平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

鎌倉殿の13人 第36回「武士の鑑」~命を惜しんで泥水を飲めば末代までの恥! もうちょっと生きようぜ。楽しいこともあるぞ

2022年09月19日 | 大河ドラマ・時代劇
「いくさなど誰がしたいと思うか!?
 だが、ここで屈すれば臆病者のそしりを受ける。
 命を惜しんで泥水を飲めば末代までの恥!」

 畠山重忠(中川大志)のいくさは「権力」のためでも「自衛」のためでもなかった。
 ただ自らの誇りのために戦った。
 理不尽なことをされて自棄になったのではなく「筋」を通した。

 誇りのために死ぬ。
 自分の筋を曲げずに生き、死をも厭わない。
 美しいと思うが、僕は少し違和感を覚える。
 和田義盛(横田栄司)の「もうちょっと生きようぜ。楽しいこともあるぞ」の方が共感する。

「死力を尽くして戦おう」と言って別れる重忠と義盛のシーンよかったな。
 ふたりはお互いを理解し合っている。
 理解しているから義盛が「横から攻めて来る」ことがわかる。笑

 義時(小栗旬)とは殴り合い。
 殴り合いながらふたりは心の中で会話をしている。
 いったい何を話していたのだろう?
 ここには憎しみはない。悲しみがある。
 運命に流されてこうなってしまったことを嘆いている。
 義時は重忠の思いも理解している。
 重忠は前回言っていた「本当に鎌倉のことを思うのであれば、あなたが戦うべきは……」を訴えていたかもしれない。
 これまた和田義盛の時と同じ友情だ。

 いくさもなぁ。
 兵を動かしての殺し合いでなく、義盛の言う「腕相撲」でいいのに。
 それで勝敗を決めて、負けたら、ガハハッ! と笑い合う。
 だが、こうならないのが大人の世界……。
 さまざまなしがらみや生きて来てこびりついたものが人をがんじがらめにする。
 重忠がこだわった「誇り」などいうものもがんじがらめにするもののひとつ。

 ちなみに最近、僕の中で和田義盛の好感度爆上がりです!
 巴御前も死を選ばずに生きて、楽しい生活を送っている。
 和田義盛と巴御前の夫婦は、「生きていれば楽しいこともある」という三谷幸喜さんのテーマを体現している。
 …………………………………………………

「本当に鎌倉のことを思うのであれば、あなたが戦うべきは……」
 と重忠に言われた義時がおこなったのが、父・時政(坂東彌十郎)の排除。
 りく(宮沢りえ)の言動も極端になって来た。
 義時は時政排除のために策を弄する。
 妹の夫でもある 稲毛重成(村上 誠基) を犠牲にして、時政を政治的に葬るという謀略だ。
 義時は重成が時政を焚きつけたとして重成を殺害する。
 御家人達は重成がそんなことをするわけがないとわかっているから、執権・時政への不信は収まらない。
 現代風に言えば、政治家が「秘書がやりました」「官僚が忖度してやりました」と言う感じかな?
 結果、時政は力を失う。

 親戚の稲毛重成を屠って、父・時政をも排除する義時。
 そんな義時に政子は言う。
「おそろしい人になりましたね」
 義時は修羅の道を歩んでいる。

 まあ、義時は頼朝(大泉洋)が没した時に鎌倉から身を引こうと思ってたんですよね。
 政界から身を引いて穏やかに暮らしたいと思っていた。
 それを止めたのが政子。
 だから、義時は政子にも自分の背負っている重荷をすこし担いでくれと思ったのかもしれない。
 政子に鎌倉の頂点に立つように求めた。

 結果、義時・政子 VS 時政・りくの図式が出来た。
 迷走する鎌倉。
 自分は望んでいないのにどんどん闇に落ちて行く義時。

 義時は重忠の首桶を時政の所に持って来て
「執権を続けたいのならあなたは見るべきだ」と迫った。
 悪をしでかした者は自分の犯した罪と向き合わなくてはならない。
 時政はそれから目を逸らしたが、義時は向き合っている。

 義時が身軽になって楽になるのはいつなのだろう?
 心の中の嵐はいつ穏やかになるのだろう?
 それは義時が亡くなる時なのかもしれない。


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2 コメント

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殴り合う男たちと「公家の姫」 (TEPO)
2022-09-19 14:47:05
>義時とは殴り合い。これまた和田義盛の時と同じ友情だ。

このシーンは宮崎駿氏のアニメ作品『紅の豚』を連想しました。
初めは武装した戦闘から始まり、最後には素手で殴り合う。
「泥臭い」男同士の友情の世界を表現する一つの「型」。
台本ではただ「一騎打ち」とだけあったところを、小栗旬さんの提案に中川大志さんが賛成して「殴り合い」にしたそうです。
激闘に勝った重忠は敢えてトドメを刺さずに立ち去りました。
私の個人的想像では、義時はここで重忠に「討たれてやってもよい」と思っていたのではないでしょうか。
こうした場面が起こることを想定した上で敢えて「大将」を志願し、「大将」である自分が討たれることにより時政に打撃を与えるという形での抗議、とか。

また、重忠と義時との関係については、『平清盛』での清盛と義朝との関係を連想しました。
行きがかり上敵味方に分かれて戦うことになってしまったが、本来二人は友情で結ばれた仲であり、武士である彼らの真の敵は朝廷・公家勢力でした。

今回も、武士として泥臭く戦いあった義時・重忠の世界との対極に、りくの姿があります。
もともと彼女は権謀術数に生きる公家のお姫様であり、ここに来てその本質が際立ってきて見事な「悪役」ぶりを示しています。
そうした中で、時政は「男・武士の世界」から満身創痍で重忠の首桶を持参した義時には顔を背けて、りくの機嫌ばかり取る無様な姿をさらしています。

>ちなみに最近、僕の中で和田義盛の好感度爆上がりです!

おそらく、これは三谷氏の意図の中にあることでしょう。
少なくとも実朝の中では義盛の好感度爆上がりです!
お忍びで抜け出してまで訪問するくらいですからね。
しかし、朝ドラをもじって「死ぬどんどん」と呼ばれている本作なので、その義盛もやがては退場するのでしょう。
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ト書きは「一騎打ち」 (コウジ)
2022-09-20 08:58:13
TEPOさん

いつもありがとうございます。

殴り合いは小栗さんの提案だったんですよね。
スマートな脚本を書く三谷幸喜さんにしては泥臭いと思いました。
ただ脚本では「一騎打ち」という表記だけだったんですね。
どのようなシーンにするかは演出家と役者さんに委ねられた。
制作現場の垣間見たような気がしました。

そして小栗さんと中川さん。
殴り合いをすることで、どのような感情や思いがわき上がって来るかを感じたかったんでしょうね。

りく、そして実衣はまずい領域に入りつつありますね。
権力は彼女たちも狂わせ始めた。
りくは息子の死、実衣は夫の死でそれは加速した。
そして、りくと実衣の対極にいるのが政子なのでしょう。

人間、坂道をのぼっている時が一番楽しいんですよね。
昔の北条家は素敵な家族でした。

そして「死ぬどんどん」ですか笑
世の中には、面白いことを考える人がたくさんいるんですね。
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