二人のプリンス、豊臣秀頼(作間龍斗)と徳川秀忠(森崎ウイン)。
秀頼はすぐれた才の持ち主だ。
家康(松本潤)や本多正信(松山ケンイチ)の策を逆手に取り、事を自分に有利に運ぶ。
二条城の会見。
「意地を張るのも大人げないので横並びにいたしましょう」
と言いつつ、結局、家康を上段に座らせた。
家康は豊臣を公家として位置づけるつもりだったが、
秀頼は「武家として手を携えて共に世を治めてまいりましょう」
お見事! 秀頼は駆け引きで家康・正信に勝った。
成果はこれだけでなく世論も豊臣に傾いた。
家康が上座に座ったことで「徳川無礼」のブーイング!
秀頼の進撃は続く。
方広寺の大仏開眼供養で「豊臣の威信」を世に見せつけた。
結果、徳川の威光は霞むばかり。
一方、もうひとりのプリンス、徳川秀忠は凡庸で頼りない。
秀頼のすることを指をくわえて見ていることしか出来ない。
焦り、嘆く秀忠に家康は諭す。
「おまえはわしの才を受け継いでおる。
弱い所じゃ。その弱さを素直に認める所じゃ」
「弱かった頃のわしは多くの者に慕われて幸せだった。
わしはそなたがうらやましい。それを大事にせい」
家康は秀忠に秀頼にはない、よい資質があることを認めている。
・弱さゆえ好戦的でない。
・弱さゆえ独断に走らない。
・弱さゆえまわりの者が支えてくれる。
弱さの再評価だ。
人は強さを求めるが、果たしてそれでいいいのか?
乱世の時代なら強さは必要かもしれないが、治世の時代ではそれが負に働く。
だから家康は最後に秀忠にこう言った。
「徳によって治めるのは王道。武力によって治めるのは覇道」
「いくさを求める者たちに天下を渡すな。わしの志を継いでくれ」
しかし、いくさを求める者たちは次の手を打って来た。
本来なら、柿が落ちる時(家康が死ぬ時)を待てばよかったのだが、仕掛けて来た。
『国家安康』『君臣豊楽』
豊臣はいくさを求めている。
いくさを求める者たちの心に火がついて、もはやいくさは避けられない。
………………………………………………………………………………
今回も上手い脚本でした。
普通なら、秀頼の描写だけをしておけば、そのまま「大阪の陣」に繋がったのだが、
ここで秀忠を持って来た。
秀忠を通して「弱さ」の復権、「王道の政治」を描いた。
秀忠を通して、家康が「弱かった頃の自分」を求めていることも描いた。
家康は過去の自分を捨て、泥をかぶること、罪を犯すことを引き受けている。
それは今川氏真(溝端淳平)との会話でも。
「奥方と歌を詠む日々、うらやましいかぎりじゃ」
氏真は昔の家康を知っている。
だから家康の苦悩がよくわかる。
家康を抱きしめて、
「家康よ、わが弟よ、弱音を吐きたい時はこの兄が聞いてやる」
人を殺して来たことに苦悩する家康に対しては、自分を例にして、
「お主に助けられた命もあることを忘れるな」
ここ名シーンだと思う。
よくぞ、ここで氏真を登場させた。
見事な伏線回収でもある。
氏真と言えば「王道」の今川義元でもあるし。
秀忠を描いたこと。
氏真を登場させたこと。
これがドラマの厚み、豊かさになるんですね。
前回といい、僕的には「神回」が続いている。
秀頼はすぐれた才の持ち主だ。
家康(松本潤)や本多正信(松山ケンイチ)の策を逆手に取り、事を自分に有利に運ぶ。
二条城の会見。
「意地を張るのも大人げないので横並びにいたしましょう」
と言いつつ、結局、家康を上段に座らせた。
家康は豊臣を公家として位置づけるつもりだったが、
秀頼は「武家として手を携えて共に世を治めてまいりましょう」
お見事! 秀頼は駆け引きで家康・正信に勝った。
成果はこれだけでなく世論も豊臣に傾いた。
家康が上座に座ったことで「徳川無礼」のブーイング!
秀頼の進撃は続く。
方広寺の大仏開眼供養で「豊臣の威信」を世に見せつけた。
結果、徳川の威光は霞むばかり。
一方、もうひとりのプリンス、徳川秀忠は凡庸で頼りない。
秀頼のすることを指をくわえて見ていることしか出来ない。
焦り、嘆く秀忠に家康は諭す。
「おまえはわしの才を受け継いでおる。
弱い所じゃ。その弱さを素直に認める所じゃ」
「弱かった頃のわしは多くの者に慕われて幸せだった。
わしはそなたがうらやましい。それを大事にせい」
家康は秀忠に秀頼にはない、よい資質があることを認めている。
・弱さゆえ好戦的でない。
・弱さゆえ独断に走らない。
・弱さゆえまわりの者が支えてくれる。
弱さの再評価だ。
人は強さを求めるが、果たしてそれでいいいのか?
