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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

下妻物語~自分のルールで生きているか?

2010年10月08日 | 邦画
 ロココ世界を愛するロリータファッションの桃子(深田恭子)と暴走族〝舗爾威帝劉(ポニーテール)〟のイチゴ(土屋アンナ)の物語。

 ロリータと暴走族。
 普通ならあり得ない組み合わせ。
 かたやフリフリファッションで買いに行くのは代官山、かたや刺繍がいっぱいの特攻服で、服を買いに行くのは地元のジャスコですからね。

 さて、この対照的なふたり。
 ロリータ・桃子は「自分の美学に合わない」イチゴを拒絶したりするのだが、イチゴはなぜか気になる様子。
 やたらと桃子に絡んでくる。
 その理由は桃子が<群れずにひとりで立って、自分のルールで生きている>から。
 
 茨城の下妻というのどかな町でロリータファッションを貫き、ひとりでいる桃子。
 彼女は可愛いヒラヒラの服を着て、<楽しければいい><気持ちよければいい>というロココの価値観・ルールで生きている。
 そんな桃子にとって下妻の現実はダサいだけ。
 周囲のクラスメイトたちはそんな現実を素直に受け入れているダサい人間。自分の美的世界を壊す邪魔な存在でしかない。
 だから群れない。ひとりでいる。
 桃子は自分の価値観・ルールに忠実で少しも揺るがない。
 それがヤンキーのイチゴを引きつける。すごくカッコいい。
 群れているだけの族仲間がダサく見える。
 美的センスは違っていても、桃子とイチゴは<自分のルールで生きている>という点で同じなのだ。

 一方、友達なんて必要ないと思っていた桃子も、次第にイチゴが気になる存在になっていく。
 桃子は失恋したイチゴの哀しさに共感する。
 自分の裁縫した特攻服の刺繍をイチゴが喜んでくれたことがなぜか嬉しい。
 イチゴと関わる中で桃子に芽生えてくる喜怒哀楽という感情。
 そんな哀しみと喜びの共感がイチゴをかけがえのない友達にした。
 他人もいいものだなと思えるようになった。

 というわけで「下妻物語」は見事な友情物語である。
 そしてクライマックス、そんな桃子とイチゴが牛久大仏で数十人の敵と闘うシーンは圧巻だ!
 イチゴが啖呵を切り、桃子も切る。
 この辺はヤクザもの、暴走族ものの常道だが、ロリータ姿の桃子が血だらけ、泥だらけになって啖呵を切るから新鮮だ。爽快でしびれる。

 茨城・下妻という地方を舞台にしたこと、ロリータと暴走族という異質なものを組み合わせたことで、この作品は青春映画の名作となった。


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その男、狂暴につき 悪夢のような世界

2010年09月29日 | 邦画
 刑事・我妻諒介(ビートたけし)は<暴力>に麻痺してしまった男。
 暴力には暴力で立ち向かわなければ生きていけない世界の中で、我妻の感性は次第に麻痺していったのだ。
 そこには法律も良識も優しさも関係ない。
 ただし、暴力は暴力に報復される。
 我妻は敵の殺し屋(白竜)につけ狙われナイフで刺される。
 智恵遅れの我妻の妹(川上麻衣子)は輪姦され、クスリ漬けにされる。
 劇中では<気違い>という言葉が何度も使用されるが、我妻たちの目はどこか向こう側に行っている。
 我妻はクスリ漬けにされて、本能のままに「クスリをちょうだい、クスリをちょうだい」という妹の姿を見て嫌悪したのか、愛する妹も射殺する。
 まさに<気違い>だらけの世界。
 悪夢のような世界だ。

