都知事選が近づき候補者の名前が上がってきた。
2週間前までは、桝添氏がいいんじゃないかと思っていた私。
しかしネットで「あれはダメだ」との記事を目にして
ウィキを見てびっくりした。
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家族・親族:
奔放な女性関係で知られ、2度の離婚歴がある。最初の妻は留学時代出会ったフランス人。2度目の妻は官僚時代の片山さつき(当時朝長さつき)であり、衆議院議員だった近藤鉄雄の紹介でお見合いしたのが馴れ初めで1986年に結婚。しかし実質的な結婚生活は長続きせず、3ヶ月後には片山が弁護士に相談する事態に陥ったといい、調停を経て89年に離婚した[26]。1996年6月に現在の妻である元秘書の女性と3度目の結婚をし、2児をもうけている。他に日本人女性2人との間に婚外子が計3人いる[注 1]。 かつての盟友栗本慎一郎は舛添の女性遍歴について「あいつは女の胸を揉んだ手で翌日に仕事で善人面して握手をしている。」と痛烈に批判した事がある。
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記事タイトルは上品に「恋多き男」としたが
「おんなたらし」というか「下半身が緩い」というか。
婚外子が計3人って、半端無い(呆)。
片山氏との離婚はDVが原因だったという情報も目にした。
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実姉の生活保護問題:
次長課長河本準一の母親の生活保護受給スキャンダルの発覚(芸能人生活保護不正受給問題)から、姉の生活保護受給の話が再び注目された[28]。1992年、北九州市の担当職員が「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼みに舛添の家を訪ねたが追い返された(元市職員談)。当時の舛添はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。といった内容が報じられているが[29]、舛添事務所は取材に応じていない。
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取材に応じていないということは、肯定も否定もしていない訳で
づまりは本当のことなのだろう。
ケチで冷酷。しかも社会人としての責任感が欠如。
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介護問題:
2000年に実母が死去するまでの数年間は、介護のため週末は郷里の北九州市で過ごすことが多く、仕事の重点も関西にシフトさせていた。晩年認知症(痴呆症)であったこの母の介護体験記『痴呆症の母を守って家庭崩壊』を『婦人公論』に連載[注 2]。母の介護問題を巡る困難や親族との軋轢など[注 3]を赤裸々に描き、大きな反響を呼んだ。この体験以来、福祉や介護問題を始めとした厚生行政への働きかけや問題提起を活発に行っている。介護体験は自ら政治の世界に足を踏み入れるきっかけの一つとなり、後の厚生労働大臣就任へとつながっていった[31]。
但し、『週刊文春』において、舛添氏が母親の介護をしていたのは平成12年(2000年)に亡くなるまでの3年間ほど週1回程度、母親の日々の介護は舛添氏の会社の取締役に名を連ねる三番目の姉が行なっていた(近所の老人談)。舛添氏が介護に携わるまで長年、長姉夫婦が一緒に暮らしていたが、母親の死も知らされなかった。また、舛添氏は著作で長姉夫婦が母を虐待していたと書いているが、「全部嘘」(長姉夫婦談)。舛添氏母が関わった病院や施設関係者への文春の取材では「長姉夫婦が虐待をしていたなんてことはない」といった内容の記事が掲載された。[
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親の介護を「飯の種」にしたようだ。
長年親の面倒を見ていた長姉をないがしろにして
最後の3年間だけ週1回介護して
手柄はぜ~~んぶ自分のものかい?
以上のことが事実なら(大筋では事実だと思う)
政治家として以前に人間としてダメだ。
私が桝添氏を肯定的に見ていた理由は
学者で東大助教授という肩書きと厚労大臣だったことによる。
実は目つきが好きじゃなかったのだが気にしないようにしていたのだ。
上記のような私生活の問題が大手メディアに報じられたのを見たこともない。
週刊誌は滅多に読まないし。
もし知っていたら、とうの昔にトンデモ野郎だと切って捨てた。
そう考えると、桝添氏の人気が高いのは、
「大手メディアに愛されている」ためだと思う。
でも何でそんなに愛されているのかなぁ????
