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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ラブ・アクチュアリー~愛を求めて奮闘する人達!

2011年04月02日 | 洋画
 「ラブ・アクチュアリー」を再び見た。

★秘書に恋してしまった総理大臣。
★メイドに恋をしてしまった作家。
★アメリカに旅立つ同級生に恋をしてしてしまった少年。
★英国人はアメリカではモテモテだと夢を描いてアメリカに旅立つ青年。
 彼らは走る愛する人を求めて。
 こんな恋もある。
★結婚した親友の妻に恋をしてしまった画家。
★秘書に誘惑される会社社長。不倫。
★相手のポルノ女優にウブな恋心を抱くポルノ男優。

 これら、この作品の登場人物たちに共通することは何か?

 <人は愛を求めて必死で生きている>ということ。

 僕は、この作品の<愛を求めて奮闘する人たち>が大好きだ。
 みんな、メチャクチャ無器用だが、すべての人が素敵で、輝いて見える。
 この作品を見ると、「恋をしよう」という気持ちになれる。

 ただし……!
 ここで、人生の苦い面について語ると、実はワクワクして楽しいのは<愛を求めて奮闘している時>、<恋が成就する時>まで。
 恋人同士になったり、夫婦になったりすると、途端に情熱が冷めてくる。
 もちろん、その状態からいかに<愛を育んでいくか>という第二のテーマが出て来るのですが、このテーマを扱った作品が少ないのは、やはり見事に愛を育んだカップルが少ないからでしょうか?


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フラッシュダンス~ヒロインのライフスタイル

2011年02月02日 | 洋画
 バレーダンサーを目指している主人公・アレックス(ジェニファー・ビールス)の生活がかっこいい!
・自転車で職場に通勤。
・仕事は男たちに混じっての溶接工。バチバチ火花を立てて鉄と闘っている。
・夜は半分ストリップまがいの劇場で、ダンスパフォーマンス。
・住んでいる所は倉庫のような所で、同居者はブス犬。
 そこでハードなダンスのトレーニングをしている。

 ひとりの女性のライフスタイルとしては、かなりイケてる。
 普通なら仕事は、街の雑貨屋とかになりそうだが、何と溶接工で、見事に裏切っている。
 ひとりでストイックに生きているのもいい。
 うまい人物設定だ。
 主人公のライフスタイル、これが当たり前であったらつまらない。

 さて、こんなにかっこいいアレックスだが、実は心の中に大きなコンプレックスを持っている。
 ダンスは自己流で正式なレッスンを受けていないのだ。
 だからバレー学校に願書を提出に行っても、怖じ気づいて途中で帰ってきてしまう。
 これは映画評論家のどなたかが言っておられたことだが、こんな現代風の女の子が、<バレーダンサー>にこだわっていることも面白い。普通ならPOPなダンスの方に足が向きそうだ。
 実際、アレックスのダンスは肉体と情熱を全面に出して表現するダンスで、およそバレーの洗練からはかけ離れている。

 物語は青春ものの例に漏れず、アレックスの成長を描く。
 コンプレックスに悩み、人に傷つき、自分を見出したアレックスが、最後のバレー学校の入学実技試験で、どのようなダンスを披露するかは見物だ。
 ラストのダンスシーンを見るだけでも価値がある。


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サタデー・ナイト・フィーバー~若者は旅立つ!

2011年01月29日 | 洋画
 この作品は冒頭のシーンに尽きる。

 ♪自分が何者であるかを知れ
  活力を失うな
  街を体で感じろ♪

 ビージーズの「ステイン・アライブ」をバックに、主人公トニー(ジョン・トラヴォルタ)はブルックリンの街を歩く。
 ショウウインドーの靴を見て、すれ違う女の子に声をかける。
 気に入った青いシャツをショウウインドーでみつければ、とって置いてくれと店主に5ドルを渡す。
 ハンバーガーを頬ばりながら、街の人間と声をかけ合う。飛んできたバスケットのボールを投げ返す。


