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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ビッグ・フィッシュ 人生を空想で味付けする

2010年06月15日 | 洋画
 味気ない人生に空想で味付けすると楽しくなる。
 エドワード・ブルーム(アルバート・フィニー)はそんなふうに生きてきた。
 彼の語った人生はこんな感じ。

 子供の頃、未来を予見する魔女に自分がどんなふうに死ぬかを教えてもらった。
 青年になってからは、家畜を殺す5メートルの巨人と都会を目指す旅に。
 旅の途中でまぎれ込んだ所はスペクターという幻の町。誰もが穏やかに幸せに暮らしている。だが青春の野望に燃えるエドワードはスペクターでの穏やかな生活を捨ててふたたび旅へ。
 旅の途中、彼は<運命の女性>に出会う。
 その女性のことを知っているサーカス団長から女性に関する情報を得るためにサーカスで働き始めるが、何とサーカスの団長は狼男。
 その後、エドワードは<運命の女性>=今の妻に出会い、結婚するが朝鮮戦争へ。
 妻と早く暮らしたい彼は三年の兵役を一年にするために困難な任務を志願。
 その戦場で出会ったのは体が結合した双子の姉妹……。

 そんなエドワードの息子・ウィル(ユアン・マクレガー)は子供の頃は面白がって聞いていたが、成人した今となってはバカらしくて聞いていられない。
 エドワードに死期が迫っていることもあり、父親の本当の姿を知りたいと思い、父の人生をたどる。
 そこで明らかになったのは次のようなもの。

 子供の頃、確かに気味の悪い魔女のようなおばあさんは近くに住んでいた。
 体の大きな男と都会に出て行ったのも事実。だが、5メートルの男ではない。
 その旅の途中でスペクターという町に立ち寄ったが、別に幻の町ではない。
 サーカスで働いていたが、別に団長は狼男ではなかった。
 そして<運命の女性>とは、現在のエドワードの妻のこと。
 朝鮮戦争で出会った女性は体が繋がっていたわけでなく、ただの双子。

 これだけでもエドワードの人生は波瀾万丈だった感じがするが、彼はさらに<空想>で現実を味付けした。
 そして、それを信じた。

 ネタバレになるが、エドワードが最期の時を迎えた時の息子・ウィルの行動は感動的だ。
 エドワードの<空想>で味付けした人生を肯定するのだ。
 それは父親の信じた人生を「ウソだ」否定してしまったら、父親は失意の中で死んで行かなくてはならないから。
 そして、さらに息子は「お父さんは大きな魚になって河に帰っていく」とエドワードの死を<空想>で味付けする。
 「何という素敵な死だ」と言って満足して死んでいくエドワード。

 人生は味付けの仕方によって、大きく変わってくる。
 できればエドワードのように楽しい味付けをしたい。
 あなたはどんな味付けをしますか?


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アリ 人間として闘ったモハメッド・アリ

2010年06月11日 | 洋画
 <キンシャサの奇跡>までのモハメッド・アリ(ウィル・スミス)の戦いを描いたこの作品。

 アリはボクシング以外にも様々なものと闘ってきた。
・黒人であること、差別。
・モスリム(イスラム教徒)であること。
・自分を利用して金を稼ぐことしかしないプロモーター、宗教家。
・そしてアメリカという国。

 ベトナム戦争の最中、アリは徴兵を拒否する。
 それは単なる平和主義からだけではない。
 アリの論理はこうだ。
 「自分は黒人であることから不当に差別されてきた。国からも本来受けるべき権利を与えられていない。何も与えていないくせに国は俺に戦争に行って国に奉仕しろと言う。自分には関係ないアジアの民を殺せと言う」
 「自分は奴隷の出身で、カシアス・クレイという名は白人が奴隷として自分の祖先につけた名前だが、自分は奴隷ではない。何者にも屈服しない。国にも服従しない」
 アリの徴兵拒否は、黒人であること、奴隷の出身であることから発せられた血も肉もある行動だったのだ。単なる上っ面の偽善的な平和主義から出たものではない。

