「ここに聞きな。
あんたがうれしいだけじゃなくて、みんながうれしいのが一番なんだて」
「上に立つ者は下の者への責任がある。大事なものを守るのが務めだ」
「皆がそれぞれ自分の胸に聞き、動くしかないのだ。
誰かが守らなくてはな、この国は」
母、父、高島秋帆(玉木宏)の言葉をスポンジのように吸収していく栄一(小林優仁)。
子供だから柔軟なんですね。
でも……。
高島秋帆の言葉を聞いただけで、
「俺が守ってやんべ、この国を!」
となってしまうのはどうなんだろう?
少年・栄一に当時の日本の置かれている情勢がわかっているわけではない。
あまりにも素直、というか単純すぎるだろう。
脚本として、あまりにも荒っぽい。
一方、こういう所は丁寧というか冗長。
罪人・高島秋帆を岡部の代官屋敷に見に行こうと決める栄一ら子供たち。
夜、家の中で目が覚める→畑の中を走る→仲間と落ち合う。
今のドラマはこういう段取りを踏む必要はない。
見に行こうと決める子供たち→夜、仲間と落ち合う。
これだけで十分。
既視感もいっぱいだ。
大河ドラマの始まりの子供時代は必ず家族の描写が描かれる。
やや厳しい父がいて、やさしい母がいて、主人公は何らかのトラブルを起こして──
これ、そろそろやめてほしい。
おまけに岡部の代官屋敷に忍び込むのは、『西郷どん』で少年・西郷が島津斉彬の屋敷に忍び込んだのと同じ。
目を引いたのは、後に最後の将軍・徳川慶喜になる七郎麻呂(笠松基生)の描写。
七郎麻呂は優秀な息子であることに苦しんでいる。
父・徳川斉昭(竹中直人)に心服していないし、政治の道具に使われていることに気づいている。
『西郷どん』もそうだったが、慶喜って屈折した人物だったんだな。
で、こういう屈折した人物は魅力的。
栄一はこのまま尊皇攘夷に行くのだろう。
尊王攘夷は当時の若者達にとって、誰もがかかる火病のようなもの。
で、慶喜と絡むのか。
となると、やはり『西郷どん』の既視感?
作品カラーは『蒼』のようだが、今回は『緑』が印象的だった。
畑の中を走る栄一。
桑の畑があって、里芋の畑があって一面が緑。
このシーンは眼福だった。
ちなみに豆知識だが、『チコちゃんに叱られる』に拠ると、
昔は『緑』という概念がなくて、緑色はすべて『青』で表現されていたらしい。
だから信号機のススメは緑なのに『青信号』。
あんたがうれしいだけじゃなくて、みんながうれしいのが一番なんだて」
「上に立つ者は下の者への責任がある。大事なものを守るのが務めだ」
「皆がそれぞれ自分の胸に聞き、動くしかないのだ。
誰かが守らなくてはな、この国は」
母、父、高島秋帆(玉木宏)の言葉をスポンジのように吸収していく栄一(小林優仁)。
子供だから柔軟なんですね。
でも……。
高島秋帆の言葉を聞いただけで、
「俺が守ってやんべ、この国を!」
となってしまうのはどうなんだろう?
少年・栄一に当時の日本の置かれている情勢がわかっているわけではない。
あまりにも素直、というか単純すぎるだろう。
脚本として、あまりにも荒っぽい。
一方、こういう所は丁寧というか冗長。
罪人・高島秋帆を岡部の代官屋敷に見に行こうと決める栄一ら子供たち。
夜、家の中で目が覚める→畑の中を走る→仲間と落ち合う。
今のドラマはこういう段取りを踏む必要はない。
見に行こうと決める子供たち→夜、仲間と落ち合う。
これだけで十分。
既視感もいっぱいだ。
大河ドラマの始まりの子供時代は必ず家族の描写が描かれる。
やや厳しい父がいて、やさしい母がいて、主人公は何らかのトラブルを起こして──
これ、そろそろやめてほしい。
おまけに岡部の代官屋敷に忍び込むのは、『西郷どん』で少年・西郷が島津斉彬の屋敷に忍び込んだのと同じ。
目を引いたのは、後に最後の将軍・徳川慶喜になる七郎麻呂(笠松基生)の描写。
七郎麻呂は優秀な息子であることに苦しんでいる。
父・徳川斉昭(竹中直人)に心服していないし、政治の道具に使われていることに気づいている。
『西郷どん』もそうだったが、慶喜って屈折した人物だったんだな。
で、こういう屈折した人物は魅力的。
栄一はこのまま尊皇攘夷に行くのだろう。
尊王攘夷は当時の若者達にとって、誰もがかかる火病のようなもの。
で、慶喜と絡むのか。
となると、やはり『西郷どん』の既視感?
