プロメテウスの政治経済コラム

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貨物検査特措法案  自公単独で衆院通過を強行  改めて考える警察と軍隊の違い

2009-07-15 16:48:11 | 政治経済
自民、公明の与党は14日、衆院本会議で政府が提出した「北朝鮮特定貨物の検査等に関する特別措置法案」(貨物検査特措法案)の採決を与党だけで強行、可決した。本会議に先立つテロ特別委員会でも野党が欠席するなか審議と採決を強行、可決した。参院で首相問責決議が可決されたうえ、政府・与党が21日にも衆院解散を宣言しているドサクサのなか、北朝鮮制裁になにがなんでも自衛隊を参加させたいという与党の執念だろう。貨物検査特措置法は、北朝鮮を出入りする船舶の貨物を公海上でも検査できる権限を海上保安庁に付与するとともに、自衛隊の動員も可能とするものである。日本では、海上保安庁と自衛隊は、それぞれ警察組織と軍隊組織として峻別されている。自衛隊の参加にこだわるのは、軍事的な対応に道を開くため以外のなにものでもない

 貨物検査特措法案は、北朝鮮の核実験等に対する非軍事的制裁措置として、国連加盟国に自国領域内や公海での北朝鮮船舶の貨物検査を要請する安保理決議1874(6月採択)の「実効性を確保」することを口実にしている。しかし、貨物検査はあくまで各国に対する「要請」であり、義務ではない。安保理決議は船舶が所属する旗国や船長が検査に同意しない場合は、国連加盟国が国連に「報告」するよう義務付けているだけである。武器使用による抵抗が考えられるような貨物検査は軍事的対応そのものであり、安保理決議違反となる

公海上の船舶検査には「旗国の同意」が必要だが、おそらく北朝鮮は同意するはずもないし、また政府は、北朝鮮以外の船舶検査のために第三国から同意を得る協定を、現時点では締結する方針がないとも言っているから、公海上の貨物検査は限りなく想定されない。それにもかかわらず自衛隊の参加にこだわるのはなぜか。政府・与党が現行法の枠内でできることをやらずに新法をつくろうとしているのは、自衛隊の国外での活動を日常化する狙いがあるからだ自衛隊を貨物船の追尾を含む「情報収集」として公海上で常時活動させ、「特別の事情がある場合」には、自衛隊法82条に基づく海上警備行動で検査等に動員しようというわけだ。米国艦船が、北朝鮮の貨物船「カンナム」号を追尾したように、海上自衛隊も一緒に出て行きたいのだ。

 政府は、自衛隊の公海上での活動を日常化する狙いから、貨物検査ばかりを強調しているが、安保理決議で義務付けているのは、すべての武器輸出入の禁止、禁止物品を輸送する疑いのある船舶への燃料供給等の禁止である。日本はすでに北朝鮮船舶の入港を禁止し、武器だけでなく輸出入の全面禁止の措置をとっている。安保理決議が求めている制裁措置を日本はすでに行っているのだ。いま日本がやるべきことは、現行法の枠内で貨物検査を徹底することだ。海上保安庁は領海や港湾で必要に応じて乗船して貨物検査ができる。陸上では税関が検査できる。外国船舶などは日本の検査を拒絶することはできない。こうした措置を実施することこそ安保理決議の「実効性を確保」をすることなのだ

 海上保安庁は、海上の安全及び治安の確保を図ることを任務とする行政機関であり、国土交通省の外局となっている。海上警察機関として海上保安庁法第25条により、海上保安庁は軍隊ではないことが明確に規定されている。軍隊とは、国際社会では世界秩序を強制力で維持する世界政府が存在しないことを前提として、対外的に「国家」を守るための物理的強制力として組織されたものだ。「ルールなき世界」における脅威に対応するものとして、国内法=通常の司法の縛りを受けない一般の行政機関とは違う独自の組織である。一般の行政機関は、憲法および国内法に従って、国民または市民に対してその力を行使する。つまり「法」が力の源泉である。一方、軍隊は、憲法および国内法に従いはするが、「物理的強制力」を直接的にその力の源泉とする

 警察組織も物理的強制力を持っている。しかし、軍隊と警察とは本質的にまったく違う。最もわかりやすい両者の違いは、人を殺さねばならないか、殺してはならないかである。軍隊は、人を殺さねばならないが、警察は、殺してはならない。軍隊は、その物理的強制力を行使する対象である「敵」がどんなに善人でも、命令が下れば、「敵」は殺さねばならない、しかも効率よく。逆に警察は、相手がどんなに凶悪犯であっても、生きて捕まえて、裁きを受けさせなければならない。警察は、国民の生命、身体及び財産を守るために公共の安全と秩序の維持に当たることが責務である。軍隊は対外的に国家的政治目標を達成することが目的であって、国民個人個人の生命、身体及び財産を守ることが目的ではない。軍隊の場合は、味方あるいは一般国民の誰かが死に至ったとしても、「国家」の政治目的が最終的に全体として守られれば、目的を達成したことになる。警察の場合は、誰か一人でも死者をだせば、作戦は失敗である。個人の生命を超える存在としての「国家=階級社会では支配階級の利害」の死守が、軍隊の使命なのだ

 北朝鮮が軍事的挑発をしているからといって、世界は軍事的対応をしないというというのが、安保理決議1874の趣旨なのだ。

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