プロメテウスの政治経済コラム

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「抑止力」論に関する基礎的考察   問われる戦後世界の原点

2010-05-11 19:15:18 | 政治経済
普天間「移設」をめぐって「抑止力」論が脚光を浴びている。しかし、松竹伸幸さんも指摘するように、「抑止力」については、基礎的な概念が確立していない(”超左翼おじさんの挑戦”「抑止力の基礎 」)。
鳩山由紀夫首相は「米海兵隊の存在は、必ずしも抑止力として沖縄に存在する理由にならないと思っていた。学べば学ぶほど抑止力〔が必要と〕の思いに至った。〔認識が〕浅かったと言われれば、その通りかもしれない」と語った。
片や、日本共産党の赤嶺政賢議員は10日、衆院沖縄北方問題特別委員会で、沖縄・米軍普天間基地問題を取り上げ、鳩山首相が、同基地の県内「移設」受け入れを求める根拠としている「抑止力論」は欺瞞だとして、「海兵隊は、常時即応態勢をとり、ヘリや上陸舟艇で真っ先に相手陣地に上陸し拠点を確保する『殴りこみ部隊』である」、「こうした海兵隊がなぜ『わが国への侵略に対する抑止力』なのか」と真っ向から反論した
「海兵隊=抑止力」をめぐる議論のどちらが本当なのか。
 「抑止力」というのは、いざとなったらその軍事力を使うことが前提となっている概念であることについては、何人も異論がないであろう。しかし、戦後世界の「平和構築」は、そもそも軍事力を使うことを前提としていたのだろうか。今こそ問われなければならないのは、「平和構築」に関する戦後世界の原点である

 松竹伸幸さんによれば、これだけ騒がれていながら、「抑止力」は、ウィキペディアにだって出てこない、という。「核抑止」はあるけれど。
《アマゾンで文献を探してみても、同じである。「核抑止」をテーマにしたものはあるが、「抑止力」単独では存在しないようだ。以上のことから類推できるように、まず「核抑止」という言葉が生まれ、そこから「抑止」という概念も使われるようになったのだと思われる。だから、核抑止という言葉は、核兵器の誕生をもって使われ出した第2次大戦後の概念だが、抑止という言葉は、さらに時代が新しいということになる。基礎的な研究が必要なわけだ。
「強大な核兵器を保有することによって、相手国が自国を攻撃してきた場合、より重大な打撃を与える意思と能力があることを知らせ、そのことによって、相手国に攻撃を思いとどまらせる」。これが核抑止力というものの考え方である。だから、常識的に言えば、抑止力とは、ここにある核兵器を軍事力一般に言い換えたものということになるだろう。
「強大な軍事力を保有することによって、相手国が自国を攻撃してきた場合、より重大な打撃を与える意思と能力があることを知らせ、そのことによって、相手国に攻撃を思いとどまらせる」。》

 鳩山首相ら支配層の言う、そして米軍が日本に居ってくれるとなんとなく安心だと思っている国民の「抑止力」論は、おそらくこれだろう。ヨリ強大な軍事力を保有し、ヨリ凶暴な用心棒を抱えたら相手はビビルはずで、ヨリ安心というわけだ。凶暴な殴りこみ部隊である海兵隊が日本から居らなくなるとそれだけ安心度が下がるというわけだこの論でいくと、相手も軍事力を拡大強化すれば、それに負けじとヨリ強大な軍事力保有の衝動に駆られ、ついには、ヨリ強力な核兵器を何発も持たないと安心できないということになる。
軍事力で相手を脅しつける「抑止力」論は、安心度という主観を基準とするから、軍事力、用心棒は強大であればあるほどよいということになり、上限がない。

 そこで、起こりうる有事を具体的に想定して、それに対処できるだけの軍事「抑止力」論が出てくる。起こりうる有事の可能性が低ければ、むやみに軍事力を保有する必要もないし、凶暴な用心棒も不要ということになる。
共産党の赤嶺議員の議論は、中国や北朝鮮の側から日本に戦争をしかけてくるよりも、海兵隊の侵略力こそ危険であり、実際イラクやアフガニスタンへ殴りこんでいる”実績”をもつ海兵隊は、「日本の防衛」にとって有害無益なのだから、撤退せよ、ということである。
しかし、この「抑止力」論も起こりうる有事を被害妄想的に拡大していけば、保有する軍事力、抱える用心棒に際限がなくなる

 軍事力で相手を威嚇してびびらせる「抑止力」に頼っている限り、各国は軍事力を競い合い睨み合うことにならざるを得ない。しかし、戦後世界は、もうそんな戦争につながる危険な道はやめにしようということで、国連憲章を制定したはずではないのか。その精神を徹底した日本国憲法は、軍事を否定し、平和を愛する全世界の人びととの信頼関係で平和を創ろうとするものだ。仮想敵(有事)を想定して軍事同盟で相手を押さえ込むことで「平和」を保障するという安保条約は、憲法の思想と正反対である

憲法の思想を100%実現するには、まだ時間がかかるかもしれない。今問われているのは、戦後世界の原点に戻って、なにが賢明な選択であるかを、独立主権国家として真剣に考えることである。日本から海兵隊が撤退することが、日本の「平和」にとって本当に脅威なのか。「抑止力」論なるプロパガンダに惑わされているだけではないのか。漠然とした不安だけで、沖縄県民にこれ以上の犠牲を強いることができるのか

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