政治姿勢を見ても
外国人参政権付与に賛成だったり、
テーブルに置かれた日の丸を「邪魔だから」と片付けさせたり
(新党改革結成の記者会見で:検索すると動画がある)
自民党が政権を失ったときに離党届を出して除名されたり。
信用できない人物らしい証拠が少なくない。
信義とか誠実とかからは最も遠いところにいる人に見える。
しかも冷酷。
少々頭脳明晰でも、こういう人はダメだ(断言)。
2週間前までは、桝添氏がいいんじゃないかと思っていた私。
しかしネットで「あれはダメだ」との記事を目にして
ウィキを見てびっくりした。
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家族・親族:
奔放な女性関係で知られ、2度の離婚歴がある。最初の妻は留学時代出会ったフランス人。2度目の妻は官僚時代の片山さつき(当時朝長さつき)であり、衆議院議員だった近藤鉄雄の紹介でお見合いしたのが馴れ初めで1986年に結婚。しかし実質的な結婚生活は長続きせず、3ヶ月後には片山が弁護士に相談する事態に陥ったといい、調停を経て89年に離婚した[26]。1996年6月に現在の妻である元秘書の女性と3度目の結婚をし、2児をもうけている。他に日本人女性2人との間に婚外子が計3人いる[注 1]。 かつての盟友栗本慎一郎は舛添の女性遍歴について「あいつは女の胸を揉んだ手で翌日に仕事で善人面して握手をしている。」と痛烈に批判した事がある。
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記事タイトルは上品に「恋多き男」としたが
「おんなたらし」というか「下半身が緩い」というか。
婚外子が計3人って、半端無い(呆)。
片山氏との離婚はDVが原因だったという情報も目にした。
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実姉の生活保護問題:
次長課長河本準一の母親の生活保護受給スキャンダルの発覚(芸能人生活保護不正受給問題)から、姉の生活保護受給の話が再び注目された[28]。1992年、北九州市の担当職員が「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼みに舛添の家を訪ねたが追い返された(元市職員談)。当時の舛添はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。といった内容が報じられているが[29]、舛添事務所は取材に応じていない。
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取材に応じていないということは、肯定も否定もしていない訳で
づまりは本当のことなのだろう。
ケチで冷酷。しかも社会人としての責任感が欠如。
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介護問題:
2000年に実母が死去するまでの数年間は、介護のため週末は郷里の北九州市で過ごすことが多く、仕事の重点も関西にシフトさせていた。晩年認知症(痴呆症)であったこの母の介護体験記『痴呆症の母を守って家庭崩壊』を『婦人公論』に連載[注 2]。母の介護問題を巡る困難や親族との軋轢など[注 3]を赤裸々に描き、大きな反響を呼んだ。この体験以来、福祉や介護問題を始めとした厚生行政への働きかけや問題提起を活発に行っている。介護体験は自ら政治の世界に足を踏み入れるきっかけの一つとなり、後の厚生労働大臣就任へとつながっていった[31]。
但し、『週刊文春』において、舛添氏が母親の介護をしていたのは平成12年(2000年)に亡くなるまでの3年間ほど週1回程度、母親の日々の介護は舛添氏の会社の取締役に名を連ねる三番目の姉が行なっていた(近所の老人談)。舛添氏が介護に携わるまで長年、長姉夫婦が一緒に暮らしていたが、母親の死も知らされなかった。また、舛添氏は著作で長姉夫婦が母を虐待していたと書いているが、「全部嘘」(長姉夫婦談)。舛添氏母が関わった病院や施設関係者への文春の取材では「長姉夫婦が虐待をしていたなんてことはない」といった内容の記事が掲載された。[
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親の介護を「飯の種」にしたようだ。
長年親の面倒を見ていた長姉をないがしろにして
最後の3年間だけ週1回介護して
手柄はぜ~~んぶ自分のものかい?
以上のことが事実なら(大筋では事実だと思う)
政治家として以前に人間としてダメだ。
私が桝添氏を肯定的に見ていた理由は
学者で東大助教授という肩書きと厚労大臣だったことによる。
実は目つきが好きじゃなかったのだが気にしないようにしていたのだ。
上記のような私生活の問題が大手メディアに報じられたのを見たこともない。
週刊誌は滅多に読まないし。
もし知っていたら、とうの昔にトンデモ野郎だと切って捨てた。
そう考えると、桝添氏の人気が高いのは、
「大手メディアに愛されている」ためだと思う。
でも何でそんなに愛されているのかなぁ????
政治姿勢を見ても
外国人参政権付与に賛成だったり、
テーブルに置かれた日の丸を「邪魔だから」と片付けさせたり
(新党改革結成の記者会見で:検索すると動画がある)
自民党が政権を失ったときに離党届を出して除名されたり。
信用できない人物らしい証拠が少なくない。
信義とか誠実とかからは最も遠いところにいる人に見える。
しかも冷酷。
少々頭脳明晰でも、こういう人はダメだ(断言)。