乱世の時代なら強さは必要かもしれないが、治世の時代ではそれが負に働く。
だから家康は最後に秀忠にこう言った。
「徳によって治めるのは王道。武力によって治めるのは覇道」
「いくさを求める者たちに天下を渡すな。わしの志を継いでくれ」
しかし、いくさを求める者たちは次の手を打って来た。
本来なら、柿が落ちる時(家康が死ぬ時)を待てばよかったのだが、仕掛けて来た。
『国家安康』『君臣豊楽』
豊臣はいくさを求めている。
いくさを求める者たちの心に火がついて、もはやいくさは避けられない。
………………………………………………………………………………
今回も上手い脚本でした。
普通なら、秀頼の描写だけをしておけば、そのまま「大阪の陣」に繋がったのだが、
ここで秀忠を持って来た。
秀忠を通して「弱さ」の復権、「王道の政治」を描いた。
秀忠を通して、家康が「弱かった頃の自分」を求めていることも描いた。
家康は過去の自分を捨て、泥をかぶること、罪を犯すことを引き受けている。
それは今川氏真(溝端淳平)との会話でも。
「奥方と歌を詠む日々、うらやましいかぎりじゃ」
氏真は昔の家康を知っている。
だから家康の苦悩がよくわかる。
家康を抱きしめて、
「家康よ、わが弟よ、弱音を吐きたい時はこの兄が聞いてやる」
人を殺して来たことに苦悩する家康に対しては、自分を例にして、
「お主に助けられた命もあることを忘れるな」
ここ名シーンだと思う。
よくぞ、ここで氏真を登場させた。
見事な伏線回収でもある。
氏真と言えば「王道」の今川義元でもあるし。
秀忠を描いたこと。
氏真を登場させたこと。
これがドラマの厚み、豊かさになるんですね。
前回といい、僕的には「神回」が続いている。
瀬名が愛したのは「白兎家康」であり、瀬名の思いを引き継いだ於愛の子秀忠はその後継者。
前回見えてきた本作の基本構想がより明確になってきましたね。
今回これに加わったのが、今川義元が諭した「王道・覇道」論。
「偉大なる凡庸」「白兎」が「王道」志向なのに対して、「才ある将」は覇道に傾く。
成り行き上やむなくある程度「覇道」に手を染めた(「狸」化した)家康は今や孤独。
かつて「白兎家康」を支えた旧臣たちのほとんどはグレー(例外の正信は「狸家康」の参謀であり、阿茶は対茶々戦のための女武将)となりました。
そうした中での今川氏真の登場は私も「ぐっと来る」名シーンだと思いました。
「王道」を説いた義元を父とし、幼少時から「白兎」だった「弟」家康を熟知。
さらに掛川城では、家康が信玄・信長の不興を買ってまで自分を助命して「白兎」を貫いたことの当事者・生き証人でもある。
孤独な「白兎」家康の支え手としては最高の人。
秀頼の人物像については、過保護な茶々のもとで大阪城を一歩も出ることなく育った「マザコン若君」というイメージが一般的。
しかし本作では、おそらく茶々の依頼で大野治長に厳しく鍛えられた「才ある将」となっているようです。
「大阪城を一歩も出ることなく育った」ことも、世間が平和な世に移り変わりつつある中を「戦国武将」へと「純粋培養」された、といったところでしょうか。
>『国家安康』『君臣豊楽』
>柿が落ちる時(家康が死ぬ時)を待てばよかったのだが、仕掛けて来た。
有名な方広寺鐘銘事件、家康側の「言いがかり」だったというのが「定番」の理解ですが、本作での茶々は「確信犯」で、正面から家康側への宣戦布告でした。
終始茶々を家康への敵対心に凝り固まった「ラスボス」として描くことにより、図式がすっきりしています。
このことも、元はと言えば、家康がひたすら瀬名を愛してお市を振り続けたことの結果ということになりますね。
ただ、今年は三方原のあたりからちょくちょく見ていたので、今年に限っては、何とかコメントする資格はできたかと思って、久しぶりに大河がらみのコメントをします。
今回はうまく持っていきましたね。銀英伝のラインハルトとヤンの会見を思い出しました。
ひとりの天才が効率的に統治する独裁的社会と、大勢の凡人が鳩首協議しながら時間をかけて方針を立て統治する非効率な民主社会と、どちらがいいのか、といった話をしたと記憶しています。
