表題は花粉症によるハクションではなくセキシュンと読む(手持の歳時記では)らしい(誰もそう読まない!の声あり)。四月もあっという間であった。どちら様も同じく忙しいことでしょうが 当方相変わらず自分のことだけで精一杯なのは‥なんでかなぁ‥と思ってしまう。
御山のテッペン近くの雪はもう全部融けかかっている。鷲が両翼を拡げ天空を滑空するように見える絵柄は 田植え時期を知らせるサインなのだが‥。早くも連休前に 綺麗な形状は崩れかかって セキシュンの感じはひとつもない‥?。
いつも春は 北風に向って咲く(反骨の?)辛夷の開花から始まり 嗚呼ようやく春が来たと感嘆した後に順次梅などが咲いてくれるのだが 今年は皆々一斉開花で 調子を外されっぱなしの 変な感じ の春なのである。
政権交代の準備も出来ていない(ようにみえる)のに 補欠選挙では低めの投票率ながら野党系が大勝利。オレは怒ったぞ‥と先祖伝来のいつもとはちがう意思表示をした人がたくさん居たのだろう。いずれ庶民の生活をさておき 権力闘争激化は必然なり。
川の流れは絶えることはないが川岸は流れる水で削られ はたと気がつくと足元まで来ている‥というような ひたひたと世代を超えて押し寄せる課題は 尽きることが無いのである。
人口減少問題然りで極めて難問である。極端にはなるが投票権人口の半分が組織票の可能性もないではない。投票率50%となれば 難問はおそらくまったく解かれることはないと思う。ほぼ半分が考えることを放棄しているから‥である。
夏の準備が整わないまま 日中の限られた時間帯は真夏である。極端に短く刻まれた季節で一日が変化しているようなこの頃は 状況が刻々と変わる。まずは足元である国内の能登の早期復旧を願うのだが 誰がこの問題を難しくし 時間をかけているのか? と単純に思う。
現場の被災者の状況は 少数多数にかかわらず かなり厳しいのではないかという心配が先にたってしまう。ならば 本復旧と仮復旧とに分けて考え 仮復旧は 当面今を生き抜く環境回復のために 消耗・使い捨ても止む無しで良いのではないか。
難しく考え込んで立ち止まらず 少しでもやれることやり 捨てるものは捨て 前進すべきではないだろうか。(限られた情報の範囲内での勝手な想い ではあるが‥ここはハクションである)
「春惜しみつつ地球儀をまはしけり:長谷川双魚」