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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

鎌倉殿の13人 第31回「諦めの悪い男」~これでよかったかどうかはわかりません。しかし、これしか道はありませんでした……

2022年08月15日 | 大河ドラマ・時代劇
 義時(小栗旬)、闇落ちである。

「やれることはやりました。
 方々、拒んだのは向こうでござる。これで大義名分が立った。
 比企を滅ぼす!」

 権力闘争である。
 少しでも甘さを見せれば、こちらがやられる。
 この判断の決断の背景には生前の頼朝(大泉洋)の姿があった。

「敵に容赦せず常に先を仕掛けていた。これが頼朝様のやり方」
「一幡様を殺せ。頼朝様ならそうされていただろう」

 こうやって頼朝を言い訳にするあたり、義時には迷いがあるのだろう。
 頼朝様ならこうやったに違いない。だから自分もこうするしかない。
 こう自分に言い聞かせていた。
 迷いがあるから泰時(坂口健太郎)に「そこまでして北条の世をつくりたいのですか!?」と
 問われて、「当たり前だ!」とキレた。

 迷っているから、時政(坂東彌十郎)にも覚悟を尋ねた。
 時政は自分の三つの大事にしているもの「伊豆の地」「りく」「息子と娘たち」を守るのが天命だ
 と語り、覚悟を示した。

 もはや進むしかない義時。
 そして比企を滅ぼした時は自分に言い聞かせるように
「これでよかったかどうかはわかりません。しかし、これしか道はありませんでした……」

 迷える義時である。
 冒頭で「闇落である」と書いたが、義時は完全に「鬼」になっていない。
 今後も迷い、もがき苦しみながら修羅の道を歩いていくのだろう。
 ……………………………

 迷い、葛藤しない人物もいる。

 時政は吹っ切れていて、比企能員(佐藤二朗)殺害の蔡には
「板東武者は何でもする。名前が傷つくことなど何でもない!」

 三浦義村(山本耕史)も
「三浦と北条は刎頸の交わり。三浦を見くびってもらっては困るな」

 比奈(堀田真由)は比企の娘でありながら、非情な夫・義時を弁護して、
「人は変わるもの。それでいいではありませんか」
 ただ、そう言ったものの、比企滅亡の際は複雑な思いだった様子。
 ………………………………

 ここで、上記のことをさらに深掘りして考察すると、

・歴史は暴力によって変わる……。
 どんなに言葉を尽くしても「よし、わかった」にはならない。
 言葉が行き詰まった時、採用されるのは暴力だ。
 そして僕たちは7・8の事件に思いを馳せて、この命題に向き合い戸惑う。

・あとは断言する人はカッコいいけれど……。
 時政の「板東武者は何でもする。名前が傷つくことなど何でもない!」
 三浦義村の「三浦と北条は刎頸の交わり。三浦を見くびってもらっては困るな」
 はわかりやすくてカッコいいんですね。
 でも僕は「これでよかったかどうかはわかりません。しかし、これしか道はありませんでした……」
 とつぶやく義時を良しとしたい。
 迷いのない勇ましい言葉はスッキリする。
 でも、迷ったり、後悔したりする義時の姿勢こそ大切だと思う。

コメント (2)
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