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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

東京オリンピックの公式記録映画、観客ゼロの大爆死!?~監督・河瀬直美は負の部分をどう描いたのかな?

2022年06月04日 | 邦画
 河瀨直美氏が総監督を務めた東京五輪公式記録映画『東京2020オリンピック SIDE:A』の興業が思わしくないらしい。
 昨日公開で多くて10人程度。観客ゼロの映画館も。
 まあ、そうだろうな……。『東京五輪の記録映画』と『シン・ウルトラマン』が並んでいたら、『シン・ウルトラマン』見るよね。
 それに昨年の東京オリンピック自体が負のイメージばかり。
 今更「感動をもう一度!」と押しつけられても困るし、そもそもあのオリンピックに感動はあったのか?
 
 映画はSIDE:AとSIDE:Bに分かれていて、SIDE:Bは3週間後の6月24日に公開らしい。
 劇場としては、
「どうして客の入らない映画を2部構成にしたのか?」
「結果、6週間を客の入らない映画で占拠されることになった」
 と思っていることだろう。
 まあ、劇場としては最低保障があるから客が入らなくても大丈夫なのかな?
 その最低保障の出所はJOC? つまり税金?
 …………………………………………

 この作品、どんなふうにあのオリンピックを描いているんだろう?
 SIDE:Aは選手の活躍を描いたオモテ舞台を、
 SIDE:Bはスタッフなどの舞台裏を描いたものになるようだが、
 東京五輪の負の部分をしっかり描いた内容になっているのか?

 つまり
・森喜朗氏の発言などの相次ぐ失言や不祥事
・招致賄賂疑惑
・演出チームの交代
・エンブレムや国立競技場などをめぐる、すったもんだ
・膨大に膨らんだ総額4兆円とも言われている予算
・大量の食品廃棄
・新型コロナウイルスによる開催の是非
・五輪反対デモに関するNHKの捏造

 これらを描かなくては『記録映画』にはならないだろう。
 監督の河瀨直美氏はスポーツ紙の取材に答えて
「100年後にも届くような映画でないといけない」
 と語ったようだが、上記の負の部分をしっかり描いたら、2021年の日本を描いた映画として「100年後」にも意味のある作品になると思う。
 つまり1964年の東京五輪が「希望」だったのに対し、2021年の東京五輪は「衰退日本の象徴」という位置づけだ。
 さて、作家・河瀬直美は負の部分をどう描く?
 上の方に気をつかってヨイショする内容になっていたら、作家・河瀬直美は終わる気がする。
 ちなみに河瀬直美さん、2025年の大阪万博にも関わるらしい。

 それと、東京五輪の収支報告はどうなったのかね?
 今月(6月)に出すと言っているが、大会組織委員会は6月末日で解散するらしい。
 収支報告をチョロッと出して、五輪スポンサーのテレビ局や新聞社はさらりと報道して終わりかな?
 政府や電通を怒らせたら怖いしね。

 やはり東京オリンピックはウソとゴマカしの『欺瞞日本』の象徴になりそうだ。


※関連記事
 河瀨直美監督の五輪記録映画 カンヌで絶賛も公開初日から空席だらけ!客ゼロの回も(女性自身)

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まともじゃないのは君も一緒~明るく弾けてる清原果耶ちゃん! 普通・マトモって何だろう?

2021年10月06日 | 邦画
 おおっ、明るい清原果耶さんだ!
 清原果耶さんが女子高生役で弾けてる!

 物語は数学ばかりをやっていて、世間からズレてる予備校教師・大野康臣(成田凌)に
 女子高生・秋本香住(清原果耶)が「普通」とは何かを教えるというもの。
 ふたりの掛け合いが楽しい。
 僕も世間からかなりズレてると思うので、ぜひ香住にいろいろ教えてもらいたい。笑

 大野は数学者になれなくて予備校教師をやってるんだけど、数学者っておかしな人が多いよね。
 数字の世界に「美」を見出す感覚はわからなくもないんだけど、
 一生を賭けても解けないかもしれない数学の問題に人生を捧げられるというのは普通ではない。
 しかも、その問題が解けても社会の何の役に立つかもわからない。

 さて本題。

「普通」「まとも」って何だろう?