 そして、こんな世界に生きる人間が救われるには、やはり死ぬしかない。
 地獄から抜け出るには死ぬしかない。
 我妻の行動は死に向かっている。

 北野武作品には、どこか悪夢を見ている様な感じがある。
 この作品は特にそうだ。
 正義とか愛とか、日常の論理とは違った部分で物語が進行している。
 画家の岡本太郎は「芸術は嫌悪感を抱かせるものだ」と何かで書いていたが、この作品はまさに見る者に嫌悪感を抱かせる作品。
 そして、この嫌悪感の先に日常の背後に隠された真実が描かれているような気がする。
 たとえば、人間の醜さとか、虚無とか狂気、死への意思とか。

 我々は嫌悪感に目を背けずに、この作品を凝視しなければならない気がする。
 それはなかなかハードな作業だが。

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クヒオ大佐 偽りのベールが剥がされた時

2010年09月28日 | 邦画
 実在の結婚詐欺師・ジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐(堺雅人)。
 彼は米特殊部隊ジェットパイロットと偽り、次々と女性をおとしていく。
 作品を見る観客の立場で見ると、何でこんなウソで女性がだまされるか?と思うんですけどね。
 たとえば小さな弁当屋を営むしのぶ(松雪泰子)。
 彼女は「自分は<秘密任務>を行っている」とか「複雑な世界情勢を知るためにコミック『沈黙の艦隊』を読め」とかいうクヒオの言葉を素直に信じる。
 〝秘密任務〟〝沈黙の艦隊〟という言葉で怪しいと気がつきそうなものだ。
 その他、「高速のジェット機に乗っているから地上ではスピードと関わりたくない」という理由で泰子に運転させたり、アメリカの空軍大佐なのに饅頭代を払わせたりする。
 まさに恋愛は人を盲目にする。
 もっと突っ込めば、他者を求めずにはいられない孤独な心ゆえダマされる。
 
 クヒオは孤独な心に入り込んで夢を見させる稀代の詐欺師だ。
 しかし、意外にシビアな現実にはもろい。
 しのぶのチンピラふうの弟にはたちまち詐欺師であることを見破られ、逆に脅迫されて金を求められる。
 銀座の海千山千のホステス・未知子(中村優子)にも「お店を出す資金をちょうだい」とせがまれる。
 クヒオよりも彼らの方が一枚も二枚も上なのだ。

 そんなクヒオ大佐とは何者なのか?
 彼は子供の頃、父親から虐待を受けていた。
 幸せな家庭に育てられなかった。
 彼は無惨な<現実>から<夢の世界><自分が創り出した偽りの世界>、へ逃げ込んだのだ。
 つまり彼は<自分の母はエリザベス女王の妹、父はカメハメハ大王の末裔>というクヒオ大佐でいられる時、イキイキと生きられる。
 そのベールが剥がされる時、彼は無力な子供の時の自分に戻ってしまう。

 後半で自分の正体がバレて、しのぶに問いつめられるシーンは圧巻だ。
 「本当のあなたのことを話して」と頼むしのぶにクヒオは自分の生い立ちを語り始める。
 しかし、その内容は<自分が創り出したクヒオ>という人物の生い立ち。決して本名の<タケウチタケオ>の生い立ちではない。
 この後に及んでも自分の本当の姿を現さないクヒオ。
 クヒオはしのぶに「いっしょに死のう。死ねばこの愛が本物になるから」と心中を迫られ、了承して自分のバッグから拳銃を取り出すが、その拳銃もモデルガン。
 またも偽り。
 彼はどんな時でも正面から他人と向き合わないのだ。
 <タケウチタケオ>という人間として他人と交われない。

 <クヒオ>という人物は実に現代を象徴している。
 人はある程度の仮面をかぶらなければ社会生活など送れないものだが、クヒオの場合は完全な仮面をかぶって、絶対に脱ごうとしない。
 そんなクヒオを愛し続けるしのぶもすごく孤独で、哀しく滑稽で、ある意味いびつだ。

 脚色はあるだろうが、これは実在の人物の話。
 すごい時代になったものだと思いつつ、自分の中にもクヒオやしのぶの要素があることを否定できない。


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20世紀少年 世界を憎むか愛するか

2010年09月03日 | 邦画
 ともだち。
 秋葉原連続殺傷事件の加藤智大容疑者を思い出した。
 誰にも存在を認知されない存在。
 認知されれば叩かれる。いじめられる。
 ネット上でのハンドルネームはともだちのお面。
 結果、世界を憎んで破壊しようとした。

