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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

人生の目的 五木寛之

2008年07月12日 | エッセイ・評論
 「人生の目的」大仰でストレートなタイトルだ。
 「青年は荒野をめざす」「蒼ざめた馬を見よ」、タイトル上手な五木寛之さんには珍しい。
 どういうわけか手にとってしまった本だが、次の3つのビジュアルイメージが印象的だった。

★木箱のライ麦
 木箱に植えられた一本のライ麦の根。
 これを繋いでいくと細いものを入れて1万3000メートルにもなるらしい。
 これが指し示すことは何か?
 植物は必死に生きようとしていること。
 それに比べて人間はどんなに簡単に死を選んでしまうことか。
 生きることは自然、自殺することは不自然なのだ。

★川を流れる小舟
 川の流れとは人生や時代。小舟は人。
 人は時代の大きな流れには逆らえないし、生命が終わることにも逆らえない。
 例えば戦争の時代に生まれれば否応なく戦場に駆り立てられてしまう。
 軍隊に入らない、抵抗という道もあるが迫害を受ける。
 石油高騰の物価高、この時代の流れに一個人では抗せない。
 人は時代に流される。ゆっくり流される人、速く流される人の違いがあるだけだ。
 生命もそう。
 人は人生の終焉、死に向かって流されている。

★闇の中の光
 人が生きるとは荷物を背負って暗闇の中を歩く様なもの。
 確かにこの先何が起こるか予想できる人はいないし、自分の人生の指針をしっかり持って歩いていける人も少ない。
 そして背中の荷物は重い。
 しかしはるか彼方にわずかでも光が見えていたら……。
 足取りや荷物はずい分軽くなるだろう。
 五木さんはその光が宗教ではないかと言う。(ここは検討を要するが)
 その光を探すのが人生の目的ではないかと言う。

 難しいテーマでもこの様にビジュアルで語られるとストンと頭に入る。
 右脳で理解する。右脳で覚える。
 何か困難にぶち当たった時、これらのビジュアルイメージはきっと力を与えてくれるだろう。


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3日で運がよくなる「そうじ力」

2006年12月28日 | エッセイ・評論
 年末、大掃除。
 今回は掃除の本を。「3日で運がよくなるそうじ力」(舛田光洋・著 王様文庫)

 基本的な考え方はこうだ。
「ゴミやガラクタ、不要品などはマイナスエネルギーを発する要因。
 マイナスを取り除き、プラスを引きよせよう」

 捨てる時に必要・不必要を決める判断基準は何か?
★元カレ・元カノにもらった思い出の品など過去に関わるもの。
 これで気分がハッピーになるならいいが、そうならない物は捨てる。
★読まない雑誌、使い古しの化粧品、食べ残しのお菓子、何年も見ていないビデオなど。
 いわゆる「もったいない」と思って捨てられないもの。
 いつのまにかたまった物は日々のパワーを奪っていく。
 食べ残しのお菓子を見て、元気になれるか?
 確かに新しく買ってきたお菓子の方がワクワクする。
★いつか使うもの。
 いつかとは未来。いつか使うものを目にすることで、現在に対してプレッシャーが。今を生きるためだけのものを残す。

 結局、「そこにあって自分のパワーを奪う物は捨てなさい」ということらしい。
 思い出の品でもパワーを与えてくれるものは残しなさいということらしい。
 なるほど。
 確かにマイナスの品に埋もれて、プラスの品が見失われているということもある。
 過去ではなく未来に生きた方がワクワクする。
 未来に関わるものを置けるスペースがある方がワクワクする。
 しかし、そうは言ってもなかなか捨てられないもの。
 そんな時にはこんな発想を持てという。

「ひとつ捨てるごとに、プラスがひとつたまっていくイメージを持つ」

 なるほど。
 その他にもこの本では、こんな発想が書かれている。
「掃除をすることで、結局は自分を好きになれる」
 確かにそうじの出来るきちんとした自分の方が、だらしない自分より好きになれる気がする。