 これらの行動で、トニーがまさに街を体で感じ、活力を受けて生きていることがわかる。
 ディスコミュージックも彼に力を与える。

 しかし、この活気に満ちた時間もやがて現実という日常にとって代わられる。
・ブルックリンの貧しいイタリア移民。
・わずかな時給でのバイト生活。
・牧師となった兄を賞賛し、トニーをどうしようもないヤツと見下す両親。
・マンハッタンの住人への劣等感。
・自分は刹那的に生きているクズという意識。

 トニーは踊っている瞬間だけこれらクズの日常から解放されるのだが、それだけでは満たされない。

 この作品はトニーの成長物語だ。
 自分が生きている現実に嫌気がさし、旅立っていく。
 冒頭のビージーズの曲に ♪自分が何者であるかを知れ♪という歌詞があったが、トニーは<自分が何者であるか>を認識していく。
 それは<ダンスをする自分>。

 若者の特権は、いつでも今までの自分を捨てて、旅立てること。
 歳をとってからも旅立つことが出来るが、年齢を重ねると、しがらみや持っているものが多すぎて、なかなか歩み出すことが出来ない。

 活力を失って、街を体で感じられなくなったら、旅立とう!!


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ワルキューレ

2011年01月21日 | 洋画
 シュタウフェンベルク大佐(トム・クルーズ)の<狼の巣>爆破によるヒトラーの暗殺。
 僕はこの事件は知っていたが、まさかこの後にクーデター計画が用意されていたとは思わなかった。
 非常事態が起こった際に、ベルリンの予備軍を動かすことが出来る<ワルキューレ作戦>。
 これをシュタウフェンベルク大佐はクーデターに利用しようと考える。
 すなわち、ヒトラーを暗殺した後、<ワルキューレ作戦>を発動。
 予備軍を使ってヒトラーの親衛隊を鎮圧し、ベルリンを掌握する。
 そして一気に新しい政府を作る。
 なるほど、新しい政権を作るには、単なる独裁者の暗殺だけではダメで、力(=この場合は軍)に拠る政府や放送局の掌握が必要なのだ。

 ここに様々なドラマがあった。
 まずは、ヒトラーの側につくかクーデターの側につくかという葛藤。
 ベルリン警察は、ヒトラーがドイツを滅ぼすと考え、クーデター側につく。
 シュタウフェンベルク大佐を逮捕しない。

 <ワルキューレ作戦>の発動権を持つ司令官フロム(トム・ウィルキンソン)は、ヒトラーの側につき、クーデターに加担せず、拘束される。

 中立の立場を取る者もいる。
 軍の命令を伝達する電報局。
 電報局長は、「われわれの仕事は政治に関わることではない。電報を伝達することだ」と言って、ヒトラーの体制から出て来る命令とクーデター軍の命令を両方とも流す。

 状況がわからず、命令を受けたから実行しているという人間もいる。
 予備軍を直接指揮する現場の将校・レーマー少佐だ。
 レーマーはクーデター側から流れる命令を実行し、クーデターを推進する。しかし、彼は自分がクーデターに加担しているとは思っていない。忠実に命令を実行しているだけだと思っている。

 このように様々に展開される人間ドラマ。
 そしてクーデターは成功するかに見えたが、あることをきっかけに崩壊していく。

 以下、ネタバレ。

 ヒトラー暗殺は結局失敗で、生きているヒトラーが予備軍のレーマーに自分の命令に従うように電話するのだ。
 これによりクーデターの推進力である予備軍は動かなくなる。むしろ反クーデターにまわる。
 オセロゲームで○があっという間に●に変わるように、クーデター側は追いつめられていく。
 そしてヒトラーの体制は復活して、クーデター側は粛正される。

 この作品は歴史を題材にした壮大なドラマだ。
 描きたかったのは、トム・クルーズのシュタウフェンベルク大佐を始めとするヒトラー打倒という信念に生きた男たちの姿であろう、
 そのテーマが、クーデター側が粛正されることで、より強く伝わってくる。

