納言について「好感が持てなかった」と書きましたが、そう感じ始めたのはまさに授業でこの「香炉峰の雪」のくだりを読んだ時でした。
「生意気な生徒」だった私は、こんな下らない文章を「模範的なテキスト」として教科書に載せるのか、と思っていました。
もっとも、「源氏物語」に比べれば文体的に読みやすい―生徒視点から言えば「易しい」―のが取り柄、くらいの感じでした。

>優雅な宮中を描いておいて、今度は疫病で苦しむ庶民の姿を描いた。
分断されたこの二つの世界を隔てる壁に風穴を開ける。
おそらく、このことがまひろと道長の二人が直秀から受けた「影響」であり、今になっても二人が共有している世界なのでしょう。
だから、疫病をきっかけに二人は出会うべく再会した。

>道兼、ついに覚醒! マイナスの人間がプラスに転じた時、キャラは最高に輝く!
そうなんですが、単純に主人公に感情移入してしまう私の感覚では、まひろの母を理不尽に殺害した―無論、史実ではなく本作の世界でのことですが―道兼が急に「まとも」になったとしても「何を今更」といった感じです。
無論、「反道隆」という一点で道長と道兼とが接近するのは権力闘争の力学としては自然かと思います。
しかしそれだけではなく、今回の「別人のような顔つき」や道長を先導したりする描写からすると、最終的に道兼は「プラス」のキャラとして結構良い最期を遂げることになるのかもしれません。

他方まひろの方は、今回ひたすら状況に翻弄されていたように思います。
疫病に巻き込まれたのは「たね」がきっかけ。
結局、たねも死んでしまったのに、病気の子供たちが放っておけなくて「ボランティア活動」に突入。
しかし本作は「武士もの」ではないのに、母上、直秀、たねと容赦なく人を死なせてゆきますね。

翻弄と言えば、さわの僻み騒動。
まひろには何も落ち度が無い―敢えて言えば責任は道綱にある―のに、気の毒なことでした。
しかし、さわのこうした理不尽な感情、ネット上では「自分のことにように感じた」との声もあるらしく、人間心理の現実なのかもしれません。
予告編によれば、「意外な人物がまひろを訪ねてくる」とのことですが、おそらくそれはさわで、再び和解するのでしょう。

>倫子も何かに気づいてしまった。
これまた予告動画では「まことに私の文と同じ」とのまひろの台詞。
筆跡を追及されていよいよ「倫子様バレ」でしょうか。
倫子の「笑い」には結構「凄み」があり、今回の副題「華(黒木さんの名前でもある)の影」にはダブルミーニングがあるとの声があるようです。
三角関係の悶着があるとすれば、そろそろ勃発しても良い頃合いかと思います。
いずれは、まひろ、道長、倫子の三者に安定した好意的関係が再構築されなければなりませんので。
返信する
「花郎」と「光る君へ」 (コウジ)
2024-04-23 09:05:04
TEPOさん

いつもありがとうございます。

『香炉峰の雪』
確かになぜ教科書で採用されたか、わかりませんね。
・清少納言の人柄を紹介したかったからなのか?
・漢文や和歌の教養が試される平安サロンを紹介したかったのか?
ネットでは『香炉峰の雪』の実写化ということで盛り上がっているようです。

貴族社会と庶民の社会に風穴を開ける存在。
確かに直秀の死があったから、まひろも道長も庶民の死と向き合えるんでしょうね。
直秀の死があまりにも強烈だったから、ふたりの心に深く刻まれ、ふたりの核になっている気がします。

>ネット上では「自分のことにように感じた」との声もある
僕もXで見ましたが、さわ役の野村麻純さんが『面倒くさい女ですみません』みたいなポストをしていて、それに対するリアクションのようです。
僕も本編を見てXで確認し、場合によっては5ちゃんねるもチェックするという作業をしていますが、今はドラマとSNSとの連携は不可欠のようです。

道兼は変わりましたね。
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という感じなのでしょうか。
今回は同じ内大臣として、道兼が伊周に「疫病のことをどう考える?」と尋ねるシーンがありましたが、現在の悪役である伊周にこう問いかけたのは面白かったですね。
道長が道隆を「兄上」ではなく「関白」(「関白に話しても仕方がない」)と呼んだのも面白かったです。

倫子さんの笑いは何なんでしょうね?
普通なら嘆き悲しむ所ですが、負けないわ、という意思表示なのでしょうか?
いずれにしても肝の据わった女性です。
一方、政争には興味がなくて彰子を入内させたくない様子。
型にはまらない面白い人物ですね。

「疫病」のエピソードだったので『花郎』を思い出しました。
『花郎』では疫病で民が死んでいくことの心を痛めた花郎が薬草を貯め込んでいる大臣の館に盗みに入るという展開でしたが、イケメン集団・花郎=イケメン貴族集団・光る君へ、大石静さん、おそらく『花郎』を見ていますよね。
返信する
水漬く屍 (2020-08-15 21:07:49)
2024-04-23 21:51:57
>華(優雅な貴族社会)の裏には影(疫病で苦しむ民の世界)があるのだ。

これですね。
疫病をわざわざぶっ込んできた意図は、これでしょう。
エキストラを多数動員して、寒いのに川に死体役の人たちを浮かべたわけですから、コスト削減傾向の昨今のNHKとしては「異常中の異常」でしょう。
去年の「ど~する家康」の慶長年間地震のように「京で地震があったそうだ」の一言で済ませても十分ですから。
なのに、わざわざエキストラを大勢呼んで死体の山をつくったわけですよ。
「死体の山つくるんですか、悲田院のセットとエキストラのコストも考えると…」
と、NHKのディレクターさんが渋るのを
「これはゼッタイ必要なの、やりなさい」
と大石さんが頑として言い張るのが目に見えるようですが(笑)。

ただ、前回の終わりから続く、石山寺の帰り道は違和感でした。死体が川に浮かんでいるシーンが先週で、まひろさんにあれこれ嫉妬?の感情をぶつけるのは今週の冒頭ですから、ちょっとカットのつなぎが変なような気がしますね。
さんざん嫉妬をぶつけたあとで、死体の山と水漬く屍を見せる方が順番としてはよかったような気がします。
返信する
疫病描写 (コウジ)
2024-04-24 08:13:29
2020-08-15 21:07:49さん

いつもありがとうございます。

ネット情報の受け売りですが、この年の疫病は「天然痘」で日本の歴史上かなり悲惨なものだったようです。
作劇上でも、まひろを悲田院に行かせなければならず、疫病描写は必要だったんでしょうね。
とはいえ、この作品が「民」と「民を蔑ろにする悪性」を真っ正面から描こうとしているのは確か。
「疫病は下々の者しかかからない」という思想・価値観の時代ですから、描きやすいのかもしれませんね。

冒頭のシーンは僕も気になりました。
前回は、さわの劣等感<疫病だったのですが、
今回は、さわの劣等感>疫病で始まりました。

前回は尺に収まらなかったため、「さんざん嫉妬をぶつける」シーンをカットしてしまったのかもしれませんね。
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