 最後に本の整理について書かれていることを。
「情報は自分で使ってこそ意味があります。必要のないもの、役目の終わったものは排除して、新しく自分の栄養になる本でいっぱいにしましょう」
 整理のポイントについてはこう書かれている。
★スペースに合わせて保有する。
 本棚に置けない以上の本は持たない。
★定期的に本を動かす。
 こうすることにより何年も手をつけていない本がないようにする。

 さて、これから大掃除を始めます。

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100人が選んだ究極の「一字」

2006年07月20日 | エッセイ・評論
 一字一会。いま、何か一つだけ、字を書くとしたら?

 というコンセプトで各界著名人100人が「書」を書いたこの本。
 それぞれの味のある文字に見ていて楽しいが、
 今回は誰がどんな字を選んだか。その字にどんな想いを込めたか。

・筑紫哲也……無     一生を終えた時はすべて「無」
・森村泰昌……美
・ピーコ………心
・石坂 啓……変     平和であることが恥ずかしいという人は「変」。
・宮沢和史……違
・松崎菊也
 緒方 拳……開     開拓・開放・未開、心を開く。
・山下勇三……否
・村松友視……妙
・香山リカ……愚     愚者でありたい。
・辻井 喬……凡
・森 雅之……漫     まじめでない事。パンクな一字。
・山崎 努……雑
・串田和美
 上村淳之……和
・鶴見和子……命
・羽田澄子……時
・新井敏記……旅
・中村うさぎ…儚
・ねじめ正一…過     中庸よりも過剰。
・荒木経惟……女

・岸田今日子…毒     お説教は「薬」、ドラマは「毒」。
・椎名 誠……怪     怪しいことの魅力。
・南 伸坊……奇
・麿 赤児……幽
・伊藤俊治……霊

・重松 清……情
・小沢昭一
 江口寿史……楽     楽をする。楽しい。
・松本侑子……喜
・安藤文平
・ホーキング青山……笑
・五味太郎……陽
・新藤兼人……鬱     創造は鬱にはじまる。
・安部譲二……怒
・岸田 秀……恨

・筒井ともみ
 森田芳光
 永田 萌……水
・落合恵子……海
・米原万里……坂
・河合雅雄……森     森には木だけでなく蝶、小鳥がいて小川などがある。
・武田 花……雲
・金子兜太……土

・鴻上尚史……身     手応えのない理論よりも手応えのない身体。
・安西永丸……手
・北原みのり…指

・池内 紀……見
・森巣 博……祈
・植島啓司……賭
・松岡正剛……遊

・岡田恵和
 石井桃子……生
・佐高 信……野
・竹本住大夫…道
・犬童一心
 妹尾河童……空     「そら」または「くう」
・森まゆみ……郷     国が壊す森や野のために郷は戦う。
                郷は国の違う人を犠牲にしない。

・中島みゆき
 水森亜土……ん
・長田 弘……。
・岸本葉子……○

             「100人が選んだ究極の一字」(株)金曜日より


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「対話のレッスン」 その2

2006年07月08日 | エッセイ・評論
 日本社会は「対話」という社会を持たなかった社会だった。
 では今後、どうするか?
 あるいはどんな社会を作るか?

 著者は「対話」社会だと言う。
 まず、著者は現代の日本をこう見ている。

1.大きな国家目標のなくなった時代
 確かに「富国強兵」「高度経済成長」といった大目標はなくなった。
2.個人の時代
 大目標がなくなって、個人が何を目標にするかを自分が決めなくてはならない社会になった。
 著者は言う。
「日本人がいま感じている閉塞感や、将来に対する不安の核心は何だろう。私は、それは、経済の不安や政治に対する不信から来るものだけではないと思っている。
この不安の核心を一言で示そうとすれば、それは、『自分の幸せを自分で決めなくてはならない不安』とでも言えるだろうか」