 そして歴史は、このような様々な人間の思いや葛藤や闘い、偶然という神の悪戯みたいなものが折り重なって展開されていく、ということがわかる。
 もし、ヒトラーの暗殺が失敗に終わらなかったらクーデターは成功していたであろう。
 まさに<神の悪戯>である。


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年末のバラエティ番組あれこれ。笑っていいとも、オモバカなど。

2010年12月31日 | 洋画
 年末のバラエティ番組。

★「笑っていいとも! 年忘れ特大号」
 冒頭のコーナーでロンドンブーツ、田村淳さんの高校時代の元カノが登場。
 淳さんはメチャクチャ照れていた。
 高校時代は純情であったらしい。
 告白する際は直接呼び出せず友達に頼み、つき合ってからは自分の吹きこんだ歌を彼女に贈ったりして。
 でも歌を彼女に送るって……。
 これじゃあ「ロンドンハーツ」で口笛付きの歌を贈った狩野英孝さんと同じだ。
 淳さんにもこんな時代があったんですね。
 こういう体験が淳さんの下地にあるから、狩野さんやフルーツポンチの村上さんたちに恋愛ドッキリを仕掛けても嫌みにならない。
 また淳さんは攻撃は得意だが、自分に関わることで防御にまわると弱い。
 先程の高校時代の元カノ登場や、爆笑問題の太田さんに「元カノ登場? もしかして安室ちゃん登場?」と突っ込まれて困惑する淳さん。なかなか可愛い。
 これがロンブー淳さんの人柄。
 いたずらっ子で実はシャイで。
 こういう所が淳さんの人気の秘密なのだろう。
 
★昨日やっていた「お笑い総合格闘技オモバカ」
 これは従来のお笑いネタ番組から進化した新しいスタイル。
 たとえば「エンタの神様」や「レッドカーペット」と比べてみるといい。
 「レッドカーペット」では得点という対決色はあったが、それはどうでもいい、とってつけたようなもの。
 ところが「オモバカ」は、相手のギャグに笑ったら負けという完全なガチバトル。
 おまけにリングを造り、セコンド、解説者、レフェリーまでを置いて完全な格闘番組。
 今年ノーベル化学賞を取った異質なものを掛け合わせて新しい物質を作るという<触媒の理論>ではないが、「オモバカ」ではお笑い番組と格闘番組を掛け合わせている。
 そして、その掛け合わせの結果、生まれたのがセコンドやレフェリーの今田耕二さんとのやりとり。
 これが思わぬ副産物としてギャグを生んでいる。
 「M-1グランプリ」記事でも書いたが、新しいものを作るには既存のスタイルを壊すことが必要。
 「オモバカ」はそのいい例だ。

 そして紅白って……。
 六十年以上も同じスタイルですよね。

★最後は偶然テレビをつけたらやっていた「ごきげんよう」
 明石家さんまさんが出ていた。
 この人は本当に<お笑い怪獣>ですね。
 司会が小堺一機さんなのに司会を奪ってしまう。
 当たり目のコーナーでゲストに質問を出すロボット・コロ助に「お前、テンポが悪いねん!」とダメ出し。
 番組を笑いでどんどんぶち壊している。

 こんなシーンがあった。
 さんまさんと小堺さんが悪乗りして歌を歌い踊り始める。
 お笑いの世界では、ここで「もうええわ! いい加減しろ!」と止めるのが定石だが、hitomiさんらゲストの方は黙って見ている。
 するとさんまさんは「なんで止めないのや!」とダメ出し。

 さんまさんは既に五十歳半ばだと思うが、すごいですね、この人は。
 このパワー、ギャグへの執念!!

※追記
 こんなシーンもあった。
 久本雅美さんがゲストの時、久本さんがバラの花をもって「これどっちが私かわかる?」というギャグをした後、さんまさんはこれに乗っかる。
 テーブルの白いおしぼりを持って、自分の歯を見せ、「これどっちが歯かわかる?」
 あらゆることをギャグにする人だ。


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フットルース~若さとは? ダンスとは?

