プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

公明党 連立10年の軌跡 自民党悪政を全面的に擁護、推進 それでも減らない議席の異常

2009-07-13 21:31:30 | 政治経済
きのうの東京都議選で、自民党は惨敗し、公明党とあわせた議席数で勝敗ラインの過半数64議席を割り込んだ。石原都政の問題もさることながら、多くの都民は、総選挙の前哨戦として、「自公政権にノー」を衝きつけたかたちだ。「自公政権ノー」の熱気は、投票率が前回を10・50ポイントも上回る54・49%であったことにも表れている。自民党政治の行き詰まりを反映して、自民は58人を擁立したが、無党派層の支持を得られず、都連幹事長らベテラン議員が相次いで落選。現有48議席を10議席下回り、40年間守り続けた第1党の座を失った。ところが、不思議なことに連立以来10年、自民党悪政を全面的に擁護、推進し、もはや福祉や平和、人間主義とはまったく無縁となった公明党が、前回と同じ23人を公認、全員当選を果たした自民党の悪政にたいしては議席減として民主主義が働くのに対して、同じ悪行をやっても公明党には、まったく働かない。この党が政界で果たしている役割を考えたとき、この国の民主主義、社会的道義の危機を覚えるのは私だけだろうか

 90年代末からの自公政治は、内政でも外交でも完全に行き詰った。アメリカ仕込の新自由主義的資本主義経済は世界的に崩壊し、多国籍大企業のいいなりに進めた「構造改革」は、日本国内でむきだしのルールなき資本主義の跳梁跋扈となり、一部の勝ち組への富の集中と大多数者の貧困の蓄積を生み出した。アメリカ一国覇権主義が行き詰まり、世界が平和の地域共同を摸索しているときに、「日米軍事同盟」の強化にしがみつく外交の愚かさは明白である。
ところが、財界・大企業いいなり、米国追随という自民党政治の悪政がふたつながらに確実に実行されてきた事実は、公明党の存在なくしては語れない。自公連立政権下で日本は大きく変化した。自衛隊のイラク派遣、有事立法、盗聴法などなど、自民党単独では成立させえない法律が、次々と成立していった。年金、医療、福祉、教育など国民生活にかかわる悪政・悪法のオンパレードは、すべて公明党が自民党とともに成立させてきたものである。自民党の悪政推進に果たしてきた公明党の役割は、“共同共謀正犯”そのものである。公明党が連立政権に参加せず、法律に賛成しなければ、これほどまで悪政が野放図に横行することはなかったであろう。公明党は「国民のための改革」と自民党の悪政を擁護しながら、悪政のスピードに「ブレーキ」をかけるどころか常に「アクセル」を踏み続けてきた。この間の国民のくらしの危機と窮乏は、公明党が与党にいたからだといっても過言ではない特に2007年の参院選挙によって衆参のねじれ現象が生じた以降の衆院における3分の2再議決の連発は、公明党の犯罪的役割を象徴するものだ。

 自民の惨敗、民主の躍進という都議選の結末は、有権者の怒濤のような国政への怒りの表れ以外の何ものでもあるまい(「産經」2009年7月13日)。しかし、公明党は国政で自民党と“共同共謀正犯”でありながら前回と同じ議席数を確保した。有権者の怒濤のような怒りは、公明党には通じないということだ。このことは、この党が、議会で民主主義とは異質で、特異な存在であることを示している
なぜ、公明党には民主主義が通じないのか。いうまでもなく、「創価学会」という特異なカルト集団が選挙のたびに政策に関係なく公明党・議員に投票するからである。創価学会・公明党は、普通の宗教団体・宗教政党ではない。公明党というのはうわべだけの衣で、実態はまさに司令塔から活動部隊まで全部選挙カルト集団「創価学会」が取り仕切っている。「学会」にとって、選挙戦というのは「法戦」、つまり“仏法の戦い”なのだ。「広宣流布」という創価学会の信仰を世界に広めるための“仏法の戦い”がイコール選挙戦なのだ。そしてこの戦いを池田大作・創価学会名誉会長と一人一人の会員が、「師弟」のつながりをもってともに戦う(共戦)のが選挙戦ということだ。選挙戦で選挙違反をやっていくら逮捕者が出ても、「法難」だから勇んで立ち向かえという選挙カルト集団に支えられた公明党に民主主義が通用しないわけだ

 池田名誉会長からすれば、常に自分は「仏」の側、どんな悪いことをやっても「仏」の側――あるいは本当に「仏」だと思っているかもしれないが――要するにいつでも「仏」の側である。そして、相手の側はどんな正論をとなえても、創価学会・公明党に対して気に入らないことをやる以上、「仏敵」だ。すなわち「邪宗撲滅」、「撲滅」のためには、手段を選ばない
公明党と学会との関係は、「池田(大作名誉会長)先生が師匠で、われわれは弟子。弟子は師匠のために命を投げ出して仕えるのが、学会員の原点であり公明党の原点」(矢野絢也元公明党委員長)である。
市民道徳も政治道徳も社会的道義もかなぐり捨てた異常な反共主義これこそが、創価学会・公明党の支配層になくてはならない存在意義なのだ。だから、共産党を除く政党も、マスコミも創価学会・公明党批判は散発的で控え目になるほかない。このような異常で特殊な集団が政治に参加している問題は、本当にこのままでいいのか。日本の民主主義、社会的道義の危機を覚えるのは私だけだろうか。

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1 コメント

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Unknown (なるほど)
2009-07-14 15:36:25
会員は何にも考えていないんだろうね。赤信号みんなで渡れば怖くないってやつだね。
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