 『自分の幸せを自分で決めなくてはならない不安』
 なるほど、目標や幸福を社会や国家が決めてくれなくなったから、私たちは不安なのだ。
 いろいろな価値観が溢れ、どれを選んでいいかわからず、自分を見失っている状況。結婚することが幸福なのか? 会社で出世することが幸福なのか? 今を生きる人間は何が幸福なのかが決められずにいる。

 こんな状況で著者の平田オリザ氏は次のことを認めて行動せよと提案している。

 まず、認めることは次の4点。
1.私とあなたは違うということ。
2.私とあなたは違う言葉を話していること。
3.私はあなたがわからないということ。
4.私が大事にしていることをあなたも大事にしてくれるわけではないということ。

 そして行動すべきことはこう。
・理解し合える部分を少しずつ増やし、広げて、社会の中で生きていく。
・話をしてみて、自分と他者との差異を見つけていく。
 「対話」の社会だ。

 それはある意味、大変な作業かもしれない。
 言葉は物事を完全に伝えるものではないからだ。
 言葉を発すれば、「他人を傷つけたり」「傷つけられたり」「自分の想いがまったく通じないと思ったり」、様々な困難が待ち受ける。

 しかし著者は、そこから「人はコミュニケーションの技術を学んでいく」と言う。
 そして、それが芸術やエンタテインメントを求める動機になると言う。
 著者はこう書く。
「人は例えば誰かを好きになったときに、その言うに言われぬ気持ちを言葉に託したくて初めて詩を読むものだ。あるいは愛する者を失った悲しみを、そのままにはしておけなくて、小説を読んだり芝居を見たりして、その悲しみを表すのに、何かぴったりの言葉や表現を見つけて、かろうじて精神の均衡を保つのだ」

 平田オリザ氏はこれが「芸術」「エンタテインメント」の役割だと言う。
 また、そうした「対話」の形を見せるのが、「芸術」「エンタテインメント」だと語る。
 例えば、今期ドラマの「結婚できない男」。
 物語は、結婚を否定している信介が「対話」を通して、結婚について考えていくドラマになるだろう。
 例えば、「誰よりもママを愛す」の薫くん。
 彼は、主夫であるパパを恥ずかしいと思っているが、「私は家族のために一生懸命なパパを尊敬しているわ」といった「対話」を通して変わっていく。
 パパも「対話」によって、なぜ薫が授業参観のことを隠していたかが分かり、「主夫」である自分のあり方を少し考え直したはずだ。
 そして何よりもお互いが分かり合えた。
 「対話」をする前の薫とパパよりは、後の方がずっと豊かな関係になっている。
 これはまさに「対話のレッスン」だ。

 この本はこうした演劇論・エンタテインメント論でもあった。

★追記
 平田氏は中山義道氏の文章を引用して、「対話の社会」をこの様にも表現している。
1.弱者の声を押し潰すのではなく、耳をすませて忍耐づよくその声を聞く社会。
2.漠然とした「空気」に支配されて責任を回避する社会ではなくて、あくまで自己決定し、自己責任をとる社会。
3.相手に勝とうとして言葉を駆使するのではなく、真意を知ろうとして言葉を駆使する社会。
4.「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をグイと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔く責任を引き受ける社会。
5.対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしてそこから新しい発展を求めていく社会。
6.他者を消し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会。

             (「対話のレッスン」平田オリザ・著 小学館より)
 
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「対話のレッスン」 その1

2006年07月07日 | エッセイ・評論
 現代における「対話」の重要性を説いている劇作家・演出家の平田オリザ氏。

  1
 「対話」とは何か?
 まず平田氏は「会話」と「対話」をこう定義している。

「会話」……よく知った者どうしの気楽なおしゃべり。
「対話」……お互いのことをよく知らない者どうしが「知らない」ということを前提にして行う意識的なコミュニケーション。

