プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

ブラック会社  もう俺は限界かもしれない  上から下まで狂ってしまった日本資本主義

2009-12-07 20:34:01 | 政治経済

最近、公開された映画「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」が評判になっているという(私はまだ観ていない)。私の若い時代にも、○○会社は半殺し、XX会社は皆殺しなどと冗談半分で同窓生が集まると会社の悪口を言い合ったものである。しかし、当時は高度経済成長の時代。会社の上司にも、われわれ下っ端にも、どこか余裕があったように思う。今のように、人間関係が壊れてしまっていなかったのだと思う。いまの会社での下っ端イジメは度を超しているようだ。中間管理職も追い詰められ、完全に狂っている

 「ブラック会社」への入社は、一般企業に比べ比較的容易である。労働集約的な企業が多く、多くの人手を必要としている。また離職率が高いので、常に新人を募集し続けており、内定も早い。しかし入社後には厳しいノルマや長時間労働、人のやりたがらない・割に合わない仕事、理不尽な仕打ちが待ち、心身ともに疲弊し破綻をきたし、退職に追い込まれる。また経歴が汚れる為、その後の転職活動も不利になる。ブラック企業は人材を大量浪費し、食い潰す事によってのみ成り立つ、技能系のブルーカラーで言う本来の3Kと言う概念を超え、ホワイトカラー版3K職場とも言える事態ともなっている(『ウィキペディア(Wikipedia)』ブラック企業より)。

 国際労働者協会の第一回大会が、K・マルクスの創意で「工場法による労働日の制限」(今風に言えば、「労働基準法による一日の労働時間の制限」)について決議をしたのは、1866年のことだった。
<[工場法による]労働日の制限は、それなしにはいっそう進んだ改善や解放の試みがすべて失敗に終わらざるをえない先決条件である。それは労働者階級・・・の健康と体力を回復するためにも、また労働者階級に知的発達をとげ、社交や社会的・政治的活動にたずさわる可能性を保障するためにも、ぜひとも必要である。・・・われわれは8時間労働を一日の労働時間の法定の限度として提案する。>
それから、140年以上が経過して、いまなお工場法破りが横行しているのが、現代の日本資本主義である。

 私は会社をリタイアして最近は学習集会に参加する機会がよくあるが、若い人びとの参加は極めて稀である。いっそう進んだ改善や解放のために、最も学習して貰いたい若い人びとが長時間労働を強いられ、午後6時半からのスタートでは無理という。また休日の集会でも、心身ともに疲弊しきって、学習どころではないらしい。
労働時間の規制が守られず、無制限に働かされる場合には、労働者はほとんど奴隷と異ならない。しかも現代の奴隷労働者は、人格を否定する上司の怒声や時には暴力などの理不尽な仕打ちに苛まれている。その上司そのものがまた会社の成果主義に追い立てられているのだ。

 「しんぶん赤旗」2009年12月7日は、ブラック会社で働く若い労働者の実態をレポートしている
一部上場のIT企業会社員(25)の男性の場合――― <「携帯電話で日本一になりたい」と入社しました。1万人以上がエントリーする人気企業で、一人で何千万という予算を使う裁量権もあり、やりがいもあります。しかし、営業のノルマが厳しく、達成しないと土日も働かないといけません。11月末の3連休。旅行に行くというと上司は「やる気を感じないね」。同僚には「また遊んでるんですか」と言われました。
月初めの総括では「ノルマを達成できている人は土日も出勤している。達成していない人が来ていないのはいかがなものか」と役員がコメントします。残業代が出ないのに、深夜も土日も暗黙の了解で残業させられます。新人には、達成されないと上司が丸ぼうずになる、というペナルティーもありました。>

建築関係の上場企業元社員(一級建築士)の女性の場合――― <支店で作業する一級建築士は3人だけ。支店は年60億円の売り上げ目標があるので、1人年20億円分の仕事のノルマがあります。やりきれないほどの仕事があるのに、残業すると人事評価の点数がマイナスになります。残業は違う部署でしたり、持ち帰って深夜までやりました。もちろん残業代はありません。
営業は、月初めに「何億やります」と目標を宣言します。できないと毎朝の朝礼で「給料泥棒」とつめられ、3カ月目標を達成できないと、クロージングといって、支店長の前で泣きながら退職届を書かされます。>

 私たちプロレタリアートは、生産手段を持たないので、誰かに雇用されないと生きていけない。社会的規制が利かない資本の本性は、ブラック会社を蔓延させる。それでも私たちは働かなければならない。現代の不幸は、単に仕事がきついだけでなく、職場の人間関係がブラックになっているということだ
映画「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺(おれ)は限界かもしれない」の佐藤祐市監督は、脚本をつくる過程でスタッフと「ブラックな会社とは?」と繰り返し議論したという。「劣悪できつい仕事は、どの時代にもある。仕事とはやりがいであり、仲間がいることなんだと行き着いた」という(「中国新聞」2009年12月6日)。
今の私にできることは、しんどくなったら何と言われようと休むことだ、思い詰めることがあったら誰かれかまわずに愚痴をぶつけ、できれば仲間を増やすことだ、とアドバイスするぐらいである。


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