プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

「蟻の兵隊」 敗戦後3年間も戦闘を続けた帝国陸軍兵士

2006-08-07 19:22:22 | 政治経済
池谷薫監督のドキュメンタリー映画「蟻の兵隊」を観た。戦争の現実についてまだまだ勉強することが多いことに衝撃を受けました。戦争のなかであった現実をひとつひとつ学び「侵略戦争の被害者/加害者」の実相を真に総括できたとき、アジアの人々と「歴史認識」の共有について語ることができるのでしょう。

映画の主題はいわゆる「中国・山西省残留の日本兵問題」です。1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、敗北、軍隊は武装解除され、日本に帰還しました。ところが、中国・山西省にいた日本軍のうち約二千六百人は上官の命令により、武装したまま内戦中の国民党軍(閻(えん)錫山(しゃくざん)の第二戦区軍)に編入、人民解放軍(八路軍)と戦うことになりました。その結果、戦死者550人にのぼり、700人以上が捕虜として抑留されました。10年余分に中国に残留することになったのです。

1954年、ようやく抑留から解放され故郷の新潟に戻った映画の主人公・奥村和一さんは、終戦翌年にすでに軍籍が抹消されていたという事実を知り衝撃を受けます。残留兵たちは、「現地除隊」のうえ勝手に志願して国民党軍の傭兵になったというのです。
奥村さんは自分たちがなぜ残留させられたのか、その真相を追及するため中国訪問を決意します。山西省の公文書館でついに目にした残留部隊総隊長の命令書。奥村さんは当時の第一軍司令官・澄田睐四郎と閻錫山とが交わした密約の証拠を探し求めます。しかし、中国の関係者は、密約の事実は明らかだが、文書の証拠はいまとなっては、難しいといいます。

国民政府から戦犯指名を受けていた澄田軍司令官は部下兵士の犠牲を承知の上でかつての敵将・閻錫山の総顧問に就任し、部下は陸軍再興・祖国復興を信じて(アメリカには負けたが中国との戦争は続いていると考えた)、国の存続をかけて、純粋に国の悠久の大義のために戦ったのです。自らの戦犯逃れを欲した澄田中将と八路軍との戦いに日本軍の戦力を欲した閻錫山は利害が一致していました。

1949年2月、太原陥落の直前に、澄田軍司令官は、多くの将兵を残して、閻錫山の助けをうけて飛行機で脱出し、日本に帰国します。結局戦犯となることを免れました。
「現地除隊」の不当性を訴え、軍籍回復(軍人恩給、戦死者遺族扶助料)を求めた訴えは2005年9月最高裁公訴棄却となりました。

ここでは、「蟻の兵隊」は兵を消耗品としかみない帝国軍指導部の犠牲者です。軍が一般国民を犠牲にして自己の保身に走った話は沖縄など無数にあります。しかし、映画は単純に奥村さんを犠牲者としては扱っていません。

奥村さんは初年兵のとき、「肝試し」として初めて中国人を刺殺した場所・寧武を訪ねます。刺殺したとき、自分は怖くて周りを見ることができなかった、誰か見ていた人はいないかということです。深く戦争を反省し、自分の罪を確認したかったのでしょう。そこで、奥村さんは、自分たちが殺したのは、日本軍が管理している炭坑の警備隊員で、共産党軍が攻めてくると抵抗しないで逃げた人々だったということを知ります。このとき、柔和な奥村さんの顔が突然帝国陸軍兵の顔に変わるのをカメラはドキュメンタリーですから、思わずはっきりと捉えます。敵なら殺す、敵に内通しているかもしれない者も殺して当然、という当時の意識が蘇って、あとで深く後悔するのです。旧軍の密約を告発するためにはじめた旅は、小さな場面が重なって、日本兵が中国でなにをしたか―自分たち自身の罪を白日のもとにさらす旅となりました。

「自分の罪と真剣に向き合う奥村さんが美しく、その真剣さを大きく受けとめる中国の人々がさらに美しい」(映画評論家・佐藤忠男)
池谷薫監督は、最後に靖国神社の祭礼を映しながら、反省など誰がするものかと言わんばかりの人々がいまなお日本に多くいることも忘れていません。


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