 そして「対話」の具体的なあり方として、中山義道氏の「対話のない社会 思いやりと優しさが圧殺するもの」から引用してこう書いている。
 
1.自分の人生の実感や体験を消去してではなく、むしろそれらを引きずって語り、聞き、対話すること。
2.相手との対立をみないようにする、あるいは避けようとする態度を捨て、むしろ相手との対立を積極的に見つけていこうとすること。
3.相手との見解が同じか違うかという二分法を避け、相手との些細な「違い」を大切にし、それを「発展」させること。
4.自分や相手の意見が途中で変わる可能性に対して、つねに開かれてあること。

 ここで重要なのは、どちらかが正しいか間違っているかではなく、「違い」を明確にし、それを「発展」させていくということだ。
 これはディベートとは大きく違う。

 そして平田氏は「忠臣蔵」を例に挙げて「対話」をこう具体的に説明している。

 事件が起こる前までの赤穂浪士は藩の雑務を円滑に進めるための「会話」だけを繰り返していた。ところが彼らは思ってもみなかった事態に直面し、初めて個々人の人生観、世界観(藩や忠義に対する考え方など)の相違を認識した。おそらく彼らは隣にいる人間がこうも自分と違った考え方をしていたかと驚いたろう。この驚き、戸惑いが疑心暗鬼を呼び、忠義と裏切りの物語を生み出して、「忠臣蔵」を不朽の名作にした。
 そして価値観の差異に気づいた義士たちは意見を表明し、他人の意見に耳を傾け、最終的な結論を出して行動する。

  2
 平田氏はこうした「対話」の文化が明治以前の日本にはなかったと指摘する。
 理由は日本がほとんど他国と交流・摩擦のない鎖国状態であったこと。農民は一生農民で同じ土地にずっと暮らし、他地域の違ったものに触れることがなかったこと。
 つまり「他者」と関わることがなかったからだと言う。
 確かに同じ土地にずっと住んで、同じ人間と関わっていれば、言葉を尽くさなくても「何となくわかる」という状態になる。
 よく言われる日本人のコミュニケーションだ。

 平田氏は明治になって他国の異質なものに触れざるを得なくなった時に、明治の人たちは別の言葉を生み出していったと言う。
 つまり「演説の言葉」「討論・裁判の言葉」「教授の言葉」などなど。
 しかし、これらは「対話」の言葉ではない。
 「対等な人間関係に基づく、異なる価値のすりあわせのための日本語」ではない。
 明治の人たちは「対話」の言葉を生み出して来なかった。
 それは現在もそうだと平田氏は言う。
 その理由に関して、平田氏はこう書いている。
「明治以降130年、日本は異なる価値観をすりあわせていく必要がなかったのだ。戦前は「富国強兵」、戦後は「復興」あるいは「高度経済成長」という大目標に向かって、日本国民は邁進してきた。その大目標から外れる価値は、抹殺、弾圧、あるいは無視され、「対話」を生み出す機会はなかったのだ」

 なるほど。
 日常レベルの細かい事例を見れば違ってくるだろうが、国家・日本人レベルの大きな視点で見ればこの主張は正しいと思う。

 では、今後、日本はどんな「対話」の社会を作って行かなくてはならないのだろうか?
 それは次回に。

             (「対話のレッスン」平田オリザ・著 小学館より)

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「ミステリーの書き方」 第1章

2006年02月15日 | エッセイ・評論
 人はなぜ書くか?
「ミステリーの書き方」(アメリカ探偵作家クラブ編・講談社文庫)では、1章を使って、様々な作家のコメントを載せている。

 まずは生活派。
エリック・アンブラー
「わたしは生活のために、自分の書けることを書く」
ジョー・ゴアズ
「れんが工がれんがを積むのと同じで。つまりは生活のためだ。しっくいの代わりに言葉を操る職人だ」

 生活するために書く。
 生活費を得る手段として、書くことが自分に適しているから書く、というスタンス。確かに自分に合ったことで、お金は稼ぎたい。また世に残る芸術作品を書くために、何もかもを犠牲にして書くというスタンスではない。
 これがプロということだ。