 だがこの徴兵拒否の結果、アリはチャンピオンを剥奪され、ボクシングも出来なくなる。
 ボクサーとして一番油の乗っている時期に試合が出来ないのだ。
 貯金も底を尽きる。信じていたイスラム教会も彼に信仰の禁止を宣言し、裏切る。
 しかし、それでもアリは信念を曲げない。
 そして、そのブランクのせいからか、戦争が終わって再びリングに復帰したアリはジョー・フレイジャーに敗北する。
 アリの復活劇はこの敗北から始まり、ジョージ・フォアマン(フレイジャーを倒した新チャンピオン)と闘う<キンシャサの奇跡>に繋がるわけだが、僕はこのフォアマンとの闘いは以前のものとは大きく違っているような感じがした。
 闘うアリの精神が大きく変わったような気がしたのだ。
 それまでのアリはまさに<モハメッド・アリ>、神の戦い方だった。
 だが、このフォマン戦は実に人間くさい。
 闘いの前には浮気をするし、悪徳プロモーター・ドン・キングとも手を結ぶ。
 以前のような華麗なボクシングではなくサンドバッグのように打たれて打たれて打たれまくる。
 アリは徴兵拒否、復帰戦での敗北を経て、神から人間になったのだ。
 挫折・困難がアリを人間にした。
 そんな感じがする。
 そして打たれて打たれて、なおも自分を鼓舞して懸命に闘う姿はまさに人間。

 <キンシャサの奇跡>が名勝負と言われるのは、こんな所にあるのではないか。


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ジャガーノート 冒険アクションは英国に限る

2010年06月01日 | 洋画
 アクション映画の頭脳戦というのは面白い。
 ランボーもシュワルツネッガーもブルース・ウィルスも見事な肉体でアクションを見せるが、あまり頭は使っていない。
 僕が007シリーズが好きなのも、ボンドが優雅でスマートで英国紳士だから。
 やはり冒険小説はイギリス、主人公は英国人がいい。

 さて「ジャガーノート」。
 爆弾犯のジャガーノートと主人公で爆弾解体のファロン中佐(R・ハリス)が見事な頭脳戦を繰り広げる。
 たとえば、こんなふう。
・爆弾を解体するためにネジを外す。しかし、そのネジのひとつは起爆装置と直結している。
・時を刻む円盤状のタイマー。しかし、その先には裸眼ではほとんど見えない細い糸が張ってあって、それを切断すると爆発する。
 そして、すべての爆弾が解体し終わったと思いきや、実はそれはダミーで本物の爆弾は側面に仕掛けられていた。
 この作品、まさに爆弾を介しての犯人と主人公の頭脳戦なのだ。
 犯人の仕掛けたトラップをいかにくぐり抜けて、爆弾を解体していくか。
 犯人と主人公の技術と技術の戦い。心の読み合い。
 映像的には地味だが、少し判断を間違えば爆発するというサスペンスがある。

 また、これはネタバレになるが……
 犯人が仕掛けたトラップが実は犯人特定のきっかけとなる。
 「こんなトラップを考えつくのは、あいつしかいない」と主人公ファロンは気がつくのだ。
 自分の誇示したトラップが、逆に自分の正体を暴くことになる、という皮肉。
 ジャガーノートにしてみれば、「自分の爆弾で最後までたどり着く人間はいない」「途中で爆発して死んでしまうから大丈夫」というつもりだったのだろうが、自分の技術に対する過信が実は災いしてしまった。
 こういう意地悪なひねり方もやはり英国。

 やはり冒険アクションは英国に限る。


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300<スリーハンドレッド> かくして彼らは伝説になった

2010年05月11日 | 洋画
★人は死んで何を残すか?
 このスパルタの戦士300人は<物語>を残した。
 100万のペルシャ軍。
 これに雄々しく戦い、圧倒した300人。
 この物語はヘロドトスの「歴史」に記されたものらしいが、まさに<伝説>。
 <伝説>となってスパルタ人の凄さを後の世に伝えた。

