プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

「武器輸出三原則」防衛相の見直し発言  改めて考える「憲法の力」とはなにか

2010-02-13 18:51:19 | 政治経済
海外への武器輸出を禁じた「武器輸出三原則」について北沢俊美防衛相が「見直し」発言を繰り返している。内閣法制局長官を政府特別補佐人から除くことによって、憲法9条は「武力行使」や「集団的自衛権行使」を禁止するとの解釈を示してきた内閣法制局の長官答弁を禁止することで、憲法9条の解釈改憲を拡大しようとする策動も本格化している。昨今の派遣労働者などの生活実態をみると、憲法25条はとっくの昔に蹂躙され無力化しているのではないかという疑問も沸く。憲法9条と25条という二つの条文は、日本国憲法を象徴するような地位を占めているだけではなく、現代日本社会の二大問題である「戦争と貧困」をなくす決定的な位置を占めている。しかし、憲法にいくらすばらしいことが書いてあっても、黙っていては何の力にもならない(渡辺治『憲法9条と25条・その力と可能性』かもがわ出版2009)。改めて「憲法の力」とは何かを考えてみたい

 北沢防衛相が武器輸出三原則の「見直し」発言を繰り返していることにつて、安全保障問題に詳しい元政府高官は、「北沢さんの発言は、経団連の提言の影響を受けているよ。(民主党政府は)財界の支持も取り付けないといけないわけだから」と語る(「しんぶん赤旗」2010年2月13日)。
たしかに、北沢防衛相が再三、見直しを示唆する発言を繰り返す背景には、ここ数年来続いている日本の軍需産業による強い要求がある。麻生自公政権下の昨年7月、日本経団連は「わが国の防衛産業政策の確立に向けた提言」を発表し、「武器輸出三原則等を見直すべき」だと明記した。今年1月21日には、北沢防衛相が主催して軍需産業のトップとの懇談会が都内で開かれ、企業側からは三菱重工、川崎重工などの会長、社長ら17社が出席。「武器輸出三原則の見直し」を提起したのに対し、北沢防衛相は「今日の議論は省内で検討したい。こうした意見交換は最低年1回は開きたい」と応えている(防衛省準広報紙「朝雲」1月28日付)。

 武器輸出三原則とは、1967年に当時の佐藤栄作首相が、(1)共産圏諸国(2)国連決議により武器等の輸出が禁止されている国(3)国際紛争当事国、その恐れのある国への武器輸出を認めないと表明。76年に政府統一見解として67年の三原則対象地域外への武器輸出も慎むとし、事実上、日本の他国への武器輸出が禁止となったものだ。日本の企業がつくる武器が他国民の命を奪うことがないというのも三原則を守っているからである。憲法9条をもつ国の誇るべき歴史である
自公政府は2004年に、ミサイル防衛に関する日米共同開発・生産に限って武器輸出三原則の適用除外とした。とはいえ、三原則がある以上、財界・軍需企業は武器を世界に輸出できない。武器輸出で儲けたい財界にとって、この原則は邪魔である。日本を紛争や戦争を助長する「死の商人」の国にする財界の企てを許すわけにはいかない。

 武器輸出三原則や非核三原則、自衛隊の海外派兵禁止や集団的自衛権行使の禁止、防衛費の対GNP比の量的制限、海外侵攻用兵器の保有禁止などの憲法9条を意識した政策は、憲法9条の条文から自動的に生み出されたものでは決してない。すべて、戦後、非戦の国民意識を背景とした、国民の世論と運動(恵庭裁判、長沼訴訟、砂川判決、60年安保闘争、ベトナム反戦運動などなど)があり、国会における野党の追及があってのことだ。憲法を毎日読んで、学習をしたところで、それだけで憲法の崇高な理念が日本の社会に実現するというわけではない。つまり、憲法にどんなにすばらしいことが書いてあっても、私たちが黙って座っていては、その憲法規範が社会の中に貫徹し、規制力を発揮することはないということだ(渡辺治 同上)。

 それでは憲法にどんなにすばらしいことがあっても何の役にもたたないのか、何の力もないのか、といえば、そんなことはない。憲法は現状を変えようと立ち上がるものには大きな武器となるのだ市民が、もし自分たちが置かれた不平等な状態、自分の不満足な状態に泣き寝入りせず、それを改善するために立ち上がる決意をしたとき、日本国憲法の力ははじめてはっきするのだ
そして、市民たちが憲法を武器にして立ち上がり、その市民の憲法上の権利が裁判などにおいて認められた場合に、まずは、その恩恵は、憲法裁判に勝利した市民個人に与えられる。しかし、立ち上がって得られた成果は、単に立ち上がった市民だけではなく、立ち上がらなかった広範な人々にも及ぶのだ(渡辺治 同上)。


 憲法9条は政府にやらせてはならないという禁止規定であり、25条は政府にやらせなければならないという義務規定の違いがあるが、憲法を現実の力とするためには、すなわち9条や25条の理念に基づいた社会をつくるためには、改憲を阻止するだけではなく、政治を変えることが不可欠である。つまり、憲法の理念を実現する政府をつくるということだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。