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ハンセン病に身を投じた井深八重を想う

2022-04-19 19:32:44 | 日記
寺子屋江川塾で数々の歴史上の人物を取り上げ、その生涯を追いながら人の生き方を深く考えさせられています。第4回目は「幕末から明治に生まれた女性医療従事者」ということで7人の女性を取り上げますが、以前から気になっていた女性が井深八重です。生まれは1897年で明治末期の生まれですが、井深家はもともと江戸時代は会津藩の重臣の家でした。名家に生まれ京都の同志社で学び長崎で教員をしていましたが、ハンセン病の告知を受け(告知は本人ではなく家族が受けました)御殿場のハンセン病施設である神山復生病院に入れられました。絶望の淵に立たされた彼女でしたが、病院長であったレゼー神父の献身的なハンセン病患者への姿勢に心を打たれ、その後に彼女はハンセン病の告知が誤診であることがかり東京で看護学校に入り卒業後、神山復生病院に看護師として働くことになりました。
彼女の和歌に「み摂理のままと思い忍び来ぬ、なべては、胸に深く包みて」とあります。自らの体験から献身的な看護活動をした彼女の生き様です。

私は間接的ながら、神山復生病院にはいくつかのご縁がありました。
一つは神山復生病院で医師として仕事をしたことのある友人です。私の学生時代の教会の友人で私の堅信式で保証人になってくれました。
もう一つは神山復生病院を創立したパリ宣教会の神父との出会いです。神山復生病院ではありませんが同じ宣教会の神父で熱いものを感じました。
その後私は縁あってハンセン病施設の東京多摩の全生園に出かけることがありました。

井深八重の生涯に触れてその生き様に感銘を受けました。
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