 劇中、「普通」「まとも」の代表として、戸川美奈子(泉里香)という女性が登場するんだけど、
 彼女は「普通」じゃない大野に魅かれながら、最終的には、美奈子の父のビジネスパートナーで財力も人気もある宮本功(小泉孝太郎)を選ぶ。
 宮本が香住に手を出すような浮気者で、薄っぺらい男であることはわかっているのに。

 まあ、これが「オトナ」ってものなのかな~。
 損得、しがらみ、地位・名誉、世間体──
 それらものが垢となってこびりついて身動きがとれなくなる。
 心に弾力がなくなって来る。

 一方、大野は垢がこびりついていないから、すべてが新鮮。
「こ、これは何ですか!?」と白子を見て驚ける。
 利害でつき合っていないから、美奈子といっしょに過ごす時間が楽しくてしょうがない。
 森の中で虫や鳥や風の声を聴く楽しさを、何のためらいもなくイキイキと話せる。
 そんな大野といっしょにいて、美奈子の心もほぐれていったことだろう。

 さて、大野と宮本、人生のパートナーとしてはどちらがいいのか?
 宮本と過ごす人生はおそらく空虚なものになると思うんだけど、
 大野との生活も、いずれは新鮮さがなくなって、現実が頭をもたげて来る気もするし……。

 僕としては、まともじゃない大野の感覚は忘れたくないな。
 大野のように、今度山に行って目を閉じて、虫や鳥や風の声を聴いてみようか。
 いろいろ驚いてもみたい。
 あとは、清原果耶ちゃんに叱られ、ツッコまれ、いろいろ教えてもらいたい!←結局そこかよ!

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志乃ちゃんは自分の名前が言えない~南紗良×蒔田彩珠ダブル主演! 心が叫びたがっているんだ!

2021年10月01日 | 邦画
 人は誰かに何かを伝えたがっている。

 大島志乃(南紗良)は吃音だ。
 特に母音が先頭に来るとうまくしゃべれない。
 名字の大島は「お」から始まるので、高校初日の自己紹介で名前を言えなくて、
 困った末「しの・おおしまです」と言ってしまう。
 皆から笑われ、完全な高校デビュー失敗だ。
 普通の高校生活を送りたい志乃にしてみれば絶望しかないだろう。

 岡崎加代(蒔田彩珠)は音痴だ。
 ギターを弾き、音楽で自分を表現したいと思っているのに、これは致命的。
 加代の心はささくれ、常にイライラしている。
 周囲に馴染まず、孤高の存在であることが加代のアイデンティティだ。

 菊地強(萩原利久)はうるさくて饒舌だ。
 クラスの人気者になるべく、自己紹介でギャグをかますが、とんでもない下ネタで大滑り!
 こんなことが続いて、周囲の評価は「ウザい」「空気が読めない」。
 結果、菊地はクラスでどんどん浮いた存在に。
 最後にはひとりで弁当を食べるように……。
 実は菊地は中学でも同じ失敗をしていた。
 …………………………………

 生きるって大変だな。厄介だな。

 特に思春期は顕著。
 僕くらいのおっさんになると、神経が図太くなり、
 他人に合わせたり、ゴマかしたり、かわしたりするのだが、若い頃はそれらが出来ない。
 世界と調和していた子供時代は終わり、世界との不協和音が始まる。
 彼らにとって学校はほとんどの生活の場だから、ここで失敗すると絶望しかなくなる。
 まあ、これは多かれ少なかれ、誰もが通る道なんだろうけど。
 僕の場合は、映画館という逃げ場所を作った。

 作品は、こんな3人(特に志乃と加代)が心を通わせる物語。
 志乃と加代はバンドを始める。
 志乃が歌い、加代が演奏する。
 志乃の歌声はきれいで、歌う時は吃音にならないのだ。
 ふたりでバンドをしている時、世界は調和していた。
 最初は部屋の中だけでバンドをしていたが、やがて街に出て歌い始めた。
 街はそれを受け入れてくれて、ふたりは世界とますます調和した。
 しかし、そこへウザい菊地が現れて……。
 菊地の存在で志乃と加代の世界は揺らぎ、やがてふたりはすれ違い始めて……。