作品カラーは『蒼』のようだが、今回は『緑』が印象的だった。
畑の中を走る栄一。
桑の畑があって、里芋の畑があって一面が緑。
このシーンは眼福だった。
ちなみに豆知識だが、『チコちゃんに叱られる』に拠ると、
昔は『緑』という概念がなくて、緑色はすべて『青』で表現されていたらしい。
だから信号機のススメは緑なのに『青信号』。
私も取り敢えず「初回だけは」ということで見ました。
「既視感」ということで私もひと言。
冒頭、「こんばんは、徳川家康です」と言いながら北大路欣也さんが登場するという仕掛け(「ナビゲーター」というそうです)、若い視聴者には「受ける」との狙いかもしれませんが、1995年の「八代将軍吉宗」では江守徹さんの「近松門左衛門」が同じような役割を演じていました。
その江守さんが「篤姫」で演じていた徳川斉昭を今回は竹中直人さん。
甲冑姿で登場した時には秀吉にしか見えませんでした。
しかし、竹中さんは歴史上の徳川斉昭と顔が似ていると言われています。
まあ、「エキセントリックな殿様」には適役かと思います。
その徳川斉昭の扱いですが、「篤姫」では阿部正弘ら現実主義的幕閣の視点も入っていましたから「厄介者のご老公」というイメージでした。
しかし本作では手放しに「国難に対して立ち上がった名君」といった扱いに見えました。
斉昭は、水戸学を通じて全国的な「攘夷」熱流行の震源地となった人物と言えるので、その扱いには若干のイデオロギー性が入る可能性があります。
>父・徳川斉昭に心服していないし、政治の道具に使われていることに気づいている。
慶喜がどのようなスタンスで描かれるのかは一つのポイントかもしれません。
いずれにしても、視聴し続けるかどうかはペンディングです。
ノブナガがキングオブジパングで主人公の年は、ヒデヨシやイエヤスが悪者になりますし、ヒデヨシが主人公の年は、ノブナガやイエヤスが悪になります。
イエヤスが主役の年は、ノブナガやヒデヨシは愚か者扱いです。
まるでプロレスです。
トイレに行って戻ってきたら、北大路欣也が「こんばんは、イエヤスです」とノッシノッシと歩いていました。
志村けんの「そうです、わたしがヘンなおじさんです」を連想して、頭がクラクラしました。
ここでテレビの電源をオフにしました。
ただそれだけです。
いつもありがとうございます。
「吉宗」の近松門左衛門は、何となく記憶があります。
元禄時代を象徴するには近松門左衛門が適役ですよね。
今作の家康は「徳川250年は平和で文化も成熟したし素晴らしい」から入りました。
これは僕も同意見で、明治を否定する歴史観の作品なのかと思いましたが、単なるナビゲーションで終わりそうですね。
斉昭=水戸学=過激思想。
このイメージがあるので、斉昭がどういう立場で描かれるのか、確かに気になりますね。
息子を利用して家運隆盛を図るあたり、かなり俗物ですし、周囲の迷惑を無視して砲術訓練したり、君主は乾いていなければならないと強要する点は「エキセントリックな殿様」。
作品は慶喜視線で描かれるでしょうから、斉昭を良くは描かないんでしょうね。
僕は「知識」として見続ける予定ですが、ドラマとしては現状で疑問符です。
明治以降は大学をつくった『八重の桜』や製糸工場をつくった『花燃ゆ』路線になりそうですね。
いつもありがとうございます。
今作が「これは!」という作品でしたら、僕は必死になってお引き留めするのですが、今作はそうでもない感じですし、敢えて嫌いなものを見る必要はないと思います。
北大路欣也さんの「こんばんは、イエヤスです」は安っぽいので、やめてほしいですよね。
おそらく、2020-08-15 21:07:49さんのように、これで離れていった視聴者はかなりいるはず(笑)
TEPOさんがおっしゃっていた近松門左衛門には違和感がなかったんですけど、「こんばんは、イエヤスです」を毎回やるんですかね……。
ああ、その視点はなかったです。
北大路さんのような大物俳優の「こんばんはイエヤスです」は「初回限定スペシャル」かと思っていました。
もし、これから毎週毎週ノッシノッシと北大路欣也さんが出てきて「こんばんはイエヤスです」になるとしたら、う~ん、ちょっとアレ、胃もたれしますね。
「初回限定スペシャル」かもしれないです。
ただ僕は逆の発想で、北大路さんのような大物俳優が一回きりというのは逆に失礼という気もしています。