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東大寺 二月堂 修二会

今日は啓蟄(けいちつ)。
冬ごもりの虫が穴からはい出てくるという意味で、春の到来を表すという日にしては、今日の東京は10℃を少しだけ超えたものの、風が強い一日でした。

1日から出かけた、奈良の「お水取り」の謂れなども少し書き足しました。 

東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、東大寺さんのHPによれば「752年(天平勝宝4年)に、東大寺を開山した良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟=実忠和尚(じっちゅうかしょう)によって始められたと伝えられます」

以来一度も途絶えることなく続けられ、1257回目となった今年も、3月1日には(私も含めて)8000人の人びとが見守る中、粛々とかつ豪壮に本行が始められました。

本行というのも、そもそも修二会というのは、十一面神咒心経(しんじゅしんぎょう)というお経に基づき、その本尊である十一面観音の前で全ての罪や過ちを懺悔すること。
これにあたる11人の練行衆(参篭、おこもりする修行僧)が、私たちに代わって本尊に個人だけでなく国家や社会が犯した全ての罪や過ちを懺悔し罪障の消滅とともに仏の加護を願うという、「悔過を行い国家の隆昌を祈る一連の行」を指すんだそうです。

説明があまりに長くなるので詳細は省きますが、およそ20mほどの高さのある二月堂の回廊を、7~8mの長さの孟宗竹に括りつけられた大松明を抱えて、走り抜ける様は一見の価値があります。


(写真は前に行ったときのもの。当日は中段に柵が設けられ、お堂の直下には入れません)

写真左手の渡り廊下の下のお堂の前には、奉納された大松明となるすごく太い孟宗竹が並べられていて、寄進をした方の名前などが書かれていました。



午後7時過ぎ、加供(かく)と呼ばれる堂司(どうつかさ=法会進行の監督責任者)の助手が、チョロ松明という小さな松明を持って、言わば水先案内人のように、練行衆と松明を点火したり回廊で振り回したりする童子(どうじ)さんを堂上へ導きます。



童子さんによって、微妙にパフォーマンスは異なりますが、下から見上げる私たちの上に松明を突き出したり、あるいは、次の写真のように回廊の手摺りの上を転がしたりしながら、進んでいきます。




この間、お堂の中では歌舞伎の附打ち(チョ~ン・チョン・チョンチョンチョンチョン・・・・っていうあれ)のようなテンポで、ダン・ダン・ダン・ダン・ダダダダ・・・と、下駄で床を踏み鳴らす音がこだましてきます。



最後は、まさに滝のような火の粉!

俗に、この火の粉を浴びると一年無病息災で過ごせると言われています(東大寺さんは公式にはコメントしていません)が、ホントそんな気にさせるお水取りでした。
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