「CV自己抜去」に、コメントありがとうございました。
頂いたその日の内に、返信することができず申し訳ありません。
返信に共通する事項があり、ここにアップさせていただきました。
ERIYさん
苦痛が取りきれない場合、うつらうつらしながら辛い時間を乗り越える調整は本当に大切ですね。
患者さんからの「ありがとう」という言葉は、なさってきた医療が患者さんにとって肯定的なものだったからこそ出てきたものだと感じます。
日本緩和医療学会からだされているガイドラインをご参考までに。
鎮静のガイドライン
ぴょんさん
患者さんのご家族の立場でのコメントありがとうございました。
>よかったと思える部分が多かった
こんな風に思えることがとても大切なことだと思いました。
atusatoさん
鎮静について悩むとき、必ず立ち止まるのが、自分達のための鎮静になっていないだろうかという点です。atusatoさんのコメントを読ませて頂くと、いつも、「ああ、同じ方向を向いていらっしゃる方だ・・」と私は感じるのです。
春野ことり先生
生死の狭間の人々に先生ご自身がかかわっていらっしゃるからこそ、最良の医療、最善の医療を模索するということが、本当に難しいと感じられるのだと思います。治せる治療以上に、治せないケアはエネルギーを沢山使いますね。
アビシニアンさん
10人いると10人とも異なる最期であり、異なる時間の過ごし方が必要なのだと思います。知ってもらいたい医療者と書いてくださって本当にありがとうございます。
レンコンさん
現実、孤独な方が増えてくる中で、医療者ができることはなんなのだろうかと立ち止まることもあります。そのような中においても、緩和ケアの原点である、一人で逝かない様な配慮を心がけていらっしゃるとのこと。その姿勢に、改めて感じ入りました。
涙が出そうになりましたと言っていただけるような場面が稀ではない、自分の環境に、心から感謝しています。
患者さんに、医療者が絶対とってはいけない態度は
「無関心」だと思っています。
辛いという言葉にアンテナを向けなかったり
部屋に足を運ばなくなったり・・・
私たちができることは、ほんのわずかな事です。
また、鎮静のように、大変難しいことが沢山あります。
力の限界を感じます。
しかし、何もできないかもしれないけれど
悩み、迷い、心を砕きながら傍にいたということ・・
無関心な医療者ではなかったこと・・
このことが、大切だと思うのです。
どのような結論を出したかというより
そこにいたるプロセスを
患者・家族、医療者が、ともにたどり
コンセンサスを得ながら
その人のための一つの道を見出していこうとすること・・
これにつきるのではないかと思うこの頃です。
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以前、とある地方の講演で先生に「モルヒネでセデーションすることはどうなのか?」と質問したことがあります。とても、とんちんかな質問で先生もすこし戸惑っていたようで、いま思い出しても赤面ものなのですが、これは僕がどうしても聞きたかった質問でした。会場に同じ施設の医療者もいたので、直接的な言葉は避ける必要があったのでなおさら苦しい質問になってしまいました(...わかりますよね)。先生は「鎮痛目的のオピオイドと、セデーションは明確に区別するべきだ」とお答えになりました。もちろん、ガイドラインにもオピオイドによるセデーションはどこにも書いてありません。質問すること自体で勉強不足が露見してしまうわけで、「ガイドラインを見てください」と一言ですまされるかなぁと、少々不安だったのですが、先生は丁寧にくわしくお答えをくださいました。この場を借りて、感謝です。先生のスライドの中に、「現場で遭遇する例」として、NSAID's→オピオイド除法剤→デュロテップパッチ→モルヒネ持続静注、鎮静? というのがありました。実際、よく目にするパターンです。医療関係者の中には、緩和ケア = 除痛不十分な場合は、モルヒネ持続静注を開始して、どんどん量を増やしていって「眠るように亡くなる→患者も家族も苦しまない」という図式がひょっとしたら、あるのではないかと(これだけは、本当に個人的に僕の頭の中だけで)ずうっと思っていました。誰のための緩和ケアか?、誰のためのレスキューか?、誰のための鎮静か?、というこの3つがいつも付きまといます。「じゃあ、モルヒネでセデーションして何が悪いの?耐えがたい苦痛を感じさせることの方が罪悪なのでは?」と(もし、万が一)言われたら、なんと答えるべきか、今でも悩みつづけています。できることならこの場を借りて質問です。すみません。
もちろん、ケースバイケースで、ほかのあらゆる症状緩和が必要なのは、わかっています。
疼痛緩和の延長で、結果としてセデーションになってしまうこともあるかと思います。ただ、そこに「疼痛緩和=積極的安楽死」という妙な考えが芽生えてしまうのが怖いのです。
最後の最後は、鎮静ということになり、そこで、「誰のための鎮静なのか?」という命題にぶつかります。
除痛不十分な場合は、自分の責任を強くかんじます。最近では、オクトレオチドやステロイドの処方も考慮していただいていますが...
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どのような結論を出したかというより
そこにいたるプロセスを
患者・家族、医療者が、ともにたどり
コンセンサスを得ながら
その人のための一つの道を見出していこうとすること・・
これにつきる
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肝に銘じます。
拙い文章ですみません。
主人の身近な人とでさえ、途中経過を大事にしてくれる人と、大事にしてくれていない人がいます。
一つ一つ、丁寧に・・・。患者の家族サイドも、キチンと向き合いたい。そう、思います。
アビシニアンさん、オピオイドで鎮静することはありません。オピオイドでセデーションがかかってしまう状態はConsequential Sedation(CS)と呼びます。Palliative Sedationとは区別して考えなくてはなりません。それからPalliative Sedation(PS)とPhysician-Assisted Suicide(PAS)もはっきり区別しなければなりません。この3つの概念の境界を明確にできない場合はかなり危険ですよ。Oxford のPalliative Medicine に詳しく載っているので、ご購読を勧めます。しかしながら、勉強不足が露見すると分かっていても質問する勇気、今も疑問を追及する態度を尊敬します。Palliative Sedationに関する論議は奥が深い(けれでもPrinciple はひとつ)のでここには書ききれませんが、いつかお話ができるとよいですね。
有賀先生、
一年間、連載を書いている“がん患者ケア”(7.8月号)に連載の最終回としてPalliative Sedationを書く予定で下書きをしていました。タイムリーな内容で毎回楽しませてもらいました。私の原稿、時間があったら是非読んでみてくださいね。
テレビの影響で“安らかに眠るように死ぬ”とか“愛しているよ”と言って息を引き取るなど、ハリウッドデスが当たり前のように思われたり、CS,PS,PASの違いが良く分からない医療者が必要なステップをたどらず、PSをかけたりなど、“緩和”の名の下にグレーなエリアの中で明確なプランもなくPSが行われる危惧を感じています。先生のように、立ち止まって時間をかけて臨床をされていることを“そう!そうなんです!”と同感せずにはいられません。種まきをしっかりしてこの花を日本中に咲かせてくださいね!
と・・疑問が・・
CS, PS, PASとは何の略になりますか。
ちなみに、日本では、これらは、IT関連用語を連想します。
がん患者ケアという雑誌があるのですね。看護師さんに聞いてみます・・
知らないことだらけでした。。
Palliative Sedation(PS)
Physician-Assisted Suicide(PAS)
です。私のブログでちょっと触れているので、トラックバックしておきました。がん患者ケアにはもっと詳しく書く予定なので、そちらを楽しみにしていてください。