盛岡城下の鍛冶町(カジチョウ)は 奥州道中(街道)筋の宿駅。慶長期(1596-1615)築造とみられるここの塚跡地は 南部藩のすべての道の…起点であった。江戸の日本橋からは139番目の一里塚となる。
伝えでは もともと石の元標(MileStone)があったというが 文化年代(1804-)初頭(間宮林蔵の北方探検の頃か?)に撤去されたらしい(理由不明)。今はこの石碑と背景にはマンション風の建物がある。
藩政時代の駅所があって 人や馬が行き交う当時の流通の拠点であったというから その頃を妄想しながらゆっくり散策すると ちょんまげを頭に乗っけて 自然に胸を張って歩くようになるから いや不思議…単純にパスク・ロマーナ気取りで自己陶酔してるだけ…であります。
「茶を汲めば風音遠し古暦:鷲谷七菜子」