地域縁尽倶楽部 なになに寫眞帳

ちいきエンジン倶楽部のブログへ ようこそ!
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街角風景~雪待ちの候

2019-11-28 18:20:05 | 日記


 見知らぬ高齢者同士間でも自然発生する話題の中に 季節のことともに時事?話題
で流行語に近くなった 暴走運転系のお話が尽きない。(悲惨事故発生止まずの状況
だが・・・。)
 (容喙失礼!)あるご老人?曰く 「昔は 軽自動車専用の免許があったのだから
平等に(富裕でも貧乏でも・・の意)一定の身体能力以下は 軽自動車に!」という 
あくまでも個人の「つぶやき」意見を聞いた。一瞬 う~ん 然り!と思ったものの
なんだか どっかでひっかかってしまい ストンと落ちない。(見栄との闘いは?)
 科学技術も発達し相応の指標測定方法ができそうなものだが・・やる気を削ぐ意見
はスルーされ 運転免許更新の受験ビジネスが大手を振って御商売? そっちの方向
も腑に落ちない。・・と妙案もなくこのまま今年も年が暮れ みな平等に歳を重ねる。
 街中は 今冬一発目の積雪を怖れ 空を気にしながら 冬タイヤ装備車が行き交う。
そんな中 ちっさな かわいい車?が・・これだ! 別の枠組みだ! と思った次第。
(名づけて 「ゴールドポイントカー」でガソリン五割引!では??・・重税への嫌味
 みたいで またまた空振り間違いなし!? だが!! 事態は深刻なのである。)
      「欠航といふも冬めくもののうち:高野素十」
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街角風景~閾(しきい)越え

2019-11-24 10:02:00 | 日記


 使用頻度の高い右手一指し指の先端に ひびが発生しざっくり割れた(・・表現
オーバーです)。去年も同じようなことを書いた記憶である。原因は薄々わかって
いる。超乾燥とタブレット多用と加齢・・そう云えば今時期 からっ風は大敵なのであ
った。クリームと手袋必携なり。
 どうやら 個人的に 細胞の限界点を超えた・・模様である。補助策?を模索す
ると・・タッチペンなるものを百円均一で発見。実験してみると・・実に快適で 
本格的な製品を求め 文具店へ。タブレットでの文字打ちや操作では 操作性は抜群。
今やあちこちに3本を置きっぱ状態。も少し増やして いつでもどこでも の状況
にしたい気分である。
 そもそも 忘れないで保湿や手袋で事前に「予防」をすべきであった!のだが
・・。明日の保障のないボヘミアン生活のかなしい宿命なのかもしれない。痛すぎ
てボードもたたけず 目下ひびあかぎれ注意報発令中・・の事態になってしまった。
 「皸(あかぎれ)といふいたさうな言葉かな:富安風生」
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街角風景~気掛かり

2019-11-23 10:03:25 | 日記


 盛岡城跡の発掘調査を見にいった時の帰り道。些細なこととは思いながら ちょっと
気になった箇所を撮影。(写真赤〇囲み)
 確か発掘箇所では 積み石裏側の土質が玉石混じりだった(専門家は「栗石」と云っ
てたような・・)が 経年で隙間に土の細かい粒子が詰まって水はけが悪くなり 徐々
に安全度が低下・・というのが一般的な石積みの見方。
 当時の石垣は ほぼ経験の蓄積を元に積んでいたに違いない。熊本城復元の映像を見
ても 石垣の表面は職人技で美しい放物線(最急落下曲線)に仕上がっていたので 同
様の形状だったろうと推測。さらに この城跡の場合は建物が棄却され 今は上の平場
は石碑少々と桜などの木々に覆われた広場になっており 重いモノは ほぼない。
 なにしろ400年前のことで 石垣の裏に詰める水抜き用の石材は 現代のような高い
品質の確保とは ちょっと考えにくい・・のだった。加えて 手入れも滞り・・広範囲
にズレが発生しているのでは?ないか?・・と思い始め 気になりだしたのでした。
 まあ もっとも 大規模なズレが日本列島中心部にたくさん見え隠れしている昨今 
瑣末な心配事であるにはあるのだが・・小人閑居して大きなズレを見逃す?の体になら
なければなぁ とチラリ思った。
 「山眠りかけては大き音起つる:上田五千石」
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街角風景~初冬