2010年12月26日 | 洋画
 レン・マコーミック(ケヴィン・ベーコン)がやって来た町は、ユタ州の片田舎の保守的な町。
 読むべき本は「トムソーヤ」、聞くべき音楽はハイドン。
 だが、若者の溢れるばかりのエネルギーはそれを潔しとしない。
 出口を求めて、自由に恋愛をしたいし、ダンスもしたい。
 そこで主人公のレンは<ダンス禁止>の町のルールをたたき壊そうとする。

 まず若者について。
 僕も若者だったのはだいぶ前のことだったので忘れてしまいましたが、<若さ>ということは<エネルギーに溢れていること>なんですね。
 刺激や楽しいことを求めて行動せずにはいられない。
 自分を抑えつけるものには反抗せずにはいられない。
 音楽で言えば、ハイドンよりはベートーヴェン、ベートーヴェンよりはロック。
 恋愛やセックスも重要な要素。相手を求め、走りまくる発情期。

 一方、中高年になるとエネルギーが枯れてきて、穏やかなものや秩序・安定を求める。
 常識に縛られ、異質なものを受け入れることが出来なくなる。
 そして、自分自身にも<若い時><発情期>があったのを忘れて、自分の価値観を若者に押しつけようとする。

 この作品を見たのはだいぶ前だったが、今回改めて見て<若者>とはこういうものだったんだなと気がついた。
 若者のすることに眉をひそめ、自分が抑圧する側にまわってはいけないんだな、と思った。

 若者はエネルギーに溢れ、時に無意味なことをする。
 オトナから見ると無為に時間を過ごしているように思える。
 でも、それはオトナの人生の残り時間を数えてしまうから。
 オトナは残り時間が少ないから、無為な時間をなくして、意味のあることをしようとする。
 でも若者には死など考えることもない無限と思える時間がある。
 だから無意味なこと、無為なことが出来るのだ。

 そして繰り返すが、オトナは若者がそういうものだと理解しなければならない。
 あるいはオトナが若さを取り戻したいと思ったら、無意味なことをしよう。
 心の安定、穏やかさを捨てて、感情の嵐に浸り、血湧き肉躍る興奮をしよう。
 そのための有効な手段としては<ダンス>がある。

 これは映画「マンマミーア!」や「shall we dance?」のテーマにも通じるが、ダンスは<若さ>を取り戻す手段である。


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ブッシュ~ザッツ戦争コメディ!

2010年10月14日 | 洋画
 アメリカ・ブッシュ大統領のイラク侵攻までを描いたコメディ?

 二代目ブッシュ大統領は名門ブッシュ家の落ちこぼれで、父親にコンプレックスを持っていた。
 父親に認められたくて大統領にもなったし、パパ・ブッシュを乗り越えたかった。  そこで起こしたのが<テロの一掃>という大義名分のもとに行った第二次イラク戦争。

 だが、その結果は<大量破壊兵器はなかった>という現実。
 では一体何のための戦争だったのか?
 二代目ブッシュのコンプレックスを解消するための戦争?
 アメリカの石油メジャーがイラクの石油利権を獲得したいがために起こした戦争?
 世界の平和を維持する世界の警察官たるアメリカが中東に軍の基地を置きたいがための戦争?
 喜劇と悲劇は表裏一体と言われるが、まさに二代目ブッシュ大統領が起こした戦争は悲劇であり喜劇である。
 こんなバカバカしいことで戦争が行われ、たくさんの人が亡くなった。

 作品中ではこんな喜劇シーンがある。
 バーベキューをするために郊外に集まったブッシュ大統領と政府高官たち。
 戦争の話をしながら郊外の道を歩いているうちに道に迷ってしまう。
 「ここはどこだ?」「道が違う」とあわてるブッシュ大統領。
 これはまさに大統領が正確な道を見失ってしまったことの隠喩。
 道を見失った大統領に何の疑いもなくついていく政府高官へのからかい。

 同じ様なことではライス国務長官の描写も面白い。
 IQが高く聡明なことで知られる彼女だが、ただのイエスマン(正確にはイエスウーマンか)として描かれるのだ。
 彼女は何を聞かれても大統領に反対意見を言わない。
 聡明なのだから愚かなブッシュ大統領にいろいろ意見を言ってほしいのにただ従うだけ。
 すごい皮肉である。

 というわけでコンプレックスを抱えた愚かな指導者と彼への盲目的な追随者によって引き起こされた愚かな戦争。
 そう言えば、わが国の小泉首相も盲目的な追随者だった。
 キャッチボールなんかをして喜んで。


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マンマ・ミーア! 彼女はダンシング・クイーン!