 このように<伝説><物語>というのはそれが語り継がれる限り、なくなることがない。
 スパルタの戦士たちは<物語>の中で永遠に生き続ける。
 彼らは死して永遠の命を得た。
 また<伝説><物語>は人々を繋ぐ。
 今回の話はヨーロッパの人なら誰もが知っている、聖書の物語のような皆に共有されているものなのだろう。
 われわれ日本人で言えば、信長・秀吉・家康の物語のようなもの。
 物語は共有され、民族のアイデンティティになる。
 そして、これらのことが物語の力。

★この作品では豊かなイメージがいくつもあった。
 空が真っ黒になるくらいに降ってくる矢。
 仮面をつけた不死の軍団。
 鎖につながれた巨人。
 魔法(火薬)使い。
 醜い裏切り者。
 これらのイメージは後の世のファンタジー作品にも使われているから、やはりインパクトのあるイメージだったのだろう。
 物語の人物同様、強烈なイメージは永遠に生き続ける。

★作劇では次のエピソードが面白かった。
 夫であるスパルタ王に救援を送るため、評議会に影響力を持つ政敵と姦淫してしまう王妃。
 ところが政敵は約束を守って評議会を動かすどころか、「王妃は私を利用するため、私を誘惑した」と評議会で告発する。
 王妃は非難を浴び、救援も送ってもらえない。まさに絶対絶命。
 王妃は怒りに任せて政敵を剣で刺してしまう。
 すると!
 政敵の衣服からペルシャの金貨がこぼれ落ちて!
 政敵はペルシャに買収されていたことがわかるのだ。
 絶対絶命のピンチから大逆転へ。
 実に演劇的でエキサイティングな作劇だ。


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不都合な真実

2010年05月07日 | 洋画
 以下、過去に書いた記事の再録です。

 ヒマラヤの氷河が溶けている。
 結果、氷河の水を使って生活している40万人の人が水不足になる。

 南極・北極の氷が溶けている。科学者の予測以上に。北極の氷などは50年から70年後にはなくなってしまうという。
 結果、太平洋の島々、オランダなどは水没する。
 ニューヨークのグラウンドゼロも水没する。
 20万人の難民。

 アラスカの氷河が溶けている。
 結果、大西洋の暖流・寒流の流れが変わり、暖かい空気が運ばれなくなりヨーロッパは氷河期となる。

 こんな予測を非科学的と否定することも出来るが、我々はすでに異常気象を目にしている。
 この夏の酷暑。
 これは世界的なものであり、氷の気泡から測定される過去65万年のデータの中で異常なものであるという。
 気候が変わり、今まで眠っていた病原菌が復活した。鳥インフルエンザ、サーズもそうらしい。
 蚊などの限界棲息地域が広がってアフリカでは新たな被害も。

 これらすべては二酸化炭素の増大がもたらすことらしい。

 この作品の講演者であるアル・ゴアは政治家としてアメリカ議会に訴えたが、反応は鈍い。
 議員は石油メーカー、自動車メーカーをバックにしているからである。
 政治家は票に結びつかなければ動かないからである。
 マスコミも御用記事を書いているらしい。
 科学者全員が温暖化の警鐘を鳴らしているのに、マスコミが記事にすると50%が「それは根拠のない嘘だ」と報じているらしい。
 ある科学者はデータの改ざんを求められた。
 それは追及され科学者は辞めることになったが、今は石油メジャーのそれなりのポストで働いているという。

 これらの事実をどう受けとめるか?
 50年後には自分は死んでいるから関係ない、と言うことも出来る。
 でも、残された子供たちがかわいそうだ。
 未来の子供たちに「何をやっていたんだ?」と言われたくない。
 これらをいたずらに危機を煽る誇張だと批判することも出来るが、批判し否定して何が残るのか?
 この主張をするゴアさんをハイブリット車を売っているトヨタやホンダのまわし者、太陽光発電・風力発電メーカーのまわし者と捉えることも出来るが、自然環境にやさしい方がいいに決まっている。

 作品では第二次大戦を前にしたチャーチルの言葉を引用してこう主張している。
「問題の先送り、中途半端な態度、気安めやその場しのぎの時代は終わった。今こそ結果を出すべき時だ」

