プロメテウスの政治経済コラム

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横須賀住民投票条例  自公・民主系が否決  主権者の意思を聞かない政治の退廃

2008-05-17 18:54:39 | 政治経済
横須賀市議会は16日、原子力空母の横須賀配備と安全性を問う住民投票条例案の採決を行い、日本共産党などの賛成8、自民、公明、民主系など反対33、退場1で否決した。住民投票は、主権者として意見を言う場を確保することを求めるものだ。投票を実施すれば、原子力空母配備反対の意見が多数となるから、意見表明をさせないというのは、市民をバカにした政治の退廃そのものである。

市民をバカにするような市長や議員を選んだのが、横須賀市民といってしまえばそれまでだが、それにしてもお粗末な市長であり、お粗末な議員たちである。
13日の臨時市議会で、日本共産党の井坂新哉市議(党市議団長)が質問に立ち、本件条例制定を否定する蒲谷(カバヤ)亮一市長に対して、「住民投票は市民の最終的な意見を聞く上で有効な手段、民主主義の原点」ではないのかとただした。また、井坂市議は、「住民投票条例案の内容は、市民の多数の意見を尊重してほしいということ。何ら国の決定や事務処理を超えて求めているものではない。条例案の内容のどこが国の決定に関与し、制限するというのか」と質問。すると蒲谷市長は、「(原子力空母配備の)『市民の賛否等の意思を明らかにする』という部分だ」と答えた(「しんぶん赤旗」5月14日)。
市民の自由な意見表明は、お上に逆らうことになるというのだ。

16日の採決に先立ち反対討論をした自民党の竹折輝隆市議は「日米安保体制と、(通常空母がなくなったなかでの)原子力空母の必要性」を強調し、住民投票の実施は「地方公共団体の範疇(はんちゅう)を超え」「将来に大きな混乱」を起こすとのべ、公明党の板橋衛市議は「賛否を問えば地方自治体が外交処理に関与し、制限する可能性がある」とのべた(「しんぶん赤旗」5月17日)。
市長と同じく、市民の自由な意見表明は、お上に逆らうことになるので控えるべきだというのだ。

横須賀市民は、原子力空母の横須賀配備にあたって、「賛成」か「反対」かの意見表明をしておきたいから、ただ、その機会を与えてもらいといっているだけである。これを無視するということは、自分たちが国に対していい顔をしたいのに下手な意思表明で邪魔してくれるなということだ。住民の代表という公的な自らの立場を利己的な欲望で私物化するものだ。

日本の安全保障を米国に依存するかどうかは、意見の分かれるところだろう。だが、日本の安全保障にとって、なぜ、横須賀にアメリカの原子力空母「ジョージ・ワシントン」が常駐しなければならないのか
在日米軍は、04年12月から07年9月までの期間に、「イラクの自由作戦」(OIF)、アフガン関連の「不朽の自由作戦」(OEF)のために、1500人から4500人規模の兵力を常時派遣した。イラク侵略戦争(03年3月―)開始時には、約一万人が参加。米海軍横須賀基地を母港にする空母キティホーク(原子力空母「ジョージ・ワシントン」はその後継)戦闘群や三沢のF16戦闘機部隊などが激しい攻撃を加えた在日米軍は、アメリカにとっては「日本防衛」とは関係なく、米国の地球規模での無法な軍事戦略のための前進基地なのだ(「しんぶん赤旗」5月6日)。
アメリカの空母の母港を提供しているような国は、日本以外にない。なんでそこまで、アメリカに尽くさなければならないのか。私は、意見を言わせてくれという横須賀市民の声は、当然だと思う。


1ヶ月間で住民投票を求める署名が五万余り(前回より1万多い)集まった。有権者の7分の1という。市民をバカにするような市長や議員を選挙で正当に審判しなければならない。福田・自公政権も同じことだ。内閣支持率が20%を切ったということは、政府・与党にたいする国民の不信任の意思表示である。民意を問うことを恐れる政治は、もはや、まともな政治ではない。市民、国民が主権を行使し、真っ当な政治に正さなければならない。

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