 しかし、生活費だけでないプラスアルファを求めていることも確かである。
 前述のゴアズはこうも述べている。
「もう少しつきつめて書けば、書きたい、伝えたい、語りたいという衝動にかられるので書いている」
 作家は自分の書きたい物があるから書いている。
 よく作家になりたいという人で、何を書きたいのかわかないという人がいる。作家という職業に憧れているだけだ。
 作家を目指す人は、自分が何を表現したいのかを常に考えていたい。

 人はなぜ書くか?こんな書きたい理由もある。

ポーリン・スミス
「作家というのはいい商売だ。タイプライターの前から一歩も動かずに、銀行を襲ったり、気に入らないやつを皆殺しにしたりして逃げおおすこともできる」
ジョー・ゴアズ
「作家はすべからく自分が読みたいと思う種類のものを書くべきだろう。どれだけの自負があろうとも、作家というのはつまるところ人を楽しませる商売なのだということを忘れてはならない」

 自分が書きたいものということにも関わってくるが、「自分の読みたいものを書く」というスタンスは、書きたいものは何かを考えている人には自分に問うてみるといいだろう。
 「エンタテインメントを書く」というスタンスも共感できる。
 シェークスピアも漱石も別に芸術作品を書きたかったわけではない。「客を喜ばせたい。笑わせたい。泣かせたい」「自分の中のもやもやしたものを形にしたい」そんなことから出発したのだと思う。

 こんな理由もある。
ディナ・ライオン
「自我を満足させるには、自分の文章が活字になったのを見るのが何よりだったから。出来の悪いハードボイルドのミステリーをたまたま手にしてわたしは思った。わたしだってもう少しましなものが書ける」
メアリー・クレイグ
「わたしは整頓マニアだし、動機を探り出さないと気が済まないし、言葉というものにも魅せられている。それに抽象的なことでも目に見える物でも、いったん引っかき回してゴチャゴチャしてから、きちんとした形にまとめあげるのが好きなのだ」
 クレイブの言っていることは、まさに創作過程そのものだ。
 心の中の混沌からひとつの秩序を作っていくのが作家。
 そうした作業が大好きな人が作家を職業として選ぶということだ。

 ミステリーを書く理由としては、次の様なものがある。
クレイトン・マシューズ
「現代の小説にはプロットがなく、形の判然としないものが多すぎる。そこへいくとミステリーには始まりと中身と結末が欠かせない」
メアリー・クレイグ
「ミステリーというのは否応なく人間というものをさらけ出す」
アーロン・マーク・スタイン
「代数の方程式やスイス製の時計風の精密な構成はミステリー以外のたいていのジャンルですたれている」
 創作とは数学的なもの。
 心の混沌を混沌のまま書いても、人に理解されない。
 この点で、ミステリーはエンタテインメントに一番適したジャンルだと言う。

 最後に作家が目指すスタンスとして、こんなコメントがあった。
ドロシー・S・ディビィス
「すこしでもいいもの、深く掘り下げてものを書こうと努力している」

★研究ポイント
 自分を含めて、何かを表現したい人に問いかけたい言葉の数々。

★追記
 何だかんだで今回で100エントリー目になりました!
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サラリーマン川柳