2010年09月01日 | 洋画
 青春の復権の映画である。
 ABBAを聴いて青春時代を過ごした中高年に見てもらいたい映画である。

 娘の結婚式に現れた3人の男たち。サム、ハリー、ビル。
 彼らは主人公・ドナ(メリル・ストリープ)の元恋人。そして結婚する娘の父親候補。
 ドナは若き頃、この3人の男とロマンスがあって3人のうち誰が父親かわからないのだ。
 娘とヴァージンロードを歩きたいと言い出すサムたち。
 一方自分の自由奔放な過去がバレるのが怖くて、帰る様に言うドナ。

 楽しくなるのは作品前半で流れる「ダンシング・クイーン」だ。
 かつての男たちの出現に戸惑うドナ。
 ドナの女友達たちはそんな良識あるオトナになってしまったドナをからかう。
 「人気者で自由奔放だったあんたが何言ってるの?」
 「昔の自分を隠して、いいお母さん気取り?」
 「オトナはやめて子供に戻りなさい」
 「人生は楽しまなくちゃ!」

 そしてドナの友人達は「ダンシング・クイーン」を歌い始める。

♪ 踊ってよ リズムに乗って、最高の時を楽しんで
  あの娘を見て あのシーンを あなたはダンシング・クイーン

  金曜日の夜 出かける場所を探してた いい音楽のあるナイスな場所
  いい男を捜すために

  夜はこれから 
  音楽が高鳴り ロックがかかれば それでOK 体が動き出す
  もうあなたはダンシング・クイーン 若くてスウィート まだほんの17歳

  セクシーに迫るのよ
  火をつけたら逃げちゃうの 次を探すの 相手は誰でもいい
  キメるチャンスが来たら
  もうあなたはダンシング・クイーン 若くてスウィート まだほんの17歳 ♪

 「ダンシング・クイーン」を歌い踊るドナたち。
 彼女たちは歌いながら恋にわくわくドキドキしていた17歳に戻るのだ。
 体のキレが悪くてぎこちなくても、脚が上がらなくても踊り続ける。
 そしてそのまま街に出ると、ドナ達に触発されたのか、今度は街の中高年の女性達がいっしょに踊り始める。
 家事をやめて、薪拾いの仕事をやめて。

 家族や生活に埋没した中高年の女性達が「ダンシング・クイーン」で、昔を取り戻す。
 輝いていた青春時代を取り戻す。

 この作品はおそらく若い人には理解されないだろう。 
 そして現在のエンタテインメントはほとんどが若者ターゲットのもの。
 そんな中、「マンマ・ミーア!」は中高年が見るべき楽しい映画だ。
 この作品は中高年を元気にしてくれる。 


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マーシャル・ロー 命がけで守らなくてはならないもの

2010年07月06日 | 洋画
 ニューヨークでテロが続発。
 テロリストたちの行動を抑えるために、大統領は戒厳令を発令。
 軍がニューヨークに展開される。
 そしてアラブ人は収容所に。
 この戒厳令の裏には軍が暗躍していて……という物語。

 この作品ではアメリカのふたつの顔が描かれる。
 ひとつは<世界の指導者><警察官>の顔。
 アメリカは自分の価値観を押しつけ、自分の望む世界秩序を作ろうとしている。
 そのために時に軍を派兵し、時にスパイを侵入させ内乱など様々な工作を行う。
 平和やテロの温床の撲滅の名のもとに。
 アメリカにしてみればそれは理想の実現であるかもしれないが、押しつけられる側にしてみれば迷惑な話だ。
 これが現在の世界の紛争や混乱のもとにもなっている。