『ドラゴン桜』の南紗良さん、
『おかえりモネ』の蒔田彩珠さん、
 ふたりが主演ということで見たんだけど、実によかった。
 南紗良さん、吃音という難しい役を見事に演じ切ったな。
 蒔田彩珠さんは真骨頂。
『モネ』といい、『朝が来た』といい、世界と不調和な役がほんとハマる。

 作品のクライマックスは、
 志乃と加代が自分をさらけ出して、心の中を語るんだけど、これが圧巻!

 では、志乃と加代は互いの心の中をさらけ出すことでわかり合えたのか?
 作品は結論を観客に委ねている。

 僕は、人は完全には理解し合えないけど、ほんの少しは理解し合えると考えた。

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三島由起夫VS東大全共闘 50年目の真実~三島が生きていたら、今の時代に何を語るのだろう?

2021年09月18日 | 邦画
 映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』
 東大・駒場キャンパス900番教室でおこなわれた、三島由紀夫と1000人の全共闘の討論の記録である。

 この時代、言葉に力があったんですね。
 三島も全共闘のメンバーも「言葉の力」を信じている。

 劇中で飛び交う言葉は「社会と個人」「文化と自然」「天皇」「解放区」といった言葉。

 右翼の三島は「個をなくし、天皇を中心にした国家に自分を委ねるべきだ」と主張している。
 なぜなら、完全に自由な「個」として生きることは、不自然で不安でしょうがないからだ。
 三島が嫌いだというサルトルの言葉を借りれば「実存は孤独だ」からだ。
 これは三島の小説『仮面の告白』でも語られているテーマでもある。
『仮面の告白』の主人公は、皆が同一で、国家と運命を同じくする社会に居心地よさを感じ、それらから解放された戦後の社会に恐怖を抱いている。

 一方の左翼の全共闘は、国家などから「完全に解放された自由な個人」を目指している。
 バリケードで囲まれた「解放区」はそのための場所だ。
 小松左京のSF小説に『物体0』という作品があるが、おそらく、この「解放区」から着想を得たのだろう。
 しかし「完全に解放された自由な個人」などあり得るはずもなく、逆に社会主義国家は個人を抑圧するものでしかなく、全共闘の理想は挫折していく。
 全共闘のメンバーも「解放された自由な個人」は幻想で、あったとしても一瞬のものだと考えていたようだ。

 このような対立点を明確にしていく三島と全共闘だが、両者は以下の3点で共通点を見出した。
・反米
・非合法活動の容認
・社会を変えていこうとする熱情

 三島は「アメリカ万歳」の既存の右翼に憤りを感じ、全共闘は日米安保によるアメリカ従属を否定した。
 三島は市ヶ谷・自衛隊駐屯地で非合法に決起し、全共闘は革命を目指した。
 そして両者に共通する燃え盛るエネルギー。

 2021年の現在からこの時代を見ると、
 現在は熱くないなあ。
 言葉がむなしいな。
 同時に三島と全共闘のメンバーはドンキホーテのようで滑稽な感じもする。
 でも、この熱情と過剰な言葉と滑稽さがその後の高度経済成長を作ったような気もする。

 この作品では、70歳をこえた元全共闘のメンバーと三島の楯の会のメンバーがインタビューで登場していたが、彼らが2021年の現在をどう見ているか、語ってほしかった。
 インタビューアーは敢えて聞かなかったのか?
 それは三島由紀夫にも言えて、もし三島が生きていたら今の時代について何を語るのだろう?
 また市ヶ谷に立てこもって、「自衛隊よ、立ち上がれ!」と演説しているのかもしれない。

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映画「空母いぶき」~自衛隊、専守防衛で戦わば。「今後の外交交渉に影響する戦闘は極力回避せよ」

2021年04月14日 | 邦画
 映画「空母いぶき」
 原作コミックでは、尖閣をめぐる中国との戦いになっているのだが、
 映画では謎の海洋国家・東亜連邦との戦いになっている。

 さて、他国からの侵攻を受け「防衛出動」が発令された時、日本政府はどう反応したか?