2006年02月08日 | エッセイ・評論
サラリーマン川柳は時代を表現する。
基本は家に居場所がないオヤジ像。
妻が強く、子が強い。

1 ウォームビズ ふところ常に クールビズ
2 わが家にも 抵抗勢力 妻(つま)むすめ・・
3 健診日 前夜だけでも 休肝日
4 「はい」と言え 俺は家でも 言ってるぞ
5 ウォームビズ 顔まで みごとに 厚化粧
6 片付けろ! 言ってた上司が 片付いた
7 ご主人様 たまには家でも 呼ばれたい
8 メイドカフェ 冥土のみやげに 行ってやる
9 一点で 二転三転 志望校
10 「買っていい?」 聞く時既に 買ってある
11 妻準備 いい日 旅立ち 退職日
12 ダイエット 食費以上に 金かけて
13 耐震の 強度増すのは 妻ばかり
14 待つことが 愛だと知った 地球博
15 フォー!に萌え~ 意味は知らぬが 言ってみる
16 サラ川は 世相と本音の 早見表
17 刺客だと 言われ遠くへ 飛ばされた
18 子はゲーム 家ではパパが 無視キング
19 チルドレン きっと来る来る 反抗期
20 年金は いらない人が 制度決め
21 給料も あるといいのに リバウンド
22 エイ・エイ・オー!! 気合い入らず エイ・エイ・フォー!!
23 ポイントの カードで膨らむ 我が財布
24 連れてって 今じゃ ひとりで 行って来て!
25 健康に なればなるほど 薬増え
26 腑に落ちない ペットと俺の 生活差
27 脛かじる 息子の小遣い 俺の倍
28 ケイタイを 持つ気にさせた 孫の声
29 娘まで 何を聞いても 「個人情報」
30 飲みすぎて 駅のホームが マイホーム
31 わが人生 ピンチのあとに チャンスない
32 あの社長(しゃちょう) あの大(だい)リーガーも 同(おな)い年
33 妻の口 マナーモードに 切りかえたい
34 0歳児 服の値段は 俺の倍
35 ただいまに 昔笑顔で 今寝顔
36 いい女 昔は「燃えろ!」で 今は「萌え~」
37 怖(こわ)いのは 地震 津波に テロと妻
38 20代 初めて知った 好景気
39 痩せるツボ 脂肪が邪魔し 探せない
40 気にかかる メールがはやい あのおやじ
41 我が家では みんなが妻の チルドレン
42 愛してる あなたがもらう 年金を
43 カーナビは 曲がれと言うが 今は無理
44 ワイシャツに 付いた朱肉に 飛ぶ皮肉
45 「遅いわねぇ」 気づいてくれよ プチ家出
46 エリートの つもりで入社が デリートに
47 かけ込んで 視線が痛い 専用車
48 セキュリティ 一番手薄な 妻の口
49 ハードゲイ? オレの時代は ミーとケイ
50 おかえりと 言ってくれるは メイドだけ
51 ブログって インターネットの 付録なの
52 酔いつぶれ 支援マップで 無事、帰宅
53 同窓会 終わってほっと 太り出す
54 我が娘 妻の刺客に 昇格か
55 急ぐなよ 無理をするなよ いつ出来る?
56 金色の 皿はまずいと 子に教え
57 散髪代 俺は千円 犬 一万
58 離婚劇 昔成田で 今熟年(シニア)
59 鬼嫁も 居るだけいいよと 励まされ
60 我が社では 部長のギャグが クールビズ
61 昔バー 今は病院 ハシゴする
62 昼食は 妻がセレブで 俺セルフ
63 見切りつけ 辞めた会社が 成長し
64 人生の 第二職場は 妻の部下
65 大画面 見やすい距離は 台所
66 パックする おしゃべりしない 妻が好き
67 飲みません 個人情報 喋るから
68 旅先の 妻から電話 「ゴミ出したあ」
69 喫煙所 名前は知らぬが 顔見知り
70 二歳だろ トロ ウニ 選ぶな 卵食え
71 忘れてた! 気づいたことも 忘れたい
72 フォーという 麺もラモンも コシ命
73 総選挙 家では妻が 総占拠
74 チルドレン 昔「かすがい」 今「刺客」
75 ”軽くヤバイ” ぜい肉よりも 我が会社
76 忘年会 サイフの代わりに 呼ぶ上司
77 初孫に 大人六人 総がかり
78 年金の 出る頃妻は 家を出る
79 違うけど 社長が言うから そうですね
80 パパになり 思わず部下に 『いいでちゅよー』
81 マイブログ 立ち上げたけど 話題なし
82 マンションの モデルルームで はねてみる
83 ゴルフ場 ファーとまちがえ フォーと言う
84 コンビニを おでんのダシで 言い当てる
85 少子化を 食い止めたいが 相手なし
86 コンビニの 「あたためますか?」で 癒される
87 ケンカした 弁当開けた カラだった
88 ババシャツも 名誉回復 ウォームビズ
89 妻の顔 昔モナリザ 今ムンク
90 道たずね 防犯ブザーを 鳴らされる
91 妻の感 GPSより 精度良(よ)し
92 なぜやせぬ 口ほど動くと すぐやせる
93 定期券 得した気がする 休日出勤
94 我が職場 垣根はないが 溝がある
95 檄とばし 部下のヤル気も 消しとばし
96 すわろうと ねこをどかすと 妻おこる
97 「何食べたい?」 俺の言ったの 作れるか
98 家族割 こんな時ダケ 家族ダネ
99 破れてる ジーパン繕い 怒られた
100 幼稚園 弁当ある日は 俺もある