2019-11-17 16:34:55 | 日記




 ようやく重い腰をあげて決断し 自家用車のタイヤを冬用へ交換した。引き金は
北海道の積雪のニュース映像だった。まだ11月だよな・・が もう11月だもんな
の ほんのわずかな気分の違いなのだが 日記をめくれば一週間だけ早い交換なのに
なんと億劫がること甚だしいのであった。
 古くからお世話になってきた少しだけ年上の先輩から いつの間にやら齢を取り過
ぎた?今後「年賀を控えます」の葉書が一通届いた。改めて 自分の年齢の数が多過
ぎるという現実に はたと気付かされるその瞬間は 侘しいものがある。
 きっと 初冬の今頃 ここ数年いつも感じてきたことで 単に一年間忘れていた・
・だけ と思いたい。人様から気づかされる前に 各般チビチビ整理せねば と自覚
しているつもりではあるが・・。自家用車はどうしても継続 カメラも必要 ブログ
も継続 年賀は 云々・・延々と切りがなく・・疲れて 思考停止。
 あ~ 冬がまた来るか 戦いは とりあえず 春まで先送りとする! とした。
   「初冬の徐々と来木々に人に町に:星野立子」
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街角風景~藩士の墓

2019-11-14 09:41:44 | 日記


記録保存用: 『江釣子源吉の墓』  <藩の家老を介錯した男>
 「戸田一心流」の皆伝者で 盛岡藩随一の剣の使い手と言われた江釣子源吉は
幕末から維新の激動期を南部藩(盛岡藩)に生きる。
 明治二年六月 新政府軍との戦争の責任を負って 盛岡藩家老・楢山佐渡は城
下の報恩寺(曹洞宗)にて処刑された。
 二十三歳の盛岡藩士の江釣子源吉は その時介錯人に志願し 勤め上げた。
江釣子にとって 家老の楢山は 戸田一心流の師であり また 戊辰の際秋田で
の戦争を総指揮した家老で 深く敬慕していたという。

 江釣子源吉の墓碑は 円光寺墓地の中ほどに屹立している。その姿は 背筋を
伸ばし凛と立ち尽くす南部武士の佇まいを想起させるような雰囲気を持っている。
 盛岡藩は 天皇に弓を引く意思など微塵もなかったものの 世の中は 賊軍朝
敵という汚名を着せ世を制圧し 時代を大転換して 決着させた。

 介錯の後の江釣子は 数ヶ月もの間 家人が目を離せないほど放心状態となり
毎晩酒を飲んでは「ご家老、拙者もすぐお側に参ります」と刀を持ち出した・・
と伝えられている。
 やがて 落ち着きを取り戻した江釣子は 再開したばかりの藩校「作人館」で
剣術師範となり 更にその後は 盛岡の監獄所に勤務したと云われている。
 江釣子は 明治の時代も もののふの魂と悔恨の想いを胸に ひたすら生き抜
き 晩年は楢山佐渡の墓参り(聖寿寺:臨済宗妙心寺派)に通う日々を過ごし 
大正二年六月十九日 六十七歳で没した。(伝承)

 墓地は 盛岡市鉈屋町の円光寺(浄土宗)にあり お寺さんと末裔が百年以上
しっかり守っておられる。
 桜の散った後の6月は 静かに身の回りを充分見渡し 万遍なく気遣いすべき
月なのかもしれないナ・・と思った。

 「花は咲く柳はもゆる春の世にうつらぬものは武士(もののふ)の道
                              :楢山佐渡」

 (言い訳:春に思いついた自分の課題を 半年後の今ごろ ようやくまとまっ
  た次第…。面目ない。また 昨今不純極まりなく低次元な 桜云々の会の話
  題とは 一切関係ない。桜は 日本の精神文化の不変のよすがである。
  政治利用と冒涜は許されない。長文御容赦。。)
 
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