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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ゲゲゲの女房 息苦しい現実を生きる方法

2010年09月04日 | ホームドラマ
 印象的だったのは金曜日。
 はるこ(南明奈)の要請で、子供たちと川に行く茂(向井理)。
 茂が河童の話をふると、子供たちが祖母たちから聞いた妖怪話を語り出す。
 時代は<ロボット>が全盛で子供たちの中に<妖怪>はいなくなっていた様ですが、じつはしっかり心の奥底にいたんですね。
 普段は忘れられて心の奥底にしまわれているのだが、何かきっかけがあると思い出す。
 修学旅行で喜子の級友たちが障子に映る光を見て、「妖怪だ」と怖がるのも同じ。
 人間の心には<妖怪>がしっかり刻み込まれている。
 それは先祖から引き継がれた記憶? DNAのようなもの?

 そして茂は心の奥底にしまわれている<妖怪>を妖怪画集という形で掘り起こそうと決心。
 子供たちから<妖怪>が失なわれてはならないとも思っている。
 なぜなら「妖怪が住みにくい世界は人間も住みにくい世界」だから。

 喜子は修学旅行のしおりの表紙に<京都を背景にした妖怪の絵>を描く。
 しかし、それは否定されてスケッチブックに描き直したのは<金閣寺を背景に生徒たちが笑っている絵>。
 この二枚の絵、どちらの絵がワクワクするだろうか?
 現実を謳歌している人は<生徒たちが笑っている絵>でも十分に楽しいだろう。
 しかし現実に違和感を感じている人には<妖怪の絵>の方に魅かれるだろう。
 自分が生きている世界とは別の世界があると思えること、金閣寺に妖怪がいると思えること、その方がずっと救われる人間がいる。

 もっとわかりやすく言うと、
 <ネス湖に恐竜がいると思えればネス湖はロマンの湖になるが、思えなければただの湖になる>
 <南国のお面に魂が宿っていると思えれば宝物になるし、思えなければ単なるがらくたになる>ということ。
 この場合、どちらが豊かだろう?
 やはり<妖怪>や<恐竜>、<精霊>がいない世界は息苦しく色褪せているのである。
 現実の世界は、茂の言葉を借りれば「損か得か」「人気投票」の世界でしかないのだから。

 現実の息苦しさから脱するには、空想の力をたくましくするしかない。


コメント (2)
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