プロメテウスの政治経済コラム

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公務員法案 閣議決定見送り  公務員バッシングが一般受けするのはなぜか

2010-02-12 21:08:13 | 政治経済
政府は12日午前の閣議で、当初予定していた国家公務員法改正案の決定を見送った。法案は中央府省の幹部人事を一元管理する「内閣人事局」を内閣官房に設置するのが柱だが、関係者によると、原口一博総務相が法案の内容に異論を唱えたのを受けて、仙谷由人国家戦略担当相の判断で再調整することにしたという(共同通信2010/02/12 12:08 )。日本の公務員は欧米と比べても決して多くない。人口千人あたりでフランス88・8人、アメリカ78・2人に対し、日本は32・0人と半分以下である(「しんぶん赤旗」2009年8月29日)。それでも、なぜか日本では、公務員をバッシングすると一般受けする。「官僚主導の政治が、日本の政治をだめにしている」という民主党のスローガンは、今日の時点で日本を支配しているのは誰かという政治変革の核心を国民の眼からそらせるという役割を果たしているのだが、国民の中には反官僚の意識が強いので、このスローガンは人気がある多くの国民は、公務員が有難い存在であるという経験をほとんど持たない。これは、戦前から一貫する日本の歴史とかかわっている

 公務員は、国民全体の奉仕者として特定の利害や政治的圧力を排除し、公正中立に職務を行えるよう法令で身分が保障されている。また労働三権が制限されているので、人事行政は政治に左右されるのを防ぐため、一般行政から独立した人事院がある。これを政治主導の名のもとに、政権党(とその背後にいる財界)いいなりの公務員としてより使いやすいように変えるのが公務員制度改革の狙いである。その端的な事例としては民主党のいう「次官を部長に2段階降格できるようにする」というようなことである。今回、法案の閣議決定が見送りになったのは、降格の法的要件について閣内で意見の対立があったからだという。

 反官僚の議論は、自民党政治のもとでつくられた政・官・業の癒着構造を改革するのであれば意味がある。しかし、いま公務員制度改革で狙われているのは、旧い自民党の田中角栄型土建国家を再編し、多国籍大企業本位の新自由主義国家体制の形成を支える公務員づくりである。「官民の人材交流を推進する」「官民の人材の流動性をたかめる」ということで、新たな「官民癒着」が狙われている。
「反官僚」で世論操作することは、いま国民生活が困難に陥っているのは、ダムや道路にお金を使っているからだという批判となり、真の原因である「構造改革政治」に向かうべき批判をそらす役割を果たす。構造改革政治の黒幕である多国籍大企業に批判が向かわないという意味で、官僚を攻撃しているうちは、いわば安全である

 日本では、なぜ「反官僚」が世論の支持を得られ、政治が動くのか。
渡辺治・一橋大大学院教授は「官僚主導の政治が、日本の政治をだめにしている」という観念は、戦後というより日本近代の、開発型国家に対する国民、とりわけ都市部中間層の反発と日本の近代主義的な知識人の共通の合意となっているからだという(『季刊自治と分権』no.38のWインタビューでの発言)。
今回の政権交代と民主党政権の成立を、新自由主義の害悪に対する国民の怒りの爆発として捉えるのではなく、日本の上からの家父長的な開発型発展、まさに『官僚たちの夏』が象徴するような経済発展のあり方を覆し、真の自由主義的な体制への変革と捉え、明治維新以来百年以上にわたる上からの近代化、それを領導した官僚体制の転覆と捉えるのは、まさしくそのような考え方の表明である。

 確かに、戦前の天皇制国家においては主敵は官僚だったが、戦後においては敵は大企業と保守政党に変わった。それにもかかわらず、保守政党と財界が官僚を手足のように使いながら、政・財・官の連携による開発型体制で経済発展が進められたために、官僚体制が戦後も少しも変わっていないという近代主義的な観念が大都市部の中間層や知識人のなかに強固にあり、この観念が、日本で規制緩和を進め、政府の福祉国家型介入を切り捨てる新自由主義を「反官僚主導」として積極的に受け入れる素地をつくっている
民主党のマニフェストには、驚くべきことに、大企業という言葉、大企業の支配という点が一言もない。「構造改革」という言葉も一言もない。現代日本政治の惨状の原因は「コンクリートの政治」「官僚主導の政治」で、大企業の「だ」もないのだ。敵は完全に大企業ではなく、「官僚」にすり替えられている

 官僚を敵とする枠組みでいる限り、大企業への負担の見直しや民主的規制の強化という話には、なかなかならない。公務員が、自分たちの生活を助けてくれるという実感をもつためには、公務員の仕事の仕方が福祉国家型の方向に変わらなければならない。公務員の窓口での対応が、多くの場合、福祉や社会保障の切捨ての先頭に立たされているようでは、自分たちの生活の守り手とはなかなか実感できないだろう。不幸なことに、70年代の革新自治体時代を除いて、日本の国民は、福祉国家型の官僚組織のあり方を体験したことがないのだ

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