 「ヒトラーの絵画」という映画も思い出した。
 画家として誰にも認められない若き日のヒトラーを描いたこの作品。
 ヒトラーは理想の王国を絵に描き、それをドイツ第三帝国という形で実現した。
 ともだちは<よげんの書>を実現した。

 ともだちが唯一、世界と繋がれた瞬間は<万博>だったんですね。
 <万博>のことを話してクラスメイト達から「すげえ!」と言われた。「万博に行く」と言ったらもっと「すげえ!」と言われた。
 世界がともだちと最も調和した瞬間。世界とともだちになった瞬間。
 だから、ともだちが創った造形物も万博の太陽の塔。

 そして<よげんの書>。
 <よげんの書>を作ったケンヂと仲間になりたかったともだち。
 自分も<よげんの書>作りに参加したかった。
 だから<よげんの書>に書かれたことを実現したかった。
 そうすれば、もう一度「すげえ!」と言ってもらえると思った。
 仲間に入れると思った。
 だから秘密基地のマークを自分のシンボルにした。

 ともだちは哀しい。
 大人になっても仮面をつけてしか生きていけなかった。
 相変わらず友達を求め、孤独だった。
 世界を憎み続けていた。
 人は大人になれば様々な形で世界と折り合いをつけて生きていくものだが、それが出来ない時は、自分を滅ぼすか世界を滅ぼすしかない。
 世界は空想やSFの中でしか壊すことが出来ないから大抵の人は諦め、やったとしても加藤容疑者ぐらいのことなのだが、ともだちはそれを本気でやろうとする。
 ある意味、すごく幼稚で子供。

 おそらく作者・浦沢直樹さんの発想のもとはオウム真理教だったのだろう。
 オウムの教祖と仲間達は本気でハルマゲドンを起こそうとしていたし、「宇宙戦艦ヤマト」に登場した<コスモクリーナー>なるものも開発していた。
 現実とアニメ・コミックなどの空想世界との境界がなくなった世界。
 それを浦沢さんは、巨大ロボットやUFO、現実の名前をもじった漫画家、敷島博士や矢吹丈といったもので表現する。

 本題に戻る。
 <世界を憎むか、愛するか>
 「エヴァンゲリオン」もそうだったが、新世紀に生きる者のテーマの様な気がする。


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鑑識・米沢守の事件簿

2010年08月28日 | 邦画
 キャラクターが掘り下げられて描かれるのは楽しい。
 「相棒」でお馴染みの鑑識・米沢さんは、結婚に失敗、愛する妻に逃げられ今も未練たらたらの男だった。
 おまけに時々ストリートでギター片手に歌っているという意外な一面も。
 テレビシリーズでおたくっぽいイメージとは少し違う。
 飄々としているが、実はちゃんと人生の重みを背負っている感じがいい。
 一方で、特命係を陰で支えているだけあって、警察官としての芯も持っている。
 スキャンダルを怖れる警察上層部から「事件に首を突っ込むな」と言われても迷いながらも突き進むのだ。
 そして、この<迷いながら>というのがポイント。
 実に人間っぽい。

 別の視点で「相棒」が描かれるというのも楽しい。
 いつもは右京さん視点ですからね。
 この作品で、米沢さんは時どき右京さんと亀山と廊下ですれ違ったりするけど、ただそれだけ会釈するくらいで大きく絡むことがない。
 そして米沢視点で右京さん達を見るとこう見えるのかというのがわかる。
 その他、捜査一課の伊丹刑事や米沢の上司との絡みも見られる。
 そして伊丹は亀山だけでなく米沢に対してもあんな感じであること、米沢も上司という組織の重圧の中で戦っていることがわかる。