 環境問題を気にしていては経済が成り立たないという主張もある様だが、今売れているのは低燃費のハイブリット車だ。

 作品ラストでは二酸化炭素排出を減らすために出来ることがひとつひとつ語られていく。
 確かにこの作品を見て問題意識を持っても、それだけに留まっていたのでは何も変えることは出来ない。
 二酸化炭素削減のために語られたことは次の様なこと。

★省エネの電化製品を使いましょう。
★エアコンの温度を調節しましょう。
★家の断熱材を増やしましょう。
★公共の輸送機関を使いましょう。
★徒歩、自転車を使いましょう。
★出来ればハイブリット車に乗りましょう。
★電力会社にはなぜクリーンエネルギーを使わないのか問い合わせをしましょう。
★環境問題に問題意識を持っている政治家に一票を。いなければ自分が立候補を。
★木を植えましょう。
★新聞雑誌に投書しましょう。
★環境の国際運動に参加しましょう。
★石油・石炭エネルギーでなく代替エネルギーを。
★祈る時、他人は変えられるんだと思って祈りましょう。

 主義主張、民族、宗教の枠を越えて今こそ行動の時。
 コンクリートのダムはいらない。森林の緑のダムこそが未来を作る。
 自然開発をしてお金儲けする時代は終わった。


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父親たちの星条旗~ヒーロー時代の終わり

2010年04月25日 | 洋画
 硫黄島に星条旗を立てた若者たち。
 その写真が話題になり彼らはヒーローになる。
 しかし彼らはただ丘に旗を立てただけで、少しも英雄的な行動をしたわけではない。
 作られた英雄であり、戦時国債を集め、戦意を鼓舞するための広告塔なのだ。
 その結果、壊れていく主人公の若者たち。

 歳をとれば体が壊れていくように、様々な人生体験によって人の心も壊れていく。
 特に戦争は<人の心を壊す>最たるもの。
 この作品の主人公達の後の人生もそうだ。
 国家によって戦場に送り込まれ、国家によって広告塔に利用される。
 人を殺さなくてはならない状況に置かれ、広告塔という偽りの自分を演じさせられる。
 唯一の彼らの救いと支えは仲間たち。
 仲間たちとの思い出。いっしょに海に入ってはしゃいだこと。

 かつてのアメリカ映画は無邪気だった。
 「史上最大の作戦」「大脱走」
 ドイツは悪であり、アメリカは正義。
 そのために戦う主人公はヒーロー。
 ヒーローを描いていれば拍手喝采で劇場には人が入った。
 ヒーローたちは陽気で、心は少しも壊れていない。

 ところが現在はベトナム戦争、イラク戦争の悲惨を知っている。
 映画「ディアハンター」はベトナム帰還兵の壊れた心を描き、「タクシードライバー」の主人公もベトナム帰りの心の壊れた男だった。
 いわば、この作品「父親たちの星条旗」の主人公達と同じ。
 
 戦場の悲惨は人の心を蝕み、壊す。
 国家は個人を戦場に送り込み、利用する。

 無邪気にヒーローを信じられる時代は終わったのだ。


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チャタレー夫人の恋人 捨てられた夫に感情移入

2010年04月01日 | 洋画
 戦争で下半身不随になった夫。
 妻のコニーは夫を愛そうと思うが、哲学と文学の日々を送る夫に退屈を覚える。
 性的にも満たされない。
 そこへ森の番人メラーズが現れて……。
 コニーは英国の上流階級の夫人だが、身分の差を乗り越えてメラーズを愛するようになる。

 「チャタレー夫人の恋人」をケン・ラッセル監督のテレビシリーズ全4話で見た。
 日本でもその衝撃的な内容で裁判が起こされたほど、ポルノグラフィックな作品。
 テーマは<肉体の歓喜>。
 コニーは肉体的に満たされ、心も満たされることで<本当の愛>を知る。<生きる喜び>を知る。
 いわば<性愛の讃歌><人間の解放>を謳った作品。

