徳川13代将軍家定公の正室・篤姫は、夫家定の死を知らされず看取ることは出来ませんでした。亡くなって1か月近くなってから老中から知らされました。夫婦仲は良かったようで知らされた時は深い悲しみの中にあったようです。時に篤姫24歳ー夫婦としては2年足らずでした。その後、天璋院と名乗り徳川幕府が崩壊して明治の代に入っても徳川家を守り続け明治16年に49歳でこの世を去りました。夫・家定の魂は天璋院篤姫の中に生き続け徳川家は存続しました。
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