地域縁尽倶楽部 なになに寫眞帳

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街角風景~際(きわ)の話

2023-04-25 17:40:41 | 日記








 散漫に散歩していると たまたま横道に逸れて ヒメオドリコソウの群落?にバッタリ。どうして?こうなるの?と雑草図鑑を開いてみると 同じようなホトケノザなどの仲間は 独特の遺伝子戦略を持つらしい。
 閉鎖花(ヘイサカ)により自分で受粉して種子をつけ 固有の餌でアリを呼び寄せてはその種を運ばせる‥らしいのである。しかも季節を問わない活動で 気がついた時にはわんさか出た!‥ということとなる‥らしい。怖ろしいほどの繁殖力である。しかもヒメオドリコソウの分布は 日本全土‥とある。

 選挙関連話題がテレビを賑わしていて 日本全土へ一斉に報じる話題かどうかはテーマにもよるだろうが ガッカリする投票率への対応策をさておいて の話題沸騰は 本当に寂しく先々が怖ろしくなるようで 栄枯盛衰の際をすっかりライブしているような感覚(諦観と緊張と希望)‥になってしまう。
 足元に眼をやると 瀬戸際から壁際や窓際を巡りめぐって時が経ち あっという間に散り際が迫る歳となり 今わの際も間近か?の状況ナノダ!‥が 正確で客観的な現状表現??かもしれない。
 雑草の生きる姿から 数の多少を問わず徹底的に闘いうる「戦略」を持つことこそが普遍的で大切な理念なのだ‥と思うのであった。そのためには‥少々でも勉強を‥なのだが‥今頃悔いても詮無い際の話に落ち着くのだった。
   「夢殿をめぐりめぐりて日の遅き:中島月笠」
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街角風景~杖

2023-04-18 15:38:34 | 日記












 予防は治療に勝る で転ばぬさきの杖‥だから 室内だけで使う杖(遺品を流用)を自室に備え付けた。腰痛に気を取られて転倒なんぞでの入院事態は回避したい‥と 母の介護経験から学習(反省)したことを役立て 先手を取ることにしたのである。
 保有する数えきれない?基礎疾患と 朝のラジオ体操習慣でその動きの(往時に比べ)速さがイマイチとなり 放送開始に先だって10~15分ほど足踏みやストレッチによる準備体操を必要?とするようになってしまった からでもある。(充分自覚はしているつもりだが‥リズムも追いつけず 一拍ズレで遅れ気味‥トホホで情けないが 老化では仕方がない)
 杖は 朝だけ自室で歩行時(練習)使用ながら たくさんの気付きがあって 移動時の集中力が増した?ような気もするし 住環境の改善点(手すり等々)も具体的に見つけられる。
(なお 朝の血圧測定で 直前充分にストレッチをすれば 血圧値がおおいに下がる‥老化に伴う動脈硬化に対する血流改善の劇的効果?と素人解釈している)

 今年は様々な種類の桜が一斉に開花してしまい いまは別の草木の開花が次々と‥展開。なんともはや毎日時間があっという間に過ぎ 季節の巡りが早過ぎる感じがしてならない。時の流れの早さにつられて 宅内のゴミ屋敷化も加速するようで? 益々身体の動きは難くなる のである。
 後の人達が困らぬよう やらねばならない雑務の大整理だが‥なぜか一向に捗らない。貧乏性故に捨てきれない細々雑物の増大や 突然の体調不良で ひょっとしての入院事態では きっと先々周りのみんなが困ることになる‥のは明らかなのだが‥お片付けはまったく気乗りしない。
 とりあえず生活リズムの調子を少し整えては?‥で ブログ場面での今季の桜画像の棚卸しをしておこうと 室内をウロウロ杖をつき周りながら 思いついた!‥のでありました。
   「軽々と又重々と桜咲く:相生垣瓜人」
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街角風景~2023/盛岡/石割桜

