自転車に乗ろう♪

自転車のこと、ロードレースのこと、庭のこと、日々の暮らしのことなど。    HN:Emmy(えむえむ)

お通夜の日

2013年12月13日 | 家族
昨夜は次姉と弟が来ていて、葬儀の段取りや納骨のことなど確認した。
亡父の時と同様に、家族葬となる。

今朝は、10:00を待って食材の買い出しに行った。
今日の昼食と明日の朝食昼食の分だ。
駅前のトーキューで買い物をしていると
「5%引きの券があるから持って行く。」と長男から電話があり
間もなく本当にやって来た。
何と堅実な(笑)。
試食のミカンが美味しかったので2袋。
他にも米やうどんやキノコ類など。
かなりの量になり、長男が自転車に積んでくれたので助かった。

帰宅して一息入れたところに、長姉が来た。
毎日、母のところに通って、マッサージや食事の介護を続けてくれた長姉。
感謝の気持ちを伝えた。

11:00に葬儀社の人が二人、母の旅支度を整えるためにやってきた。
長姉と私が立ち会った。
それは映画「おくりびと」の世界だった。
女性のかたは、こちらの希望を聞きながら、化粧を施したくれた。
男性のかたは、白繻子の着物を着せ、足袋と脚絆と手袋(?)を着けさせた。
足袋や脚絆のひもを結ぶのは長姉と私で
「長い旅の途中で解けることのないように」固結びでしっかりと結んだ。
手に数珠を持たせ、首に「頭陀(ずだ)袋」を掛けた。
小さなポシェットで、中には紙に書いた六文銭が入っているそうだ。
作業は15分ほどで終わった。

長姉が帰り、昼食にきつねうどんを作って
弟と長男と3人で食べた。
14:00に長女が車で到着した。
都内を抜けるの時間が掛かったそうだ。
昼食がまだだったので、きつねうどんを作って食べさせた。
(これを見越して、長女の分も揚げを煮ておいた。)

15:30葬儀社の人が母を迎えに来た。
弟と長女、長男と4人で見送った。

通夜は18:00からで、葬儀場までは30分みておけばいいだろう。
16:30に長女の車で藤沢駅そばの葬儀場に向かった。
ナビの言うとおりにしたらかなり混んだ道を行くことになり
17:15に到着。ちょっとひやひやした。

通夜には母が長くお世話になった特別養護老人ホームの方が4人来て下さった。
母の担当だった若い女の子が泣きっぱなしで
「一所懸命に母の世話をしてきてくれたんだなあ、
母の為にこんなに悲しんでくれるんだなあ。」
と思ったら、私も涙が止まらなかった。

それから会食。
会うのは亡父の葬儀以来の甥や姪も来ていて、懐かしかった。

15:00まで仕事を抜けられない夫と16:00まで学校だった次男は
17:30過ぎの新幹線に乗り、東京着19:12。
藤沢駅に20:22着なので、
長女の車で長男と私も同乗して駅まで迎えに行った。

20:30過ぎに会場に戻って宴会の続き。
次男とは小学生の時以来というメンバーが多く、
変貌ぶり?成長ぶり?がひとしきり話題をさらっていた(笑)。

23:00過ぎにお開きとなって、鎌倉の実家に帰った。
弟は義兄と二人で会場に泊まり、
今夜は我々家族5人だけが実家に泊まる。
2階の八畳間に布団を5枚敷きつめた。
長女が自分のシーツ、タオルケット、毛布、枕を持参してくれたので
寝具が足りて暖かく眠ることができた。


今日までずっと、ずだ袋とはトートバッグのような物だと思っていた。
調べてみて、本来の意味と母に持たせた事の意味が分かった。

---頭陀袋(ウィキより)------

“頭陀”(ずだ)とは、梵語のDhūta(ドゥータ、意味:払い落とす、棄捨)の漢訳音写であり、仏教の僧侶が行う修行(頭陀行、乞食の行)のことである。したがって、頭陀袋とは、本来この頭陀行を行う僧侶が、携行用に用いた袋のことであった。

別名として三衣袋(さんえぶくろ)、衣嚢(えのう)、打包(だほう)ともいわれる。これらは、もと比丘が山野を行脚する時に、僧伽梨(そうぎゃり)・鬱多羅僧(うったらそう)・安陀会(あんだえ)という3つの衣(三衣)が塵や埃、土で汚れないように入れたものである。したがって本来の用途はこれらの僧衣を入れるための袋であった。

しかし時代を経ると、これらの衣だけでなく行乞で供養してもらった物などや仏具なども入れるようになった。したがって、今日、運搬用で雑多な物を入れる袋を“ズタ袋”などというのはここに由来する。

また後世になって、仏式葬儀の際、死者の首から提げる袋も“頭陀袋”というようになった。これは、これから仏教修行の旅に出るという意味合いであり、白い布製の頭陀袋の中には、紙に描いた六文銭を入れる。
コメント
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