 そしてもうひとつの顔。<自由と民主主義の国>。
 この作品では、アメリカに住むアラブ人が収容所に入れられることに対し反対のデモが起こる。
 また、主人公のFBI捜査官のハブ(デンゼル・ワシントン)は、法によって軍の指揮官・ダヴロー将軍(ブルース・ウィリス)を拘束する。
 軍隊は人を殺傷することが出来る圧倒的な権力。
 しかしアメリカではそれに対し、デモや法という手段で対抗できる。
 FBI捜査官のハブは将軍の拘束により、法がどんな強力な武器よりも上に位置し、力があることを証明してみせた。
 これはアメリカの良き部分である。
 
 この作品はアメリカ映画にありがちな<自由と民主主義の国・アメリカ>を礼讃する内容になっている。
 よくもまあ、恥ずかしくもなく自国を礼讃できるなぁという気もするが、ハブが言う「自由と民主主義は我々が勝ち取ってきたものであり、命がけで守らなければならない」という主張にはうなずける。共感できる。
 決して法が無力となり、軍隊が法以上の力を持つことがあってはならないのだ。


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トレーニングデイ 善と悪の危うさ

2010年06月16日 | 洋画
 デンゼル・ワシントンの作品というのはハズレがない。
 また、これだけ様々な役を演じ分けられる役者さんも珍しい。
 「ボーンコレクター」の知性のかたまりのような刑事。
 「マイ・ボディガード」の戦場の虚無を背負いながらも心に温かいものを持っている男。
 そしてこの作品「トレーニングデイ」の悪徳刑事。
 知性と暴力、静と動、陽と陰、様々な役を見事にこなす。
 たとえばエディ・マーフィは陽気な黒人だし、スティーヴ・マックィーンはタフガイですからね、デンゼルの近く公開される作品は「トレーニングデイ」の悪徳キャラに近いそうだけど、楽しみ。

 さて物語の方は塀の上を歩くような緊張感がある。
 悪と闘うために、<狼>となるか<羊>となるか?
 狼とは法律を破り乱暴で汚い手段を使ってでも悪と立ち向かうと仕事の仕方。
 羊とは法律を守り、法にのっとって悪を追いつめていくやり方。
 どちらが現実の悪に有効かと言えば、劇薬である<狼>の方。

 たとえば劇中ではこんなエピソードがある。
 通常の法律では裁けない麻薬の売人の元締め。
 デンゼル演じる狼の刑事・アロンソはその元締めを正当防衛に見せかけて殺す。
 正当防衛に見せかけるために同行した同僚の刑事に重傷を負わせることもいとわない。
 また麻薬の元締めが隠し持っていた資金を警察の上層部に賄賂として渡し、自分の乱暴なやり方が追及されないように手を打つ。
 何ともすごいやり方だが、通常の法律にのっとっていたら、元締めは未だに暗躍し、麻薬を売り続ける。
 見ている方もアロンソの<狼>のやり方の方が正しいのではないかと思えて来る。

 <狼>か<羊>か?
 この二者択一がアロンソに同行する新米刑事ジェイク(イーサン・ホーク)の目を通して描かれる。
 アロンソは善なのか悪なのか? 現実の悪に対抗するには<狼>か<羊>か?
 そんな緊張感が全編に漲っている。

 この作品のラストはなかなか深い。
 ネタバレになるので書かないが、アロンソのやり方は<善>にも<悪>にも転ぶ危うさを持っているとだけ書いておく。

※追記
 シェイクスピアではないが「善は悪であり、悪は善」なのだ。
 たとえば、法律を守る善の捜査をしていたら麻薬は売られ続ける。(善は悪)
 だが、法律を守らない暴力による捜査をしていたら麻薬の売人は一掃される。(悪は善)
 この作品は<善>と<悪>に単純に分けられるこれまでのドラマとひと味違う。


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