新しい年が始まりました。
この年の変わりに、
胸にぐっときた言葉・・
「選択なしの人生はありえない。
(選択で人生が決まるのではなく、)
選択した道がその人を育てていくものだ。」
(あるサイトには、
「人が道を選択すると、道が人を育ててくれる。」
と訳してありました)
人生で選択しなくてはいけない時点に立った時、
どれを選べば自分は幸せになれるだろうって、
必死に思い悩んだことを思い出します。
〇〇だから、こっちがいいはず・・
いやいや、〇〇の方が人気があるし。
〇〇にすると失敗した時に打撃がすくないか・・
人生の選択とは、
結果が分かっている道を
くじを引くような気持ちで
見てしまっていたように思います。
でも、そうじゃない・・
選んだ道は、
そのプロセスにおいて
実は、自分を変え、
その道にアジャストするように
変化(成長?)していくものなのかもしれません。
また、自分が道を彩り、
選んだ後から道の行き先も
変わっているのかもしれません。
一先ず、
選んだ道や与えられた道を
じっくりと味わい、
歩みを止めないで進んでみる・・
つまり、
そこで頑張ってみることは
大切なことのように思います。
この言葉を知って、
ふと、昔を思い出しました。
あの時、あの道を選んでいたら、
自分はどのような人生を歩んでいただろう・・
あの道を選んでいたら、
今の自分はいないのだろうと思います。
偶然の必然だったのだろうと。
逃げの選択であれば、違う場所でもいずれ同じ結果に苦しむだろう、それでも、自分は逃げているのではないと信じて進み、小さな成長ですが今があると思っています。
素敵な言葉に、心が温かくなりました。
選択した道にたくさんの人や出来事があって、
どれを行っても人は育てられるんですね。
最近、職場の解散と再編成で様々な道が生まれました。
やむを得ない状況に立っても、あの時こうだったらと思い過ぎるのは勿体ないな、と感じました…ありがとうございます。
私は子供のころから転勤族だったので、この終の棲家に治まるまで、20回引っ越しました。子供の頃には不本意な引越しだと思ったこともありましたけど、今還暦を超えた所で、思い返すと、環境や境遇は選ぶことができなかったけれど、生き方はやっぱり自分で選んできたなぁと思えるのです。越した先々でいい方たちと巡り合い、料理の達人には、お料理を、器用で色彩感覚に優れた方にはパッチワークを、山ガールには登山や、スキーの楽しさを......。
素敵な出会いは転居の賜で、私の人生を豊かにしてくれたと思っています。
若くして逝った友人からは最後まで前向きに生きることの大切さ、尊さを学びました。命日のたびに彼女に恥ずかしくない生き方ができたかと反省するのですが、彼女のように生きるのにはまだまだ時間がかかりそうですが......。
偶然の必然。いいお言葉をありがとうございました。
生きている限り、何かしらを選択しなければならない場面はたくさんあります。
失敗を恐れるあまり選択ができず歩みを止めてしまうこともあります。
本当のところはわかりませんが
今、私の大事な人も自分に自信をなくし、歩みを止めてしまったのではないかと心配している人がいます。
「選択した道が人を育ててくれる」
これまでの自分から変わるには、ゆっくりでいいから歩んでみること
それが、その人に先生のこの記事から伝わってくれるとうれしく思います。
もしその人がゆっくりと歩み始めたら、私は隣で寄り添っていきたいと思ってます。
緩和ケアの仕事に携わったことで、先生のこのブログに出会ったこと、今回の記事に出会ったこと、とても感謝します。
その大事な人と出会えたことが、私にとって人生の選択の結果であり、偶然の必然だったのかなと思います。
わたしも、職場を異動するたびに自問しました。同じだなあと思うと、きみさんを身近に感じられました。肯定的な異動って本当に大切なことだと感じます。
コメント、ありがとうございました。
患者さんたちが、取り戻せない”もし”にとらわれないために、先を予測する力をつけるって、緩和ケア領域では大切だなあと、改めて、頂いたコメントを読みながら、感じました。
コメント、ありがとうございました。
その道で通り過ぎてきた中に、沢山の素敵なことを発見なさっていることに、Happinessを感じました。
コメント、ありがとうございます。多くの方が、意識していなかったことを、そうそう・・自分もそうだなって思われたのではないでしょうか。
でも、そこに、ともに歩んでくれる人の存在は、大きな力だなあって感じます。
そんな関係性の中に、このブログを加えてくださり、ありがとうございます。熟していきますように、祈りつつ・・