 テーマとしては正しいのだろうが、少しひっかかる点もある。
 捨てられた夫だ。
 夫は差別意識がありスノッブ。
 典型的な上流階級の人間として描かれているが、コニーのことは心から愛している。
 「性的に不能な自分との生活は退屈だろう」と気遣い、「愛する人が出来たら出て行ってくれ」と言いながら、コニーが出て行くことを怖れている。
 そしてコニーに「子供が出来た」と告白された時には、跡継ぎのために愛していない男と寝てくれたと思い込み、コニーのことを「現代のマリア様だ」と賞賛する。
 その後、子供の父親が上流階級の人間でなく使用人のメラーズだと知って激怒するが、少なくとも夫は妻を愛している。
 差別意識や跡継ぎの父親に上流階級の人間を望むのはブルジョワジーの彼としては当然で、それ以上を要求するのは酷だろう。

 この作品のラストは、コニーとメラーズがカナダに旅立つハッピーエンドで終わる。
 捨てられた夫に対するフォローはまったくない。
 夫が完全な悪として描かれていたのなら別だが、この点が気になる。
 それはフロベールの「ボヴァリー夫人」を見た時も同じ。妻を信じ続け、破産した夫のことが哀れでならない。

 「ボヴァリー夫人」「チャタレー夫人の恋人」が書かれた時代から時が経ち、男性は弱くなり女性は強くなった。
 そういえば熟年離婚というのもあった。
 男が女性を縛りつけようとすることが根本の問題なのだろうが、捨てられた夫に感情移入してしまうのは、そんな時代の反映だろうか?


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赤と黒 ジュリアンが最期に求めたもの

2010年03月25日 | 洋画
 ジェラール・フィリップの「赤と黒」デジタルリマスター版を観た。

 主人公ジュリアン・ソレルが闘ったものは……?
 身分、差別、お金、神、そして愛。
 ジュリアンはそれらを得るために闘った。
 神は否定し、自分の出世栄達のために利用した。

 ジュリアンは近代的人間である。
 彼の中には神はいない。信仰はない。
 地位を求め、金を求め、のしあがって人々が自分を崇めることを望んでいる。
 地位と金があれば、愛も自然について来ると考えている。
 地位と金のためなら、あらゆるものを利用する。神も信仰もその例外ではない。

 そんな近代的自我の持ち主であるジュリアンが最期に求めたものが興味深い。
 それは<愛>。
 死刑執行前の一ヶ月、彼は愛するレナール夫人と至福の時を過ごす。
 ジュリアンは毎日牢獄に訪ねてくる夫人に言う。
 「こんな幸せなことは初めてだ。この一ヶ月、君と心から話そう。神も人間もふたりが共に過ごすことに邪魔を出来ない。そして僕たちだけが生きることを知っている」
 ジュリアンは地位や金でなく、最期に<愛>を勝ち取ったのだ。
 レナール夫人と過ごす日々を<人生の意味>だと理解したのだ。

 そんなジュリアンに語った恋人レナール夫人の言葉も興味深い。
 「あなたに神と同じものを感じるの。それは尊敬、愛、服従」
 信仰者は神に<尊敬><愛><服従>で臨む。
 それと同じ態度で夫人はジュリアンに臨むという。
 ジュリアンは、ある意味<神>になったのだ。

 信仰がヨーロッパの人々に及ぼした光と陰を理解することは、われわれ日本人にはなかなか難しいが、ジュリアン・ソレルという近代的自我が求めたものは十分に理解できる。
 19世紀のヨーロッパ文学こそ、今読まれるべきものなのかもしれない。