 事件としては犯人の動機の理屈が面白い。
 以下、ネタバレ。

 犯人は、警察の天下りの団体、外郭団体の人間で、広報用のパンフレットやポスターを作っているのだが、天下り団体の例にもれず、ほとんど意味のない仕事しかしていない。パンフレットやポスターは作っただけで誰の目にも触れることがない。
 だから犯人は言うのだ。
 「どうせ税金の無駄遣いをしているんだから、横領くらいしてもいいでしょう!」
 なかなか皮肉の効いた動機だ。
 ある意味、幼稚で滑稽な理屈でもある。

 ちなみに米沢さんは事件の核心までは迫るが、真犯人の特定では間違う。
 別の人間を犯人だと思い、告発してしまう。
 米沢さんはあくまで鑑識官であり、右京さんの様な名探偵ではないのだ。
 普通なら米沢さんの名探偵ぶりで描き切りたい所だが、「相棒」では右京さん以外の探偵認めない様だ。
 こういう所も抑制が利いていて好感が持てる。


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真夏のオリオン 生きるために戦っているんだ

2010年08月27日 | 邦画
 艦長の倉本(玉木宏)は言う。
 「われわれは死ぬために戦っているのではない。生きるために戦っているんだ」
 最近、仕事で戦争に関する本を読んでいるのだが、おそらく当時の軍人で、しかも士官でこの様な発言をする人はいない。
 彼らは常に<死>というものを見据え、格闘してきた。
 <何のために死ぬのか><何を守って死ぬのか><いかに死ぬか>。
 ベクトルはあくまで<死>に向かっている。決して<生>には向かっていない。
 現在、われわれは<いかに生きるのか>で迷っているが、戦争中は正反対で<いかに死ぬか>がテーマだったのだ。

 この点で「真夏のオリオン」は現代的視点で描かれた作品と言える。
 主役の玉木さんや恋人・志津子の北川景子さんなんかも昭和でなく、平成の顔をしていますしね。
 作品のモチーフになっている楽曲「真夏のオリオン」も甘い。
 ♪オリオンよ
  愛する人を導け
  帰る道を見失わない様に♪
 まあ、「君死にたもうことなかれ」という詩もあったくらいだから、こういう思いがあっったとしてもいいだろう。
 だが、このメッセージを聞いて潜水艦の人間全員が「生きよう」「帰ろう」と思うのは、物語として甘すぎる。
 ラスト、回天の乗組員が「敵駆逐艦に突っ込んで特効攻撃しろ」と迫るエピソードがあったが、艦内でこういう葛藤がもっとあってもいいはず。

 この様にこの作品、戦争を描いた物語としては甘く弱いが、倉本艦長の考え方には同意する。
 「いかに死ぬか」よりも「いかに生きるか」を考える社会の方がずっと素晴らしいと思うからだ。


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L CHANGE THE WORLD

2010年08月25日 | 邦画
 強力なライバルというのは主人公を引き立たせる。
 遅まきながら「DEATH NOTE」の第三弾「L CHANGE THE WORLD」を見た。

 さてL。
 頭脳明晰。
 しかし肉体を使うことには長けていない。
 でもソファには猫の様にピョンと飛び乗る。
 猫背で歩く。背筋を伸ばそうとするとゴキゴキと骨が鳴る。
 甘いものが好き。甘いものは脳のエネルギー源だから。
 そんな甘いものを「おそ松くん」のチビ太のおでんの様に串に刺して食べる。
 子供は苦手。子供はお菓子を与えれば喜ぶというくらいの認識しかない。でも優しい。
 執事のWATARIにはファザコン?

