平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「頑是ない歌」 中原中也~思えば遠く来たもんだ。なんとかやるより仕方もない 。やりさえすればよいのだと

2022年12月28日 | 
「頑是(がんぜ)ない歌」
            中原中也

 思えば遠く来たもんだ
 十二の冬のあの夕べ
 港の空に鳴り響いた
 汽笛の湯気(ゆげ)は今いずこ

 雲の間に月はいて
 それな汽笛を耳にすると
 竦然(しょうぜん)として身をすくめ
 月はその時空にいた

 それから何年経ったことか
 汽笛の湯気を茫然と
 眼で追いかなしくなっていた
 あの頃の俺はいまいずこ

 今では女房子供持ち
 思えば遠く来たもんだ
 此(こ)の先まだまだ何時(いつ)までか
 生きてゆくのであろうけど

 生きてゆくのであろうけど
 遠く経て来た日や夜の
 あんまりこんなにこいしゅては
 なんだか自信が持てないよ

 さりとて生きてゆく限り
 結局我(が)ン張る僕の性質(さが)
 と思えばなんだか我ながら
 いたわしいよなものですよ

 考えてみればそれはまあ
 結局我ン張るのだとして
 昔恋しい時もあり そして
 どうにかやってはゆくのでしょう

 考えてみれば簡単だ
 畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
 なんとかやるより仕方もない
 やりさえすればよいのだと

 思うけれどもそれもそれ
 十二の冬のあの夕べ
 港の空に鳴り響いた
 汽笛の湯気は今いずこ


                   ※頑是ない~子供じみて幼いこと
                   ※竦然~ぞっとずるさま
                   ※こいしゅては~恋しくては
                   ※畢竟~結局 
 ……………………………………………………

 海援隊の歌ではない。
 中原中也の詩の詩である。
 おそらく武田鉄矢さんはこの詩を本歌取りしたのだろう。

 前回「汚れっちまった悲しみに……」を紹介したが、
 この詩は対照的に、どこか心に余裕があって「前向きな明るい中原中也」である。

 十二歳の自分。
 将来に不安もあれば希望もあった。
 大人の世界に入ることに戸惑ってもいた。
 だが、今の自分は日常に流され、ただ漫然と生きている。
 将来に大きな希望もなければ不安もない。
 自分もすっかり退屈な大人になってしまった。
 そんな現在の自分を中也は肯定する。
 もはや、十二歳の自分には戻れないのだから。
 いろいろなものを背負っているのだから。
 だから中也は自分に言い聞かせる。

『さりとて生きてゆく限り
 結局我(が)ン張る僕の性質(さが)
 と思えばなんだか我ながら
 いたわしいよなものですよ

 考えてみればそれはまあ
 結局我ン張るのだとして
 昔恋しい時もあり そして
 どうにかやってはゆくのでしょう

 考えてみれば簡単だ
 畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
 なんとかやるより仕方もない
 やりさえすればよいのだと』

 自分の現実の肯定。
 半ば諦めながらも、その日その日を懸命に生きていく。

「汚れっちまった悲しみに……」はつらい時に読みたい詩だ。
 一方、この詩は日常生活の何気ない時に口ずさみたい。
 口ずさんで今の自分を肯定し、命が尽きるまで歩み続ける。
 自分が死ぬ時、
「思えば遠く来たもんだ」とつぶやけたら穏やかな気持ちになれそうだ。


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