今回の大河は「偉大なる凡人」という概念を出してきたわけですが、これが「どうする?」の結論だったのかもしれません。
勇敢で有能で才気あふれる者は皆滅びた、という言葉には、重みがありました。そして「偉大なる凡人」による統治を前提に、徳川の太平は260年続いた、というストーリーに持っていくんでしょうね。
実は、今までの大河ドラマの大前提「主人公はみな優秀で有能で大活躍」というシステムまでも、皮肉っているのかもしれません。
いつもありがとうございます。
なるほど、王道と覇道が本作の基本図式だったんですね。
ただ戦乱を収めるためには強さや力が必要で、家康はそれを引き受けた。
家康の人物像が明確ですよね。
いくさを出来る限り避けたいという家康の人物像も明確で、今回は抑止力としての英国の大筒の手配をしましたが、大阪の陣で大坂城の掘をだまし討ちで埋めたのも戦意を喪失させるためだったんでしょうね。
>阿茶は対茶々戦のための女武将
今後の活躍が楽しみですよね。
女性たちの戦いが展開されそうです。
氏康はおっしゃるとおり、家康の「兎時代」を知る理解者なんですよね。
理解者ゆえ、家康も弱音を吐ける。
氏康もそれを受けとめる。
主人公が弱さを見せるシーンは新鮮でした。
>「戦国武将」へと「純粋培養」された秀頼。
なるほど。
確かに秀頼は一度も戦場に立ったことがないんですよね。
純粋培養された秀頼が実際の戦場でどうふるまうか、注目したいと思います。
>茶々は「確信犯」
この解釈も新鮮でしたね。
豊臣の戦略としては、家康の死を待ってから行動するのが妥当だったと思いますが、敢えて挑発してしまった。
大坂城に兵が集まって強者のおごりが出てしまったんですかね。
自分が弱いと認識していれば、茶々は家康の死を待っていたはずです。
さて残り3回、登場人物たちは十分に描かれているので、どのようなドラマが展開されるのか、楽しみです。
いつもありがとうございます。
「どうする」はパートパートで御覧になっていたんですね。
TEPOさんも書かれていましたが、おっしゃるとおり本作は「偉大なる凡人」と「才ある強者」の対立図式なんですよね。
「偉大なる凡人」は穏やかな日常を望み、「才ある強者」は戦いを望む。
ゆえに家康は260年の太平の世を作った。
これが「どうする家康」なんですよね。
「偉大なる凡人」と「才ある強者」で思い出すのは「三国志」の劉備と曹操。
劉備は関羽や張飛、孔明がいなければ、ただの人のいいおじさん。
劉邦と項羽もこの図式が当てはまるかもしれません。
劉備は挫折しましたが、劉邦は仲間に支えられ最終的に漢を作り、太平の世を実現しましたよね。
個人的な考えですが、漢が劉邦の代で滅びなかったのは、恵帝の功績も大きかったと思います。
一方、三国志の魏王国の後継(乗っ取ったと解釈する人もいますが)である晋王朝(西晋王朝)の二代目も恵帝ですが、こちらは庶民が飢饉で飢えていると聞くと「米がないならなぜ肉を食わぬのだ?」と言ったと伝わるバカ殿系です。
さて、王朝の二代目で、なぜこれだけ違ったのか?
これも個人的な考えですが、漢の恵帝は劉邦がまだ庶民だった頃に生まれた子どもでした。もし父親が皇帝にならなければ、どこか田舎のオッサンの息子で終わっていたかもしれなかったわけです。
ところが、晋の恵帝の方は、ひいじいさんの司馬仲達の代からすでに魏王朝の重臣で、いわば世襲貴族的な存在で、庶民の生活の実感などまったくなかったわけです。
貴族的な世襲エリートの悪い面が噴き出したわけですね。
ちなみにこの恵帝の時代に、地方の皇族たちが大反乱を起こし(八王の乱)、晋王朝は急激に傾いていきます。
教えていただき、ありがとうございます。
晋の恵帝。
まさに「世襲」の弊害ですね。
それは現代日本の自民党でも。
昨日の国会質問でも山本太郎氏が貧困家庭や庶民の暮らしの現状をデータで話しても岸田首相には響かない様子でした。
「どうする家康」の徳川秀忠は、世襲2代目ですが、その人柄は漢の二代目の恵帝に通じるものがありますね。