地域縁尽倶楽部 なになに寫眞帳

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街角風景~花より団子

2021-03-28 16:48:25 | 日記

 東北の二県で10万人当たり感染者の指数値が 急激に全国上位のランキングに駆け
上がってしまった。なんで?かなぁ~?首を傾げてばかりで‥肩がコル。
 朝方 雲間から太陽がほんの少し顔を出すと すかさず一昨日まで何もなかった落葉
のしたから 伸びてきた新芽に花が咲き光を目一杯浴びている。少し鈍感な当方へ よ
うやくの春到来を知らせてくれているようだ。そろそろ薄手のセーターにしたら・・と。
 感染拡大は 気候のせいではなく 人間の情緒的なことが支配しているのではないか
と強く疑っている。ワクチンやら宣言解除の喧伝よりも 検査の拡充(現在の日本国内
の検査等の能力)の日々の告知が 一番本質をつく事柄ではないの?と思うのだが・・。
 常に本質を外し花より団子の言い回しで もっともらしいお話がなんとなく優勢に扱
われている。そしてそれに惑わされている。はたしてそれでいいのか?と水を注す人が
いてこそ自然な状況なのだから なぜ出来ないのか?ということにスポットライトを当
てて真摯に対応してもらいたい。まさか?大国が壊れかけているわけでは?と心配にな
ってくるのである。
 いま最優先すべきは 花(本質)を見つけて 広く告知すること と思う。
   「老農の洗ふ眼鏡や春埃:中村草田男」
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街角風景~切り株

2021-03-21 10:03:47 | 日記

 「卒園式無事終了と老園長笑顔:縁尽」‥お粗末m(__)m
 日々 加齢と頃難の闘いが続く。決してそのせいではないと思いたいが‥ブログ文章
が 最近やたら長文で散漫となってきている。しかも 最初にオチを決めればいいのに
なんやかやと収拾のつかない文章がダラダラと続くのである。(フム?いまさらかな?)
 そのうち 仕込んだネタもすっかり時期外れとなり あ~あ やってしもた!と ゴ
ミ箱行き。時の流れが早すぎる。
 馴染みの庭師が秋に来た時 拙宅玄関脇の中木を指し こりゃ~病気だから切った方
がエエ‥とさっさと切って処分してくれた。やがて春が来て厚い雪が解け 切り株が顔
を出すようになり その年輪をシゲシゲ眺めては よせばいいのに これまで流れた時
間を つい手繰り寄せてしまう。オイラもそろそろ限界なのだ‥と自覚しろということ
かなぁ?などと神妙になってしまうのだった。
 ま 本は読めば読むほど読書効率が落ちて当然 と云う人もいるから 歳をとるのも
いろいろ余計なことも考えてしまうが 決して悪い事ばかりではない?のかしらん?と
浅はかに思うしかない春なのであった。
   「春分の日の切り株が野に光る:安養白翠」
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街角風景~春風

2021-03-13 17:42:49 | 日記

 一段と春めいてきて 日毎に吹く風も心地良くなってきた。遠く稜線に並ぶ風力発電
の羽の回転もよく見えるようになってきて 一帯に「風の谷のナウシカ」感が充満。
 かなり乱暴な推計であるが‥風力発電の風車一基につき年間450万KWhの発電と仮定す
ると‥この場から見える範囲では9基(写真は8基マデ)はあるので 一世帯あたり年間
3400KWh位の需要とまたまた仮定し ざっくり1万~1.2万世帯を賄える ギョ!えッ?。
 ということは この辺一帯の町の民家の需要を満たすことに?かなり頼りないがそう
なる感じ?。ただ‥一桁間違っていても 春到来のせいか風の谷の町も悪くはないなぁ
と思うのでした。
 少なくとも大地をガラス板で覆ってしまう太陽光パネルよりは 景観的にも防災的に
も 優しい気がする。
 参考までに ここから見える羽の回転の速さは これも極めて大雑把な表現ながら 
(老人向けの?)ラジオ体操の腕のぐるぐる回しの速さとほぼ同じくらい‥であった。
 「ゼロ ナントカ」のゼロにこだわり 喰い付くご意見の開陳も散見するがCO2ゼロ
へのメッセージも も少し庶民に分かり易く咬み砕いて ゆとりあるダイアローグの場
において やり取りしてはいかがでしょうか‥と思うのだった。
(Walk Don't Run‥by ベンチャーズ)
   「啓蟄や日はふりそそぐ矢の如く:高浜虚子」
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街角風景~青天白日

2021-03-04 18:36:56 | 日記




 火災報知器を各居室に設置するようルール改正があって 拙宅では規定に則って三
基を設置。それから早くも10年が経過。そう云えば大震災の頃だったなぁ‥と思い
出す。内臓の電池寿命は10年間まで‥と併せて思い出す。いざ電池探しへお出かけ。
 ところが 大手の電気屋さんの大フロアに指定型番のモノが無い!のである。加齢
のせいかと 二度三度一個一個舐めるように広い陳列棚を探すが‥無~い!のである。
 スイアセ~ン!と恐る恐る店員に聞くと もうその型番はなくなって 新規購入を
とのご説明。(もう10年前のことなんで~ご勘弁を~‥と云った感じ‥かな)
 モ~~ッとしながら 新しい機種を見ると なんとも機能充実で見た目もグッドな
品々がたくさん並んでいる。ただ 高い。懐具合も淋しかったので そさくさと退散。
 帰宅し冷静に考えると 10年後の保証(工場の存続も含む)は 精一杯の気持ち
の表現であったのだなぁと解釈した。やはり10年間に起きた変化は かなり大きい。
 最近見た映画に 10年後(2031年)の3月11日に復興現場へ立った時の感想(詩)
を詠みあげる印象的なシーンがあったが もう少し自分も「具体的」に思いを巡らす
必要があるなと 残り時間も少ないが故か そう自戒したのであった。
 それにつけても ふるさとの山は ありがたきかな‥である。(同様に懐は淋し‥)
   「三月は鼻に微風を送る山:森 澄雄」
コメント (2)
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