 日本政府
「今後の外交交渉に影響する戦闘は極力回避せよ」
「戦闘から戦争に発展する行動は避けよ」

 正しい反応だと思う。
 国家間の紛争の最終的な解決手段は「外交交渉」。
 あくまで局地戦の「戦闘」に抑え、国と国が全面的に戦う「戦争」は避ける。
 劇中でタカ派の閣僚が「これではこのいくさは負けるぞ。全軍をあげて戦うのみ」と息巻いていたが、これは愚か。
 全軍で戦えば「戦争」になってしまう。
 あるいは、ひとりの閣僚はこんなことを言っていた。
「グローバル化の現在、国と国との全面戦争は国際経済に多大な影響を及ぼす」
 これがグローバル化の時代の戦争のリアリズムだと思う。

 アメリカの反応は──
「自制的な行動を求める。グッド・ラック!」
 おいっ、日米同盟はどうした?(笑)
 でも現実はこんなもんじゃないかな?
 紛争や局地戦は当事国に任せる。
 全面戦争になった時は、調停などに乗り出す。
 仮にアメリカと中国が全面戦争したら世界はボロボロになるからね。
 ネトウヨ界隈が言っている「アメリカが中国をやっつけてくれる」は幻想だ。
 ……………………

 では、秋津(西島秀俊)が率いる空母いぶきと護衛艦の自衛隊はこの事態でどう戦ったか?

 いぶきのスタンスはあくまで「専守防衛」だ。
 日本政府の命令
「今後の外交交渉に影響する戦闘は極力回避せよ」
「戦闘から戦争に発展する行動は避けよ」
 に従って戦う。

 そのために行なったのは──
・敵ミサイルの迎撃
・敵艦の無力化(撃沈ではない)
・いぶきに襲い来る敵潜水艦の魚雷を護衛艦が代わりに受ける。
・なおも魚雷を放とうとする敵潜水艦に味方潜水艦が体当たり。
 途中、敵潜水艦を沈める機会はあったのにそれをしない。
 撃墜された敵戦闘機のパイロットは助けるし、
 捕虜になった敵が味方を銃で殺害したのに報復しない。

 まさに「専守防衛」に徹した「自制的な戦い」だ。
 高性能のミサイルや魚雷をぶっ放して敵をやっつければスカッとするだろうが、
「戦争に発展すること」を避けるために愚直に戦い続ける。
 仲間を理不尽に殺されたら怒りも湧いて来るが、あくまで冷静に対処する。

 映画「空母いぶき」はこのような作品だった。

 僕はこの作品の日本政府や自衛隊の対応を「是」とする。
 国際世論もこんな日本の姿勢を支持するだろう。
 一時のスカッとする爽快感は道を誤らせる。

 さて仮に現実でこういう事態に陥った時、
 日本政府、自衛隊はどう対応し、国民はどのような反応をするのだろう?

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映画「ビブリア古書堂の事件手帖」~びっしり本が詰め込まれた薄暗い店内の奥に美少女がいる

2020年09月06日 | 邦画
 映画「ビブリア古書堂の事件手帖」
 テレビドラマの剛力彩芽版じゃなくて、栞子役を黒木華さんが務める黒木華版だ。
 やはり地味な役は黒木さんがよく似合う……(笑)

 物語は、原作の「それから」(夏目漱石)、「晩年」(太宰治)を組み合わせたもの。

「それから」パートでは、大輔(野村周平)の祖母・五浦絹子(夏帆)のせつない恋愛話をふくらましている。
 50年前の絹子と田中嘉雄(東出昌大)を具体的に描いている。