★研究ポイント
 自分の日常をどう切り取るかエンタテインメント。
 ここに描かれた内容から何を表現するか?
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推理小説作法 1

2006年01月27日 | エッセイ・評論
「推理小説は、もっと生活をかき込まねばならない。犯罪はどのように行われたかを書くと共に、なぜ行われたかも同じ比重で書くべきである。犯人の動機はわれわれの奥に持っている心理から引き出してもらいたい」
「われわれの日常生活には、心理的な危機がみちみちている。この部分を切り取って拡大してみせることも、これからの推理小説の行く道のひとつの方向であろう」

 松本清張は推理小説をトリック・謎解きのパズルだけでなく、動機に重点を置くべきだと主張している。
 動機を描くことで、その人間の抱える人生や背後に潜む社会悪をえぐり出したいと清張は考えたからだ。

 こうした動機主義の推理小説の対極をなすのが、次のような立場だ。
 つまり……
「動機は金か女か復讐か殺人狂か。そのどれかをできるだけ単純明快に出しておけば事たりた。動機よりも、いかにして前人未踏の新しいトリックを考案し、読者をして五里霧中の境地に遊ばしめるか、そして前人未踏のトリックを考案し解決を与えるかが、作家の苦心の的だった」という立場であり、「読者と作者との知的ゲーム」という立場である。

 シャーロックホームズを描いたドイルはトリック重視、動機はどうでもいいものであった。
 相手の服装や話しぶりを観察して、生地、職業、経歴、悩みまでを当ててしまうホームズはその推理で次のような方法をとっていた。
「ホームズの方法では犯人の意図が無視される。犯人の残したいろいろな気のつかない些細な痕跡から犯人を推理するのであって、犯人の動機、犯罪の意識、計画というようなものは、このような推理にとっては不必要である。このようなものが分かれば分かっただけ役に立つが、分からなくても捜査には差し支えない。かように意図、目的、計画、動機といったものを全部抽象して、単純な連想的推理をつみ重ねていくのが、ホームズの推理の特徴である」

 つまりホームズの方法では、Aという結果が出るために何がなされたかを推理する科学的手法で、そこには動機はほとんど介在していない。

 一方、シムノンのメグレ警部はホームズとは180度違っていた。
 シムノンの立場はこうだ。
「殺人犯人すらも根からの悪人と見ず、生育の途上において、そのようにゆがめられざるを得なかった不幸な人間と見なすのである」
「主人公のメグレ警部は、犯人を捕らえて処罰するよりは、これを理解し、同情しようとする。メグレは人間にたいする深い洞察を身につけた、偉大なヒューマニストなのである」
「かくして、シムノンの推理小説のライトモチーフは一貫して『人間であることのむずかしさ』ということになる」
「メグレの羅針盤は、事件の論理でなくて、熱情の論理である。彼の追う手がかりは、表情、言葉つき、身振りなどである。彼は殺人をひき起こした心理的危機に向かって、読者と共に模索を進めようとする。真実が解明された時、その時は人間の行動を左右する恐るべき圧力も正体を明らかにするのである。犯罪者に対する同情、赦免がもたらされるのが普通である」