2023-04-11 10:42:06 | 日記






 通常見ごろと云われる時期は 4月の半ば‥というのが‥一般的感覚。そんなはずなのに‥今年は4月5日の早々に桜花を撮影。先々天候が崩れそうという予報(巷の予想?)を聞き あわてて車を出して駆けつけたのだが すでに”満開!"となっていて ギリギリで間に合った感じ。
 毎度ながら 今年が見納めだなぁ~の呟きを10年くらい繰り返してきたような気がする。画像データを見ると毎年4月の10~20日の撮影が多い感じ。今年は 技量は成長ゼロながら 日頃の心がけのせいか?運よく正真正銘のエドヒガンザクラを画像に納めることができた。来年のことは 怖くなるので考えない‥ことにしている。アチラさんもコチラさんもよくここまで生きてこれ ここで一期一会できた‥と 単純に(自分だけで)喜ぶ。
 加齢と老化は意味も次元も違うことらしいが 今日に至っては自分にとってどうでもよく いずれにしても細胞と臓器(部位)に変化を自覚でき なにか(病気)をきっかけに最急落下曲線を描いて破綻?(まるで直近の現世に近似)の 瀬戸際が現実なのである。
 遠い昔 格好つけて真の意味も解らず読み・聴いていた大江健三郎やボブディランなどの万分の1程度を 今頃になって あっそうか!そういうことか!なのだから まったく「往時は還らず」(キケロ)で いままでの不勉強を取り戻そう‥などというのは厚かましく 腰痛を言い訳にしながら泣き言を云っても 後の祭り・年寄の冷水‥なのであった。
 そうやって 風景一望してみると やさしい陽を浴びながらの百花繚乱は それぞれがそれぞれ耐えてきただろう一日一日を思い起こさせられ 実に感動的なのであった。
 結局(自分)は 老年の悲哀を静かに受け止め 楽観も悲観もせず「忍の一字」で清々しく‥ということに尽きる?‥のかもしれない。今年の桜は‥そう云っているような気がしたのであった。
   「命二つの中に生きたる桜かな:芭蕉」
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街角風景~里山の一本梅

2023-04-04 11:28:00 | 日記






 気にし過ぎかもしれないが 世の中全般を含めて 気になる人々の訃報が最近多い感じがする。体調改善も春の進み具合ほどの躍動感もないので 少し自信を無くしかけているところへのお知らせは 結構じわじわと心身に効くものである。
 暖かくなったので 母方のご先祖さまのお墓へ 報告を兼ねお線香をあげに行ってきた。
 亡母の実家の総本家は 里山の高いところに陣取っていて 日当たりも見晴らしもかなり良好である。おそらく昔々 この辺では一番洪水などに安全な処へ居を構えた‥ものと一見して分る場所である。お屋敷の背後には 山が迫っていて そこの一画がご先祖さまたちの墓地となっている。(位置的には盛岡から約35Kmも南方の町‥法事以外では30年(以上?)ぶりかもしれない)
 たまたま快晴に恵まれ 花々が一斉に開きかけ なんとも絶妙なるタイミングで花々への一期一会となったのであった。
 ふと 気がつくとまわりの人々はどんどん遠く空の彼方へ行ってしまい 寂しくなる一方の昨今なのだが 一斉の開花は 幼い頃の記憶をどんどん呼び起こして 不思議な力となるのであった。花々がなにかのサインを出しているようで(錯覚?デス) 梅の花などは此方に話しかけているような気分となり なんとな~くホッとして心穏やかとなり(お陰様で)無事帰路につけた‥ので ありました。
 自分の残り少ない(だろう)覚醒の時間を 納得し充実して過ごせて かなり満足した日‥なので ありました。(春の一斉開花の躍動するチカラは まことに神秘的で不思議:写真は梅の花 連翹 辛夷 ナリ)
   「紅梅や枝枝は空奪ひあい:鷹羽狩行」

 
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