日付が今日に変わった0時0分に携帯が鳴った。
義兄からだった。
「今し方、11時58分におかあさん、亡くなりました、」
覚悟はしていた。
とうとうその時が来たんだな、と思った。
義兄に礼を言って電話を切って、すぐに長男に電話したが、出ない。
(母を長男が住んでいる家に連れて帰ることになっている。)
続いて夫に電話したら、すぐに繋がって
母が亡くなったこと、今後の行動予定は明日決めることを伝えた。
こたつにいた次男が寄ってきたので
「おばあちゃん、鎌倉のおばあちゃん、亡くなったって。」
「うん」
少しの間、二人で黙り込んだ。
ぼーっとしてても進まない、そうだ髪を洗っておかなくちゃと
気を取り直して、入浴。
ゆっくりと湯につかりながら、これからやることを頭の中で整理した。
明日はいくつかの予定があるので、
それらを済ませてから夜に鎌倉に行こうと決めた。
1:15に長男から電話が入ったので、状況を話して
今からお葬式関係で大変だけれど、現地をよろしくと頼んだ。
---------------------------
朝になって、長女に電話。
通夜と葬儀の日程が決まっていないこと、決まり次第連絡すること
私は今夜遅くに鎌倉に行くことを伝えた。
次男にも同じく状況を説明して登校させた。
次男の喪服は中学校の時の制服をとってある。
しかしボタンが「高」でなく「中」なので、ボタンだけは付け替えて欲しいと言う。
うわぁ面倒くさっ。
ひらめいて長女の彼の喪服を借りることにした。
洗濯機を回してから、買い物に出かける。
次男のワイシャツと黒ネクタイ、売り場に並んでいた数珠と白のハンカチを買った。
ツ○ヤでは今夜からの次男用に弁当系を多めに買う。
輪徳さんで修理を頼んであった次男のビアンキを受け取り帰宅。
(修理代1000円)
1ヶ月前に母の容態が悪化したとき作った荷造りメモを見ながら
手早く荷造りを済ませた。
朝一番で鎌倉に行っている弟から
通夜が13日(金)で告別式が14日(土)に決まった旨電話で知らせてきた。
長女と次男にメールで知らせる。
長女は今日の午後と明日、仕事を休むことにしていた。
現地での足として、長女には車で来て貰うことにした。
15:00前に夫が帰宅。
16:30過ぎの新幹線で一緒に東京フォーラムへ。
前から5列目でコンサートを聴いた。
終演後、夫は明日の仕事のために帰宅し
私は鎌倉へと向かった。
22:45 鎌倉の家に到着。
母は彫刻のようにほっそりとした端正な、そして穏やかなお顔で
永い眠りについていた。
満89歳だった。
義兄からだった。
「今し方、11時58分におかあさん、亡くなりました、」
覚悟はしていた。
とうとうその時が来たんだな、と思った。
義兄に礼を言って電話を切って、すぐに長男に電話したが、出ない。
(母を長男が住んでいる家に連れて帰ることになっている。)
続いて夫に電話したら、すぐに繋がって
母が亡くなったこと、今後の行動予定は明日決めることを伝えた。
こたつにいた次男が寄ってきたので
「おばあちゃん、鎌倉のおばあちゃん、亡くなったって。」
「うん」
少しの間、二人で黙り込んだ。
ぼーっとしてても進まない、そうだ髪を洗っておかなくちゃと
気を取り直して、入浴。
ゆっくりと湯につかりながら、これからやることを頭の中で整理した。
明日はいくつかの予定があるので、
それらを済ませてから夜に鎌倉に行こうと決めた。
1:15に長男から電話が入ったので、状況を話して
今からお葬式関係で大変だけれど、現地をよろしくと頼んだ。
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朝になって、長女に電話。
通夜と葬儀の日程が決まっていないこと、決まり次第連絡すること
私は今夜遅くに鎌倉に行くことを伝えた。
次男にも同じく状況を説明して登校させた。
次男の喪服は中学校の時の制服をとってある。
しかしボタンが「高」でなく「中」なので、ボタンだけは付け替えて欲しいと言う。
うわぁ面倒くさっ。
ひらめいて長女の彼の喪服を借りることにした。
洗濯機を回してから、買い物に出かける。
次男のワイシャツと黒ネクタイ、売り場に並んでいた数珠と白のハンカチを買った。
ツ○ヤでは今夜からの次男用に弁当系を多めに買う。
輪徳さんで修理を頼んであった次男のビアンキを受け取り帰宅。
(修理代1000円)
1ヶ月前に母の容態が悪化したとき作った荷造りメモを見ながら
手早く荷造りを済ませた。
朝一番で鎌倉に行っている弟から
通夜が13日(金)で告別式が14日(土)に決まった旨電話で知らせてきた。
長女と次男にメールで知らせる。
長女は今日の午後と明日、仕事を休むことにしていた。
現地での足として、長女には車で来て貰うことにした。
15:00前に夫が帰宅。
16:30過ぎの新幹線で一緒に東京フォーラムへ。
前から5列目でコンサートを聴いた。
終演後、夫は明日の仕事のために帰宅し
私は鎌倉へと向かった。
22:45 鎌倉の家に到着。
母は彫刻のようにほっそりとした端正な、そして穏やかなお顔で
永い眠りについていた。
満89歳だった。