 実に見事なキャラクター造型である。
 主人公のライバルというと誰もが<頭脳明晰>は思いつく。
 <体を使うのは苦手><運動能力ゼロ>も少し考えれば思いつく。
 だが、<お菓子をおでんの様に刺して食べること>は思いつかない。
 おそらく作家の思考の過程は次の様なものだったのだろう。

 L→<頭脳明晰>→<脳のエネルギー源となるブドウ糖を常に取っている>→<お菓子好き>→<お菓子をおでんの様に刺して食べる>。

 この様に<頭脳明晰>という設定をどんどん掘り下げていった結果、<おでんの様に刺して食べる>というアイデアが浮かんだわけだ。
 これはキャラクター造型のノウハウとして役に立つ。

 そう言えば、この作品でLが逃走用に使った専用車は、クレープ屋の車を改造したワゴンだった。
 そして、その中は<お菓子の家>のよう。
 ここまで徹底されるともう脱帽!

 そして、Lというキャラクターの根底にあるもの。
 <悪を憎む心>
 <正義を信じる心>
 <人間を、世界を信じる心>

 Lは死神からどんなに誘惑されても揺るがない。
 また夜神月との闘いも、決して<頭脳ゲーム>にしていない。
 彼はゲームを楽しむのでなく、悪を憎んでいる。
 第1作なんかを見ると、Lがキラと頭脳ゲームをしているのではないかと思わせるが、実はこの点を見逃してはいけない。

 子供たちに未来を託して歩いていくラストの後ろ姿にはすがすがしいものがある。


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劔岳 点の記 栄誉より優先するもの

2010年08月18日 | 邦画
 剣岳を目指す柴崎芳太郎(浅野忠信)には様々な障害がある。
・まずは何と言っても立ちはだかる剣岳の自然
・初登頂を競う山岳会
・柴崎の測量部が属する陸軍とそのプライド

 山岳会と陸軍の存在は柴崎に初登頂しなければならないというプレッシャーを与える。
 しかし彼は揺るがない。
 彼がまずなすべきことは三角点を置いて地図を作ること。初登頂することではない。
 だから無謀な登頂で命を落とすこともしない。
 人間の強さとはこういうことを言うのだろう。
 まわりにどんな雑音、プレッシャー、期待があっても自分のなすべきことをする。
 柴崎は言う。
「大切なのは何を成し遂げたのかではなく、何のためにやったのかである」
 剣岳初登頂は、柴崎に栄誉を与え陸軍のプライドにも貢献するだろう。
 しかし彼はそんなことのために剣岳に挑んでいるわけではない。
 彼は<地図>を作るためにやっている。
 世界の中で自分がどこにいるのかを教えてくれる地図。
 それは自分のアイデンティティを確認する上で欠かすことの出来ないもの。人間の存在の根本に関わるもの。
 柴崎にとって、そんな<地図>の方が<栄誉>や<軍のプライド>より大事なのだ。

 以下ネタバレになるが…………

 だから初登頂が既に成し遂げられていたものだったとしても柴崎は満足できる。
 彼の目的は<初登頂による栄誉>ではなく、<地図を作ること>だからだ。
 柴崎は初登頂ではなかったが、剣岳に登り、三角点を立て見事地図を作ることが出来た。
 だから心から喜べる。

 この柴崎の考え方・態度は我々の日常でも応用できるもので、自分の行動に迷った時、あるいは自分の行動をふり返る時には思い出してみたい。
 すなわち<自分は何のためにそれをやっているのか?>
 たとえば、作家であれば本を書くのはベストセラーを出すためか、賞を獲るためか、それとも自分の訴えたいことを伝えるためか。
 これでおのずと自分の書くべきもの、行動が違ってくるはずだ。

 そして、こうして自分を愚直に貫いていけば、理解して賞賛してくれる人は出て来るはずだ。
 柴崎の妻がそうであった様に。
 いっしょに上った山の案内人・宇治長次郎(香川照之)や助手の生田信(松田龍平)がそうであった様に。
 ライバルの山岳会がそうであった様に。


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THE3名様 無意味に生きるススメ

2010年07月28日 | 邦画
 夜のファミレスで語り合う岡田義徳・塚本高史・佐藤隆太が演じる主人公たちのショートコメディ。1話・約5分。
 ここにはドラマチックなことは何もない。どうでもいいことをただしゃべっているだけ。
 だが、これがなぜか心地いい。