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フォロー・ミー 恋愛で一番大切なこと

2010年03月16日 | 洋画
 人と人が心を通わせ合うのに言葉はいらない。
 ただ、いっしょに歩いて、相手に見せたいものを指さして、いっしょに楽しめばいい。

 そんなことを教えてくれる映画。
 物語はこう。

 上流階級の一流会計士のチャールズ(マイケル・ジェイスント)は、最近妻ベリンダ(ミア・ファロー)が浮気しているのではないかと疑っている。
  ベリンダは仕事一辺倒で自分を顧みない夫のことが寂しくて、気分転換に街を歩いているだけなのだが、チャールズにはそれが理解できない。
 探偵(トポル)を雇って、ベリンダの素行を調査する。
 だが、ここで探偵とベリンダの不思議な関係が生まれる。
 探偵の尾行がばれ、ベリンダは最初は探偵のことを避けるが、自分の後を追ってくる探偵に次第に心を許していくのだ。
 いっしょにロンドンの街を歩くふたり。
 ベリンダは彼が夫の雇った探偵であることを知らない。言葉も交わさない。
 ただ、ひたすら歩き、相手が見るものと同じものを見る。
 相手が見せたいと思って指さすものをお互いに見る。
 街角の何気ない標識、青く澄んだ空、テムズ川の流れ……。
 時にはこの映画はつまらないから、あの映画を見ろと手招きで教える。この時にも言葉はない。
 ふたりにはそれだけで十分なのだ。十分に満ち足りて幸せなのだ。
 ふたりの間には「愛してる」という言葉も、豪華な食事やプレゼントも、体の関係も要らない。
 ただ、相手の見たもの、見せたいものを共有するだけ。
 それだけで単調な現実世界が輝いて見える。
 そして、これが人と人が心を通わせる本質。

 ラストは実に感動的だ。
 探偵が夫のチャールズに同じことをするように言うのだ。
 仕事一辺倒のチャールズは「ひたすらロンドンの街を歩きまわるなんて、そんなバカなこと出来るか」と否定するが、「あの素敵な女性を失いたくないなら、黙ってそうしなさい」と探偵は勧める。
 さてチャールズはどうするか?

 心暖まる恋愛映画だ。


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ルパン 愛する者を失って

2010年03月10日 | 洋画
 19世紀ものというのは、なかなか興趣をそそられる。
 百歳以上生きている魔女・カリオストロ伯爵夫人。
 王家の宝。宝のありかを示す十字架。秘密結社。催眠術。仮面舞踏会。

 「ブラザー・グリム」などで描かれる中世の風景も魅力だが、現代からはあまりにかけ離れていて、まさにお伽噺のような感じがある。
 だが19世紀というと現代にも近く、自動車や鉄道が走り、サラ・ベルナールという有名な女優の名前も出て来て、中世よりもわれわれにとってリアリティがある。
 子供時代に読んだルパン、ホームズが活躍する時代というのも親近感がわく理由かもしれない。

 さて映画「ルパン」。
 活劇があり、19世紀の怪しい感じもあって、なかなかの娯楽作。
 だがフランス映画ということもあり、人間もしっかり描いている。
 以下、ネタバレ。
 
 王家の宝の謎が解け、クライマックスが終わった所で意外な展開。
 何とルパンが愛した妻のクラリスがカリオストロ伯爵夫人に殺され、子供のジャンを奪われるのだ。
 愛するものをすべて失ったルパン。
 ここから彼は虚無の生活を送ることになる。
 仮面を被り、心を閉ざし、<怪盗紳士>という役割を演じ続ける。
 実は愛に飢えているのに、<自分に関わったものはすべて悲劇に遭遇する><誰かを愛しても必ず失われる>という思いから人を愛せないのだ。

 これでルパンという人物像が掘り下げられた。
 単なる快男児、伊達男ではなくなった。
 ルパンは愛を求める代わりに、美術品や宝石を求めている。
 「同じ人からは二度と盗みません。特に美しい女性からは。だから今夜盗んだ物は明日お返しします」と華麗に振る舞うルパンだが、心の中は哀しく孤独でしょうがない。

 作品は人物を掘り下げることで、深みが出て来るんですね。
 ラストもなかなか深い。
 カリオストロ伯爵夫人に操られた成長したルパンの息子・ジャンがオーストリアの皇帝を爆弾で殺そうとするのだ。
 これは、20世紀の第一次世界大戦の開始を思わせるエピソード。
 ルパンはそれを間一髪阻止するが、現実の事件と遭遇させることで、ルパンとこの物語が俄然リアリティを持ってくる。
 カリオストロ伯爵夫人との戦いが今後も続きそうなニュアンスも。
 なかなか上手いラストだと思う。


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