プロメテウスの政治経済コラム

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小沢氏の「政権交代」執念  「歴史は繰り返す」「一度は悲劇として、二度目は茶番として」

2010-02-15 21:06:32 | 政治経済
昨年の西松建設献金疑惑のときは、民主党代表を辞任した小沢氏。今回の陸山会土地購入資金疑惑では、幹事長を辞任する気は毛頭ないようだ。「自民党を離党して16年目でやっと目標の第一歩を達成した。まだまだしなければならないことがたくさんある」と執念を見せている(「しんぶん赤旗」2010年2月14日)。
小沢氏は1991年、彼自身が露骨に介入した東京都知事選挙において、磯村候補が敗れて鈴木知事が4選を果たした後、その責任をとるかたちで自民党幹事長を辞任し、1993年、その自民党を割って出て「政権交代」を目指すことになった。この年の2月に小沢氏は、竹下元首相とともに、佐川急便事件で衆院予算委の証人喚問を受けた。このころの小沢氏は、田中・竹下・金丸金権派閥のプリンスであった。93年8月、自民党政権に代わって細川・非自民6党連立政権が成立する。細川政権の名実ともに中心にすわったのは、小沢氏であった。小沢氏にとっての一度目の「政権交代」であった

 小沢幹事長は13日、自らが主宰する「小沢一郎政治塾」で講演し、民主党政権の長期化に強い意欲を表明した。資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件には触れず、小沢氏の側近養成所ともいえる同塾で、夏の参院選での勝利に向けた戦闘開始を宣言した格好だ(「読売」2010年2月13日)。小沢氏は「政権交代で、自民党はメルトダウンし、政党の体をなしていない状況になった。当面は試行錯誤を重ねながら民主党が政治を担っていく以外にない」と「政権交代」の足固めに強い意欲を示した。今回の「政権交代」は、小沢氏にとって、そして日本国民にとっても、二度目である。
マルクスは、『ルイ・ボナパルトのブリュメール 18 日』で、「ヘーゲルはどこかで言っている。あらゆる世界史上の偉大な出来事と人物は言わば二度現れると。彼はこう付け加えるのを忘れていた。『一度目は悲劇として、二度目は茶番劇として』」と書いている。
今回の「政権交代」が「茶番」に終わるかどうかはまだわからない

 第一回目の「政権交代」は小沢氏にとって、たしかに悲劇に終わった。
自民党の長期一党支配による金権腐敗は底なしであり、バブル崩壊による閉塞感をもつ当時の国民は、大マスコミがこぞって小沢「政治改革」や非自民による「政権交代」を煽ったこともあって、細川非自民・非共産の連立政権の成立を熱狂的に迎えた。このときマスコミが「政権交代」にどうかかわったかについて、テレビ朝日報道局長“椿貞良”氏がその真相を赤裸々に語っている「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」「共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」。椿発言にも出てくるように、90年代前半期の政治の主人公は、明らかに小沢氏であった。

 このとき、小沢氏は「政治改革」で何を目指したのか。もちろん政治腐敗に縁を切る「政治改革」などでない。当時の非自民連立政権(細川政権)がやったのは政党助成金と小選挙区制の導入であった。小沢氏は、日本の支配構造の再編という時代の要請を受けて、「自民党政治の限界」の打破を目指したのだ
「自民党政治の限界」とはなにか90年代に入って日本企業が本格的に多国籍化し、グローバル競争に晒されるようになって、中選挙区制のもとでのボトムアップによる利益誘導・開発型の自民党政治が足かせとなったということである。多国籍企業の進出国での利権を守るためには、60年安保闘争以降の対米依存・軍事小国・経済成果配分主義の旧い自民党政治は、支配体制の改変にとって大きな障害物となった
この支配階級の要求に応えようとしたのが、小沢一郎だった。

 しかし、小沢氏は、政党助成金と小選挙区制の導入(自民党的派閥政治の打破、党中央集権化)には成功したが、その後の政治の主役にはなれなかった。大久保利通にひかれ、西郷のようなカリスマを担いで彼自身が裏からそれを指導しながら多国籍企業本位の強権的「政治改革」を実現することを夢見たのだろうが、新自由主義、軍事大国化を掲げて自民党に対抗する二大政党制を創ることには失敗した。小沢氏の力は、新進党が96年総選挙で敗れたあたりから急速に減退した。
支配層の期待は、小沢氏率いる新しい政党が、より急進的な改革の党となり、自民党がより漸進的な都市自営業や農村部の利益を重視する党として、その両方がバランスをとりながら軍事大国化をすすめることであった。しかし、その任務を推進する実行部隊の役割を担ったのは、小沢新党ではなく、結局、小泉「自民党」だった

 こうして見てくると、苦節16年、小沢氏が今回の「政権交代」にかける意気込みはよく理解できる。小沢氏自身が金権政治の渦中にある状況も93年とよく似ている。ただ当時とまったく違っているのは、新自由主義「構造改革」の破綻が誰の眼にも明らかになっていることだ。かつて、「構造改革」の旗手であった小沢氏が、選挙に勝つためには、反構造改革のポーズをとり、旧い自民党的な利益誘導型政治もやる。それでいて目指すは、新自由主義的な強権国家であることは一貫している今回の「政権交代」が「茶番」に終わるかどうかはまだわからない。この夏の参院選挙における国民の選択にかかっているのだ。もはや国民は、政治の中身を問わない「政権交代」には騙されないだろう。

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