笑顔の江川

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尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

ダブルヘッダーで哲学と歴史を学ぶー読書会に寺子屋江川塾

2022-04-23 21:37:51 | 日記
今日は午後から読書会にオンライン参加し、夕方から寺子屋江川塾をオンラインで行いました。ダブルヘッダーで哲学と歴史を学び充実した一日になりました。
現代は歴史と哲学がおろそかにされているように思えてなりません。
先行き不透明な時代だからこそ歴史と哲学は大切にしなければなりません。
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厚生労働省の姿勢を問うー全薬会議の交渉に参加

2022-04-22 19:53:57 | 日記
本日は製薬企業労働組合の全薬会議の厚生労働省交渉にオンライン参加しました。全薬会議は以前から薬害被害者との交流を深め厚生労働省交渉にも薬害問題の時間を作り薬害被害者と共に行動してきました。本日も午後から薬害問題について厚生労働省の担当者とオンラインで交渉しました。HPVワクチン被害者や薬害肝炎被害者から訴えがありました。HPVワクチン被害者に対しては被害の訴えに対しても裁判係争中で答えられないと苦しんでいる状況についても一言も述べずその姿勢に憤りを感じました。薬害被害者の支援のため様々な団体と連携しながら活動を続けていきます。
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ハンセン病に身を投じた井深八重を想う

2022-04-19 19:32:44 | 日記
寺子屋江川塾で数々の歴史上の人物を取り上げ、その生涯を追いながら人の生き方を深く考えさせられています。第4回目は「幕末から明治に生まれた女性医療従事者」ということで7人の女性を取り上げますが、以前から気になっていた女性が井深八重です。生まれは1897年で明治末期の生まれですが、井深家はもともと江戸時代は会津藩の重臣の家でした。名家に生まれ京都の同志社で学び長崎で教員をしていましたが、ハンセン病の告知を受け(告知は本人ではなく家族が受けました)御殿場のハンセン病施設である神山復生病院に入れられました。絶望の淵に立たされた彼女でしたが、病院長であったレゼー神父の献身的なハンセン病患者への姿勢に心を打たれ、その後に彼女はハンセン病の告知が誤診であることがかり東京で看護学校に入り卒業後、神山復生病院に看護師として働くことになりました。
彼女の和歌に「み摂理のままと思い忍び来ぬ、なべては、胸に深く包みて」とあります。自らの体験から献身的な看護活動をした彼女の生き様です。

私は間接的ながら、神山復生病院にはいくつかのご縁がありました。
一つは神山復生病院で医師として仕事をしたことのある友人です。私の学生時代の教会の友人で私の堅信式で保証人になってくれました。
もう一つは神山復生病院を創立したパリ宣教会の神父との出会いです。神山復生病院ではありませんが同じ宣教会の神父で熱いものを感じました。
その後私は縁あってハンセン病施設の東京多摩の全生園に出かけることがありました。

井深八重の生涯に触れてその生き様に感銘を受けました。
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HPVワクチン薬害九州訴訟のオンライン報告集会に参加

2022-04-18 19:53:54 | 日記
HPVワクチン薬害訴訟は、東京、名古屋、大阪、福岡と4つの地方裁判所で行われています。今日は九州訴訟の裁判期日で夕方にオンラインで報告集会が行われました。オンラインで全国からも多くの支援者が参加しました。今日も原告被害者の悲痛な現状と訴えがありました。被害者は最初の副反応からもう10年以上たちますが、いまだに副反応に苦しんでいます。被害者の生の声を聴き支援活動を進めていかなければならないと痛感した報告集会でした。この4月には全国各地の支援団体が集まり全国支援ネットワークも立ち上がりました。全国一体となって被害者支援の輪を広げていかなければなりません。
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天下の安危を一身にー勝海舟の言葉

2022-04-17 17:24:43 | 日記
「全体おれは幕末から明治の初年へかけて、自分に当局者でもなく、また成るべく避けては居たけれど、始終外交談判などを手伝はせられた。長州征伐の時にもあまり出過ぎたためにお上から叱られ、オロシヤが来た時にも和蘭と交渉し、列国が下関を砲撃した時にも長崎で談判を開き、薩長軋轢の時にも中に立ちなどして、長らくの間、天下の安危を一身に引き負うたが、そのうちにはいろいろの人物に接した。そして日本人の間では憎まれ者になつたけれども、これでも大院君や、李鴻章には、ずいぶん持てるのだ。先般薨去せられた島津公のごときも、三代以前から懇意である」(勝海舟「氷川清話」より)

さて現代の勝海舟は?
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