 たとえば、こんなエピソード。
 ヒマな3人が<お互いのいい所>を語り合おうと言い出す。山手線ゲーム方式で順番に。
 最初は順調で盛り上がるが、次第に<いい所>がなくなっていく。
 パスが増えていき、「お母さんが若い」なんて<いい所>も。
 そしてオチは「お母さんが若いって。俺のいい所ってそんなことしかないのかよ」と怒り出す塚本さん。
 エピソードとしてはただこれだけ。これで次のエピソードに移る。

 こんなエピソードもある。
 ファミレスの西側の椅子になぜか3人並んで座っている主人公たち。3人の頭にはなぜか帽子。
 彼らがそうしている理由は<西側の席に帽子をかぶって座っていれば素敵な出会いがある>という占いを見たからだ。
 ワクワクして待っている3人。
 だが素敵な出会いは訪れない。
 彼らの目の前では中年親父がパフェをむしゃむしゃ食べている。
 「ありえねえ」と呆れていると、中年親父はパフェをお代わりする。これで三杯目だ。
 そしてオチ。
 主人公たちはふと気づく。
 「もしかして、これが素敵な出会いではないか」と。

 何度も書く様だが、物語としてはただこれだけ。
 でもよく考えてみると、われわれの日常って、こんな感じなんですよね。
 どうでもいいことをしゃべり、素敵なことをちょっと期待して、何となく過ぎていく。
 感動的なこと、劇的なことなどほとんど起こらない。
 何かを求めて努力しがんばっている人には生きることは大変だろうが、少なくともこのファミレスの3人にはハードさはない。
 バカなことをしゃべり、笑って、何となく時が過ぎていく。
 人生の目標に向かってがんばっている人は素敵だが、たまにはこういう無意味な時間もいいかもしれない。
 そしてダラダラと無意味に時間を浪費していくことは若者の特権だ。
 人生の残り時間が少ないと感じる年齢になるとどうしてもあせってしまう。
 生きている時間をどう使うかは個人の自由だが、彼らの姿勢には学ぶべきものがある。


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無能の人 資本の論理から外れた人

2010年07月01日 | 邦画
 助川助三(竹中直人)は石を売る。
 珍しい石、形のいい石は芸術品として売れるのだ。
 だが助川の石は多摩川産、石の愛好家の数も少なくなって売れない。掘っ立て小屋の店には、ただの石が並んでいるだけ。

 助川はかつては漫画を描いていた。
 前衛的で芸術的な漫画。
 だが出版社は商業主義。読者の求めない助川の作品をどこも買ってくれない。
 かといって助川は商業主義の漫画を描く気にもなれず、筆を折っている。

 助川にとって<石>も<漫画>も実は同じものだ。
 自分を表現するもの。
 石は探すという行為以外、労力がかからないが、自分が美しいと思うことを表現するオブジェ。
 ただし……
 <石>は評価して値を付けてくれる人がいなければ、ただの石でしかない。
 <漫画>も         〃        、ただの紙と落書きでしかない。

 助川は資本主義社会から脱落した人間だ。
 この社会はお金で動いている。
 会社で働いたり、市場のニーズに基づいて物を作ったり、売ったりしている人は社会の一員になれる。
 だが、お金をもたらさない人間はたちまち社会から切り離され、何者でもなくなってしまう。
 世の中に必要とされていない人間、虫けら、無能の人になってしまう。
 劇中、さびれた喫茶店のシーンが出て来るが、客達の顔は、気力を失い皆無表情。
 彼らも資本の論理から切り離されている。
 劇中、何度か登場する<鳥男>もそういった存在だ。
 世の中から切り離され、ただ生きているだけの<鳥男>。
 彼が自由になるには、飛び下り自殺をするしかない。

 助川は何とか<無能の人>から脱却して、お金を稼ごうと奮闘するのだが……。

 この映画のラストは少しセンチメンタルかな?
 2010年の現在は、この作品のラストが描いたことすら信じられなくなっている?


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