このゴールデン・ウイーク。
縁あって、宮沢賢治ゆかりの地を訪れました。
縁あって、宮沢賢治ゆかりの地を訪れました。
恥ずかしながら
宮沢賢治というと
アニメ銀河鉄道999の原作者
雨にもマケズを手帳に書き残した人
幼少時に読んだ
セロ弾きのゴーシュや
注文の多い店の作者
岩手の学校の先生だった方
農業家
宗教や宇宙規模の思想家位の知識しかありませんでした。
特に、最後の思想家というか哲学者というか、その部分はほとんど知識もありませんでした。
特に、最後の思想家というか哲学者というか、その部分はほとんど知識もありませんでした。
今回、訪れた所に記念館があり
そこに多くの書物などが展示
解説されていました。
1933年9月11日に教え子に宛てた最後の手紙と言われているもの。
記念館は写真撮影が許可されています。
その一部の抜粋を。
(前略)
僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かゞが空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たゞだもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病うれいもだえやまいを得るといったやうな順序です。
あなたは賢いしかういふ過あやまりはなさらないでせうが、しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい。風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均ひとしいものです。そんなことはもう人間の当然の権利だなどといふやうな考えでは、本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。
どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。いろいろ生意気なことを書きました。病苦に免じて赦して下さい。それでも今年は心配したやうでなしに作もよくて実にお互たがい心強いではありませんか。また書きます。
亡くなる10日前の手紙・・
37歳、結核でした。
風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均ひとしいものです。
当たり前のことが
出来なくなる・・
普通にやっていたことが
死の前には神業にも等しいと。
どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。
生きる姿勢・・
本当にそうだなあと思います。
初めて読んだ
この最後の手紙
しばし、足が動きませんでした。
考えさせられることが多く、
本当によいお休みを頂きました。
若くして亡くなった宮沢賢治の最後の手紙…
心に響きました💓
有難うございました🍀
ブログをお読みくださり、そして、コメントを頂き、感謝で一杯です!
温かな言葉のお陰で、改めて、書いて良かったと感じます。
こちらこそ、ありがとうございました!!
aruga
それからずっとずっと考えています。
彼女は、食道がんと1年前に診断されていたそうです。治療の甲斐なく具合がどんどん悪化する中でも、彼女は、私達にはガンであること、最後には余命3ヶ月と宣告されたことも隠したままずっと仕事を続けていました。
最後の一ヶ月は、歩くこともままならなくなっていたのに、それでも仕事を続けていたので、私はなんで彼女がそこまでして仕事にくるのか理解してあげることができませんでした。アレルギーと誤魔化していたけど時々私の横で密かに涙を流していました(今思えば)。
彼女はなんで何も言ってくれなかったのか…悔しかったのでしょうか?意地でしょうか?同情されたくなかったのでしょうか?
つい一ヶ月前まで一緒に仕事をしていたのに何も知らされないまま、お礼もお別れも言えないまま逝ってしまいました。
賢治の手紙を読んで、彼女の気持ちのほんの少しだけ理解できた気がしました。
あの涙は当たり前と思っていたことが出来ない無念さ?
だから私は、今の当たり前を有り難く感謝して生きていかなければいけないと改めて思いました。
苦しみも喜びも、
彼女にはもう味わうことができないのですから。
先生、いつもありがたいお話を投稿してくださり感謝しています。
私の最期は、人の気持ちに寄り添って治療をしてくれる先生のような方にお世話になれたらいいなぁといつも思っております。
大切な記憶を分かち合ってくださり、本当にありがとうございます。
職場の同僚の急な死の情報・・大変な喪失感だったのではないかと思いをはせています。
何人かの患者さんに尋ねたことがあります。
職場の仲間には伝えないのですか?と。
複数の方が、本当に理解してもらうには時間とエネルギーが沢山必要で、その余裕はなくて、何となくそのまま過ぎていると話してくれました。
同情はしてほしくない、可哀そうな人ではない、この悲しみや重荷を、ありのまま、そして、過不足なく、理解してもらうことはできないものだと思うし、自分が逆の立場でも無理だと思う。そんな負担をかけたくない、そんな気持ちも混ざっていると・・
がん患者さんは最期の1か月急激に症状が変化していきます。伝える機会をとらえきれなかったのかもしれません。
sasukechanさんが、こうして想い、悩み、感じようとしてくれていることは、ご友人のいのちはsasukechanさんの中に生き続けているということではないでしょうか。
時や場を共にした人々は、通りすぎるだけではなく、私たちの人生を本当に豊かにしてくれるものだなあと感じます。
ありがたいことですね。
sasukechanさんのコメントを読んで、私だけではなく、多くの方が色々感じ、考えを巡らしていることでしょう。
大切なことを思い起こさせてくださったコメントに、心から感謝です。ありがとうございました。
aruga
賢治は妹が亡くなった時の詩「永訣の朝」も泣けますが、自分以外の死と自分自身の死とでは受け止め方が異なったでしょうね・・
緩和ケア医さまの受け止め方も、ほかの方とは異なるものがあっただろうなと推さついたしました💎🍀
コメント、ありがとうございます!
自分の死と姉妹兄弟や配偶者の死を思い描いても違うことは感じることができるように、二人称の死と一人称の死は大変大きく違うものなのです。
生命といのちの違いのようなものを感じます。
宮沢賢治ファンでいらっしゃるのですね!
花巻は、宮沢賢治で今もにぎわっているといっても過言ではない位、街を上げて盛り上がっていました。
ぜひ、ぜひ、一度!
aruga