「晩年」パートでは、栞子が持つ稀少本「晩年」を狙う謎の男・大庭葉蔵との戦い。
 サスペンスな展開になっている。

 いわば、恋愛ドラマとサスペンスドラマを両方、愉しめるというわけだ。
 ……………………

 本作の魅力と言えば、やはり「ビブリア古書堂」の雰囲気・匂いだろう。
 天井までいっぱいで、木製棚にぎっしり詰め込まれた本。
 店内は薄暗く奥行きがあり、御堂のようで、まさに「古書堂」という言葉がふさわしい。
 これが「古書店」だと明るくなってしまう。
 そんな薄暗い店内の奥──机に積み上げられた本の山の中に美少女・栞子さんがいる。

 何と幻想的な光景だろう。
 ビブリア古書堂に足を踏み入れることで、観客は異世界にトリップする。

 しかも、薄暗い古書堂の奥にいる美少女は名探偵。
 本の査定をしただけで、その本に関わった人たちのドラマを読み取る。

 本は読者をここではない異世界に誘うものだが、この作品はさらに面白い仕掛けを施している。
 古書「それから」が大輔の祖母の恋愛話に展開していったように、本が異世界への扉を開くのだ。
「それから」を読んで、漱石の書いた物語世界に浸るのは通常の読書行為。
 だが、この作品はそれだけでは満足しない。
 古書「それから」を通して、大輔の祖母の恋愛話の世界に誘っていく。
 この点で、映画版が大輔の祖母の恋愛話をていねいに描いたのは正解だ。

 ビブリア古書堂。
 これが街にあったら素敵だろうな。
「幻想スポット」が街中にある感じ。
「異世界への扉」がある感じ。

 でも現在はスクラップ&ビルドで街からこういうスポットが失われてしまった。

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映画「新聞記者」~森友、加計など、安倍腐敗内閣が生み出した作品。メディアと官僚は自分の矜恃と良心を取り戻せ!

2020年03月24日 | 邦画
 日本アカデミー賞の最優秀作品賞など各賞を総舐めした映画『新聞記者』。

 そこで暗に描かれているのは──
・森友事件
・伊藤詩織さん事件
・前川喜平さんを貶めるための新聞リーク事件
・加計学園事件
 すべて安倍案件だ(笑)
 まあ、東京新聞の望月衣塑子さんの著書を原案にしているのだからこうなる!
 冒頭のテレビ番組の討論番組では、望月衣塑子さんと前川喜平さんが出ている!
 この作品、こんなふうに現実が見え隠れしているから、映画の夢の世界に没入したい観客はシラけるんだけど、こういう作品があってもいいだろう。
 まさに2019年に生まれるべくして生まれた作品、安倍腐敗内閣が生み出した作品だ。
 今、森友事件で自殺された近畿財務局の赤木俊夫さんの手記と遺書が公開されたが、この作品の内容ともリンクする。
 
 面白いのは首相官邸まわりの事件を扱っているのに、首相や官房長官や総理補佐官がまったく出てこないこと。
 主人公の新聞記者・吉岡エリカ(シム・ウンギョン)に敵として立ちふさがるのは、内閣調査室の多田智也(田中哲司)のみ。
 首相や官邸の顔が見えないことが、逆に権力の隠喩になっている。
 巨悪は決してオモテに出ず、下部組織を動かして暗躍するのだ。

 そんな巨悪の先兵である内調の多田が語っていた言葉は次のようなもの。
「安定した政権を持つことがこの国の国益なんだ」
「ウソか本当かを決めるのはお前じゃない。国民なんだ」
「この国の民主主義は形だけでいいんだ」

 多田は内閣調査室の職員を使って世論を操作する。
 スキャンダルをでっちあげ、権力に敵対する者を社会的に抹殺する。
 なかったことをあったことにして事実にしてしまう。
 何という傲慢!
 内調のやるべきことって、外国のスパイや国内の不穏分子を調べることだろう。
 権力批判をする人たちを取り締まることではない。
 まして、ウソをでっち上げて社会的に抹殺するなんて!
 結局、多田が守ろうとしているのは『政権』なんですよね。
 多田にとっては『国=政権』であって、『国=国民』ではない。