 さて、この動機だが、江戸川乱歩はエッセイの中で次のように分類している。

1.感情の犯罪……恋愛、怨恨、復讐、優越感、劣等感、逃避、利他
2.私欲の犯罪……物欲、遺産問題、自己保全、秘密保持
3.異常心理の犯罪……殺人狂、変態心理、犯罪のための犯罪、遊戯的犯罪
4.信念の犯罪……思想、政治、宗教、迷信


                      「推理小説作法」(光文社文庫)
                       大内茂男「動機の心理」より

★研究ポイント
 ホームズの方法とメグレの方法。
 動機のいろいろ。
 推理小説の書き方。
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江戸川乱歩 群衆の中のロビンソン・クルーソー

2005年12月27日 | エッセイ・評論
「群衆の中のロビンソン・クルーソー」というエッセイの中で江戸川乱歩は次のような人物のことを紹介している。

「この都会のロビンソン・クルーソーは下宿の中での読書と、瞑想と、それから毎日の物言わぬ散歩とで、1年の長い年月を唖(おし)のように暮らしたのである。
友達は無論なく、下宿のおかみさんともほとんど口を利かず、その一年の間にたった一度、行きずりの淫売婦から声をかけられ、短い返事をしたのが、他人との交渉の唯一のものだった」

 そして、人間の持つ潜在願望として、こうした人と関わりを持たないで生きる「ロビンソン型」の潜在願望と心の奥底にある恐ろしい潜在願望を持つ「ジーキル・ハイド型」の潜在願望があるという。

 これが乱歩の人間観。
 乱歩の作品の底流にあるものだ。
 そこに人と人の友情や愛情といったものはない。

 これに人形趣味や変身願望などが加わってくる。
 実に魅惑的な作家だ。
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江戸川乱歩 幻影の城主

2005年12月27日 | エッセイ・評論
 江戸川乱歩は「幻影の城主」という随筆の中でこの様に書いている。

「弱者であった少年は、現実の、地上の城主になることを諦め、幻影の国に一城を
築いて、そこの城主になってみたいと考えた」

 乱歩は現実よりは空想の世界に生きたいと思ったのである。
 それは新聞記者あがりの松本清張のスタンスとは大きく違う。
 清張の小説を書く動機は次の様なものである。

「松本清張はそれまでの探偵小説を読んで、人物が描かれていないことに不満を抱き、一握りのマニアを満足させる謎解き小説から、動機にウェイトを置いた社会性のある推理小説を書いた」(新潮現代文学全集「松本清張」解説/尾崎秀樹)

 清張は、空想の世界よりも現実を的確に描きたいと思った。
 それは乱歩と清張の資質に拠るのだろう。
 乱歩は自分の少年時代をふり返ってこう書いている。

「世界お伽噺の遠い異国の世界が、昼間のめんこ遊びなぞよりは、グッと真に迫った好奇に満ちた私の現実であった」
「薄情にされたり無愛想にされたりすることに人一倍敏感な癖に、お能の面のように無表情な、お人好しの顔をして、内心激しい現実嫌悪を感じていた」

 現実への違和感は多かれ少なかれ人にはあるものだろうが、乱歩は現実に背を向け、空想の世界に逃げ込んだ。空想の世界に逃げ込むばかりではなく、みずから作り出した。
 それが悪いと言っているのではない。
 すごくよくわかる。
 清張だって現実への違和感を感じていただろう。
 清張は、現実への違和感を自分の筆で再構築することで、現実を自分のものにしようとしたのだ。

 現実への違和感。
 これが作家の資質の第1歩なのだ。
 そこからどこへ行くかは作家の自由だ。
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