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飛鳥路 飛鳥寺・首塚~高松塚

今日の東京は曇り 後雨 
台風が近づいている影響で、4時過ぎから雨が降り始めました。

さて、写真は日本「最古の大仏」と云う飛鳥寺の飛鳥大仏。

飛鳥寺の前身と云われる「法興寺」の起源は、用明天皇2年(587年)に蘇我馬子が排仏派の物部守屋との戦いに際し、「この戦いに勝利したら仏寺を建立する」との誓いを立て、その戦に勝利し建てたとされています。 



7世紀初頭、鞍作鳥(くらつくりのとり)の作とされる本尊の仏像は、国の重要文化財で「銅造釈迦如来坐像」という名前ですが、飛鳥大仏の通称の方がよく知られていますね。

飛鳥寺の境内を抜けた西側100mほどの所にあるのが入鹿の首塚。

学校では「大化の改新」と教わりましたが、今は乙巳の変(いっしのへん)と云うようですね! 

後の天智天皇=中大兄皇子や中臣鎌足らのクーデターによって、当時の権力者であった蘇我の入鹿が伝飛鳥板蓋宮で暗殺され、その切り落とされた首が、おおよそ600メートル北にある五輪塔の地まで飛んできました。

後の人々が入鹿の怨念を封ために建てられたとされるのが、入鹿の首塚の命名由来とありました。



五輪の石塔のバックは甘樫丘(あまかしのおか)。




飛鳥路の旅の仕上げに寄ったのが、1972年に極彩色の壁画が発見されたことで高松塚古墳。

現在は壁画を保護するために、隣接する壁画館でレプリカを見るしかありませんが、四神図(青龍・白虎・朱雀・玄武)や人物像などが精緻な筆致で描かれています。



飛鳥路から戻ってくると、高架化工事を終えたJR奈良駅前には懐かしい昔の奈良駅舎が夕陽を浴びてお出迎え!



鉄筋コンクリート造・タイル張りに寺院風の瓦屋根がついた和洋折衷様式の旧駅舎は昭和9年の建築。
JR奈良駅の高架化などに伴って取り壊しが検討されたそうですが、住民らの保存運動で、市が保存活用することが決まり、曳き家で20mほど移動して観光案内所として リニューアルオープンしました。
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