 こんな多田の姿勢に疑問を抱き、葛藤する者もいる。
「俺たちは何を守っているのか?」
 内閣調査室の杉原拓海(松坂桃李)だ。
 自殺した内閣府の神崎千佳(宮野陽名)も組織と自分の良心・信念の間で悩んでいた。
 健全な社会を維持するためにはこういう人たちが必要なんですよね。
 不正を告発する主人公・吉岡エリカのようなメディアの人間も。
 これは僕の持論なんだけど、
 社会のそれぞれの分野の人が、自分の矜恃と良心で仕事をしていれば、世の中はそんなに悪くならない。
 官僚は官僚の矜恃と良心を
 メディアはメディアの矜恃と良心を
 検察官は検察官の矜恃と良心を。

 最後に、この作品はあまりスッキリした形で終わらない。
 エンタテインメントのカタルシスはない。
 ネタバレになるので詳しく書かないが、このモヤモヤした感じこそが今の現実なのだ。
 森友、加計、桜──全部モヤモヤしている。

『新聞記者』はやはり2019年が生み出した作品なんですね。

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翔んで埼玉~上級国民、自虐、2.5次元……この作品には現代社会の隠喩がいっぱい!

2020年02月09日 | 邦画
『翔んで埼玉』を見た。
 ツイッターでは53万リツィートのトレンド入り。

 権力者と抑圧された者の闘いの物語である。
 革命と連帯の物語でもある。
 チェ・ゲバラを始めとして、世界史ではこうした闘いが繰り広げられてきたのだが、
 これを『東京と埼玉の対立図式』に当てはめるとナンセンスな物語になる(笑)
 この別次元に飛躍する面白さ!

 自虐の物語でもある。
 埼玉をディスり、千葉をディスり、茨城をディスって笑いにする。
 でも、自分を客観視して笑い飛ばすのって素敵なこと。
 高度な知的笑いでもある。
 一方、現在の日本のテレビや雑誌を見ると、『日本すごい!』が高視聴率を取り、売れている。
 僕は、日本を客観視して笑いにするくらいの方が大人の態度のような気がするけどなあ。
 昔のテレビには『ここが変だよ、日本人』といった番組があった。
『日本すごい』ばかりでは、どこかこそばゆい。
 自分を客観視して笑い飛ばす余裕が現代の日本にはなくなってしまったのか?

『翔んで埼玉』には、こうした時代の隠喩が盛り込まれている。
 ネットには『上級国民』という言葉があるけれど、今作はまさに上級国民との闘い。
 下級国民は互いにいがみ合ったり、上級国民に取り入ったり、ゲリラとして闘ったり、さまざまな形で現状を生き抜こうとしている。
 これはまさに現代日本の姿ではないか?

 あとは2.5次元。
 かつら、ウィッグ、コスプレのような衣装。
 僕はまだこれに違和感を抱いてしまうんだけど、若い人には抵抗がないようだ。
 みんな、フツーに受け入れている。
 完全に2次元が3次元に侵食して来てますね。
 でもまあ、考えてみれば、時代劇もかつらとコスプレの世界、2.5次元がフツーになってもおかしくない。

『翔んで埼玉』は現代を反映した作品だった。

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君の膵臓をたべたい~誰かを好きになったり、嫌いになったり、手を繋いだり、すれ違ったりするすべてが愛おしい

2020年01月14日 | 邦画
 膵臓の病で余命幾ばくもない山内桜良(浜辺美波)。
 他人が自分の領域に入るのがイヤで他人を拒んでいる「僕」(北村匠海)。

 そんな「僕」の心の中に桜良はズケズケと入ってくる。
 他人を拒み、一定の距離を保っている「僕」は、膵臓の病のことを知っても気を遣ったり、悲しんだりしないからだ。
 これが親友の恭子(大友花恋)だったら泣き叫んで、桜良は否応なしに『自分が死ぬ存在であること』を認識してしまう。
 死を前にした人間にとって、気を遣われたり、哀しい顔をされることは逆につらいのだ。
 一方、「僕」はいつもと同じ距離とそっけない態度で自分に接してくれる。
 桜良にとって「僕」は普通の日常を与えてくれる存在であった。
 桜良はそんな「僕」と『死ぬまでにやりたいこと』を実行していく。
 …………

 この作品、録画していてお涙頂戴の「闘病もの」かと思って放置していたが、実際に観てみると必ずしもそうではない。
 むしろ「僕」の成長物語だった。

「君、先生になりなよ」
「みんなと友だちになる練習をしよう!」
「真実か挑戦かゲームをやろう」

「僕」が桜良から学んだことは『他人と向き合うこと』だった。
 他人を拒む「僕」は教室でいつもひとりで本を読んでいる。
 必要なことしか話さないし、得意なのは図書委員の仕事(=図書館の本の分類をすること)だ。

「君にとって生きるってどういうこと?」と問われた桜良はすこし考えて、こう答える。

「誰かと心を通わせること。
 誰かを好きになったり、嫌いになったり、
 手を繋いだり、ハグしたり、すれ違ったり。
 楽しいのに鬱陶しくて、好きなのに嫌いで、まどろっこしいんだけど、それがわたしの生きている証明」

 桜良が人間関係のマイナスの部分、面倒くさい部分も肯定している所が興味深い。
 死にゆく人間にとっては、自分の目の前で起こることすべてが愛おしいのだ。
 死を目前にしていない人間は、このことになかなか気づかない。

 桜良も「僕」と関わることで得られる日常に救われていた。
「僕」は心を閉ざしているので、なかなか心を通わせることができなかったが、桜良にとっては、それが面白くて楽しい時間だった。
「僕」の心がすこしずつ開いて、ふたりの距離が縮まっていくのも喜びだった。
 ネタバレになるので書かないが、
 桜良が最後に語った言葉なんか、せつないんだけど、歓喜にあふれていてせつなさを圧倒してしまう。


 ハードディスクの録画を消さなくてよかったと思える作品でした。
 心の栄養、ビタミンをもらった作品でした。

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カメラを止めるな!~ダメダメでクセのある連中が一致団結! トラブルを乗り越えて撮影に取り組む姿に拍手喝采!

2019年03月10日 | 邦画
『カメラを止めるな!』を見た!
 なるほどね~、DVDなどの特典についているメイキング映像を逆手にとったわけか。
 カメラのフレームの外では何をしてもOK!

 登場するのは、
・気弱で自己主張しない監督
・監督の妻で、役にのめりこむと台本無視で暴走する女優
・演出にいろいろ口出ししてくるイケメン俳優
・NGの多いアイドル系女優
・アル中の俳優
・売れたい俳優
・お腹の弱い俳優
・腰痛持ちのカメラマン
・なかなか自分で撮らせてもらえないカメラマン助手
・監督の娘で、クォリティにこだわるあまり現場でもめ事が絶えないAD
・テキトーなイケメンプロデューサー

 要はメチャクチャ、クセのある人たちばかりw
 だからリハーサルは大混乱!
 監督は彼らを制御できず、オロオロする。

 作品はゾンビチャンネルの生放送で、カメラは一台。
 生放送なので撮り直しはきかない一発勝負のライブ!
 カメラは一台なのでまわし続けるワンカット撮影!

 こんな制約とクセのある俳優・スタッフの中、作品はどうなってしまうのか?

 しかし、いったんカメラが回りだすと、
 やるっきゃないっ!
 皆は一致団結、協力し始める。
 アル中でゲロを吐いたり、お腹が弱くて便意を催すといったトラブルの中、互いにフォローし合い、時にはファインプレーもあって、困難を乗り越えていく!
 皆が一致団結する姿!
 必死で一生懸命な姿!
 これが痛快で、一種、感動なんだよなあ。

 同じ傾向の作品としては、三谷幸喜の『ラヂオの時間』があるが、ノンストップでスピーディな分、『カメラを止めるな』の方がスリリングで面白い。
 まあ、その分、『家族愛』とか『ダメな人間の再生』といったドラマは薄くなるんだけど、そんなものはこの作品では二の次のようだ。
 何かを得るためには何かを捨てなければならない。
 この作品がドラマにこだわっていたら、尖らない凡庸な作品になっていただろう。

 個人的には、腰痛で動けなくなったカメラマンの代わりに、女性カメラマン助手がカメラを担当し『回転レシーブ』で撮影するシーンに感動しました!

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